第134回生誕記念日祝賀会パンフレット
プルナ・ダス・バウル
バウルは本来遊動民であって、その宗教哲学の歴史は千年以上にさかのぼり、階級、信仰、人種のちがいをこえた、人間愛を説いています。バウルの修行は彼らの信仰の歌をうたうことです。そして素朴な言葉で人生の神秘を語り、民衆の心をとらえてきました。
プルナ・ダスはバウルの7代目、父のナバニ・ダスは著名な歌手、著名なベンガルの哲学者でもありました。ラビンドラナート・タゴール(詩人、ノーベル賞受賞者)と親しく、彼にバウルの歌を教えました。その父の訓練を受け、彼は4歳のとき初めて、ある歌劇団の中で歌い、9歳のときには、いまもなお、バウルたちの最大の集会であるジョイデヴィケンダル・メラ(祭礼)で歌いました。まもなく、最高クラスの芸術家としてカルカッタの「オール・インディア・レイディオ」に入社し、そこで、声楽部門の審判者に選ばれました。
1967年、プルナ・ダスは、インドの大統領から、「バウル・シャムラット」(バウルの王)という称号を贈られました。この称号だけではなく、彼は" Baul Guru", "Baul Sadhak", "Baul Raja" , "Baul Ratna"等々、数々の桂冠を贈られています。
プルナ・ダスは、ベンガルの宗教的民謡を海外に広めた最初の人です。1962年の海外旅行中、彼はヘルシンキ青年大会で金メダルを得、それからロシア、ルーマニア、およびタシケントをまわりました。1971年にはイギリス、フランス、リュクセンブルグをまわり、1973年からは伝統的なバウルの歌を、バングラデッシュやオーストラリアだけでなく西洋の諸国でも、教えることをはじめました。イギリス、アメリカに滞在中には、イギリスではアルバート・ホールで、ミック・ジャガーとともに女王の前でうたい、アメリカではホワイトハウスで大統領に歌を披露しました。