第134回生誕記念日祝賀会パンフレット
おどかせ。だが噛んではいけない。
Mが三度目に師を訪れたのは日曜日の午後であった。彼は、この驚嘆すべき人への二度の訪問から深い感銘を受けていた。彼は師のことと、霊性の生活の深い真理を説明なさる彼のまったく簡単な方法とを、たえず考えていた。いまだかつて、このような人に会ったことがなかったのである。
シュリ・ラーマクリシュナは、小さいほうの寝台の上にすわっておられた。部屋は、休日を利用して師に会いにきた信者たちでいっぱいだった。Mはまだ、そのなかの誰ともなじみがなかった。それで隅の方に席をとった。信者たちと話しながら、師は微笑なさった。 彼はとくに、ナレンドラナートという十九歳の青年に向かってお話しになった。彼は大学生であって、サダラン・ブラフモ・サマージに出入りしていた。彼の目は輝いて、言葉は活気にみちており、その顔は神を愛する人の表情を帯びていた。
Mは、会話は霊的なものを切望する人びとを軽べつする、世俗的な人びとについてである、と推察した。師は、世間にいる非常に大勢のそのような人びとについて話し、また彼らとつきあう方法について話しておられた。
師(ナレンドラに)「お前はそれをどう感じるかね。世間の人びとは霊的な心を持つ人びとについていろいろなことを言う。だが、ごらん、一頭のゾウが街を歩いて行くと、のらイヌやその他の小さな動物たちが、いくらでも出てきてそれにほえつくだろう。しかしゾウはふり返りもしない。もし人びとがお前のことを悪く言ったら、お前は彼らのことをどう思うだろうか」
ナレンドラ「私はイヌがほえついていると思うでしょう」
師(微笑して)「いやいや、そこまで行ってはいけない、わが子よ。(みな笑う)神はすべての生きものに宿っておいでになる。しかしお前たちは善い人びととだけ、親しくしたらよいのだ。悪い心の人びとは避けるようにしなければならない。神はトラの中にもおいでになる。しかしそれだからといってトラを抱くわけにはいくまい。(笑い)お前たちは『トラもやはり神の現れなのに、どうして逃げなければならないのですか』と言うかもしれない。それに対する答えは、『お前たちに逃げろと告げる人びともやはり神の現れ―それゆえ彼らの言うことはきくべきではないか』というものだ。
ひとつ話をきいておくれ。森の中に一人の聖者が住み、大勢の弟子を持っていた。ある日、彼は弟子たちに、すべての生きもののなかに神を見よ、そしてそれを知って彼らすべての前に頭を下げよ、と教えた。一人の弟子が、犠牲供養の火の薪を集めに森に行った。突然、彼は『逃げろ!気違いゾウがくるぞ!』という叫びをきいた。彼を除く全部は逃げた。彼は考えた、ゾウもやはり別の形で現れた神であると。それならなぜ逃げなければならないのか。彼はじっと立ち、動物の前に頭を下げてそれを称える歌をうたい始めた。ゾウ使いは『逃げろ!逃げろ!』と叫んでいた。しかし弟子は動かなかった。ゾウは彼を鼻でつかんでわきに投げ、行ってしまった。
傷ついて出血し、弟子は気を失ったまま地面に横たわっていた。事件をきいた師と兄弟弟子たちは、現場にやってきて彼を庵に運んだ。薬の効きめで彼は間もなく意識をとり戻した。誰かが『君はゾウのくるのを知っていたのだろう?なぜ逃げなかったのか』とたずねた。『でも師が、神ご自身は人間ばかりでなく動物の姿にもなって現れているとおっしゃっただろう。だから、くるのはゾウ神様だと思って逃げなかったのだ』と彼は言った。これをきいて師は言った、『そうだ、わが子よ。ゾウ神様がいらっしゃったというのはほんとうだ。しかし、ゾウ使い神様がお前に、そこにいることをとめただろう。すべてのものが神の現れなのに、お前はどうしてゾウ使いの言葉を信用しなかったのだ。お前はゾウ使い神の言葉に耳を傾けるべきだったのだよ』と。(みな笑う)
聖典に、水は神の一つの姿である、と書いてある。しかし、ある水は祭事に用いるのに適し、ある水は顔を洗うのによく、そしてある水は皿や汚れた布を洗うのにしか使えない。この最後の種類は、飲んだり祭事に使ったりすることはできない。同じように、神はたしかにすべての人――信心深くても不信心でも、正直でも不正直でも――のハートに宿ってはおいでになるが、人は不信心な、邪悪な、不純な人とつき合ってはいけない。親しくしてはいけない。彼らのある者たちとは言葉ぐらいを交わしてもよいが、あるものたちとはそれもしてはいけない。そのような人びとからは遠ざかっているべきである」
ある信者「師よ、もし悪い人が私どもに害を与えようとするか、または実際に与えた場合、私どもは黙っているべきでございますか」
師「社会に暮らす者は、心の邪悪な人びとから自分を守るためにタマスをよそおう必要がある。しかし、自分が害されそうだと心配して、相手を害してはいけない。
ひとつ、話をきくがよい。何人かの牧童がある牧場で牛を飼っていたが、そこには恐ろしい毒ヘビが住んでいた。誰もがそれを恐れて用心していた。ある日、一人の出家が牧場を通りすぎようとした。少年たちは彼のそばにかけ寄って、『お坊さま、どうぞ、そちらには行かないでください。あのあたりに毒ヘビがすんでいます』と言った。出家は、『心配するな、私の善い子供たちよ、私はヘビなどはこわくないのだ。マントラを知っているから』と言って、そのまま行ってしまった。しかし牧童たちは恐ろしいのでついては行かなかった。一方、ヘビはかま首をもたげてするすると彼のほうにやってきた。そばにくると、彼はあるマントラをとなえた。するとヘビは、ミミズのようになって彼の足下に横たわった。出家は言った、『これ、お前はなぜ悪いことをしてまわるのだ。さあ、お前に聖語をひとつ、授けよう。それをとなえることによって、お前は神を愛することを学ぶであろう。ついには彼をさとり、そのあらあらしい性質をすてるであろう』と。こうしてヘビに聖語を教え、霊的生活を始めさせた。ヘビは師の前に頭をさげ、『師よ、どのように修行をしたらよろしゅうございますか』とたずねた。『このマントラをとなえよ。そして誰をも傷つけるな』と師は言った。立ち去るときに出家は言った、『また会おう』と。
日がたち、牧童たちはヘビがかもうとしないのに気づいた。彼らは石を投げた。それでもヘビは怒りを見せず、まるでミミズのようにふるまった。ある日、少年の一人がそれに近づいて尾をつかまえ、ぐるぐるとふり回し、幾度も地面にたたきつけた上でほうり投げた。ヘビは血を吐いて意識を失った。動くこともできなかった。気絶したのだ。それでヘビは死んだものと思って、少年たちは行ってしまった。
夜更けてヘビは意識をとり戻した。のろのろと、やっとのことで自分をひきずって穴の中に帰った。骨折したのでほとんど動くことができなかった。いく日もすぎた。ヘビは骨と皮にやせ衰えた。ときおり夜中に、食物を探しに外に出るだけだった。少年たちがこわいので昼間は穴を出ることができなかったのだ。師から聖語を受けて以来、他者を害することをやめていた。土や葉や、木から落ちた果実でいのちをつないでいた。
約一年の後、あの出家がふたたびやってきてヘビのことをたずねた。牧童たちは、ヘビは死んだとつげた。しかし、彼は、牧童たちの言うことを信じなかった。そのヘビは授けられた聖語の果実を得るまでは死なないことを知っていたのだ。彼は例の場所にゆき、あちらこちら探しながら自分が与えた名でヘビを呼んだ。師の声をきいてヘビは穴からはい出し、うやうやしく彼の前に頭を下げた。『どうかね』と師はたずねた。『元気でございます』とヘビは答えた。『しかし、なぜそんなにやせたのだ』と師はたずねた。ヘビは答えた、『師よ、あなたは私に、誰をも害するな、とお命じになりました。ですから私は、葉と果実だけで暮らしてまいりました。たぶんそのせいでやせたのでございましょう』と。
ヘビはサットワの性質を育てたので、誰に対しても腹を立てることができなかったのだ。牧童たちがほとんど自分を殺すところだったということなどは完全に忘れていた。
出家は言った、『食物の不足だけでそんなにやせることはあり得ないよ。何か他の理由があるだろう?少し考えてごらん』そこでヘビは、少年たちが自分を地にたたきつけたことを思い出し、それを言った、『はい、師よ、いま思い出しました。少年たちがある日、私を乱暴に地面にたたきつけました。要するに、彼らは無知なのです。どんなに大きな変化が私の心に起こったかということが彼らには分からなかったのでございます。私がもう人をかむことも傷つけることもしないなどということを、どうして彼らが知り得ましょう』出家は叫んだ、『なんということだ!お前はほんとうに馬鹿だねえ、自分を守るすべを知らないとは。私はかむなとは命じたが、シューシュー言うことを禁じはしなかっただろう。なぜ、シューシュー言って彼らをおどかさなかったのだ』と。
それだから、お前たちも悪い人びとにはシューシュー言わなければいけない。彼らがお前たちを害さないように、彼らを恐ろしがらせなければいけない。しかし決して、毒を注入してはいけないよ。人は他者を傷つけてはならない」
「ラーマクリシュナの福音」(日本ヴェーダーンタ協会:訳ならびに刊行)から。