わ が 師

スワミ・ヴィヴェーカーナンダ講演集

(B6判、246頁)


定価(本体1300円+税)


まえがき 

 本書は「愛の叡知」「アートマン」および「生きる秘訣」につづいて協会の発行する、四冊目の「スワミ・ヴィヴェーカーナンダ講演集」である。このたびは、アメリカまたはイギリスで行なわれた講演から五篇、母国インドで行なわれたものの中から二篇を選んだ。前者のうち、冒頭のシカゴ講演は、一八九三年、シカゴで開かれた世界宗教会議にスワミが無名の一青年僧として出席、たちまち世の注目の的となったときのものである。つづく三篇は、その後の四年にわたるアメリカおよびイギリス滞在中に各地で行なわれたもの、「普遍宗教」だけが、一九〇〇年の再度の訪米のときに西部で行なわれたものである。

 スワミは四十年に満たぬその生涯を、「永遠の宗教」を正しく分りやすい形で世に伝えることに、献身し、ことに、それによって母国インドを再び精神的にめざめさせようと情熱を燃やした。従って、一八九七年に帰国の後インドの各地で行なわれた数多くの講演は、一層深く人の心を打つものを含んでいる。後半の二篇は、それらの中から選ばれたものである。

 スワミは講演にあたって原稿を用意しなかった。これらの貴重な記録が残されたのは、当時の真摯なアメリカ人の信奉者たちによって高給を支払って雇われたのだが、数日後に給料を辞退し、忠実無比な弟子となってインドまでスワミについて行き、やかてそこで若い生命を終えたイギリス人速記者J・J・グッドウィンの献身のたまものである。

一九八三年 八月三十一日

日本ヴェーダーンタ協会
   


目  次

アメリカ、イギリスで行われた講演から

シカゴ宗教会議での講演

  ○歓迎に応えて

  ○なぜわれわれは争うのか

  ○ヒンドウイズムに関する論文

  ○インドに緊急必要なのは宗教ではない

  ○ヒンドウ教を成就する仏教

  ○最終の会譲における挨拶

わが師 

宗教の必要

魂、神および宗教

普遍宗教

インドで行われた講演から

ヴェーダーンタ

インドの賢者たち


わが師

一八九六年二月二十四日

 「徳が衰え悪徳がはびこるときには必ず、私は人類を助けるために下りて来る」 バガヴァド.ギーターの中でクリシュナはこのように宣言しています。われわれのこの世界が、発展のためか状況の変化のために新たな調整を必要とするときには必ず、一つの力のは道がやってきます。そして、人間の活動は霊的と物質的の二面にわたっていますから、調整の波も両方の面にやって来ます。その一方である物質的な面の調整は、近代以来主としてヨーロッパが基礎となって行われて来ましたし、田野一方である霊的な面の調整は、世界の歴史を通じてアジアが基礎となって来ました。今日、人類は冷静の面におけるもう一つの調整を必要としています。物資的な思想がその輝きと力強さの極に達している紺にt、物質への依存度が強まるにつれて人が自分の神性を忘れ、単なる金もうけの機会になり下がりつつあるように思われる今日、一つの調整が必要なのであります。その声はすでに発せられ、その力は、増大しつつある物質主義の雲を吹き払うために来ようとしています。その力はすでに活動を始め、遠からず、人類に再び、その本性へのめざめをもたらすでありましょう。しかも再び、その力の発祥の地はアジアでありましょう。

 われわれのこの世界は分業という計画のもとにつくあれています。一人の人間が一切のものを持っているはずだ、と主張するのは無意味なことです。それななのにわれわれは何と幼いのでしょう! 赤ん坊は無知のゆえに、自分の持つ人形が、背懐柔の人が欲しがる唯一の品物だ、と思います。そのように、物質力を持つことに優れているある民族は、それが欲しがる値打ちのある唯一のものである、進歩というのはそれを持つことだ、文明とはそれを持つことにほかならない、と思い、もしほかにものを持つことに頓着せず、その力を持たない民族がいると、彼等は生きるに適しない、彼等の存在はまったく無意味だ、と思うのです! 一方では、別手の民族が、単なる物質文明はまったく無用である、と思うかもしれません。東洋からは、かつて世界に向かって、太陽の下にある一切の物を得ても冷静を持たなければそれが何になるか、と問う声が生まれました。これは東洋型、もう一つは西洋型であります。

 これらのタイプのいずれもがそれなりにりっぱであり、それなりの光輝を持っています。このたびの調整は、この二つの理想の調和であり、混合でありましょう。東洋人にとって、霊性の世界は西洋人にとっての感覚の世界と同じようにリアルなのです。霊的世界の中に、東洋人は欲するもの、期待するものの一切を見いだします。それの中に、彼は自分の生活を現実的にするものすべてを見いだすのです。西洋人から見れば、彼は夢想家です。東洋人から見ると、はかない玩具で遊んでいる西洋人が夢想家です。成長した男女が、おそかれ早かれ捨てていかなければならないひと握りの物質をそんなにもてはやさなければならないと思うことを、彼は笑うのです。それぞれが相手を夢想家と読んでいます。しかし、東洋の理想は、西洋の理想と同じように人類の進歩にとって必要です。私は、もっと必要だと思います。機械は決して人類を幸せにはしなかったし、またしないでしょう。機械が幸せにする、ということを私たちに信じさせようとする人びとは、幸福が機械の中にある、と主張するでしょう。しかし、幸福はつねに心の中にあるのです。自分の心の主人である人だけが幸せになれるのであって、他の人はなれません。そして結局、この機械というのは何ですか。なぜ、針金に電気の流れを通すことのできる人がたいそう偉い人、たいそう賢い人と呼ばれるのですか。自然は一瞬ごとに、それの百万倍以上のことをしているのではありませんか。ではなぜ、自然にひざまづき、これを礼拝しないのですか。かりにあなたがこの世界全体を征服する力を持っているとしても、かりにこの宇宙全体の原子を支配しているとしてもそれが何の役に立ちますかあ。あなたが自分の内に幸福の力をもっているのでなければ、あなたが自分自らを征服するまでは、それもあなたを幸福にはしないでしょう。人は自然の克服するために生まれている、それはほんとうですか。西洋人は「自然」という言葉で、物質の、すなわち外部の自然だけを意味します。その山々、大海、および河川を含む、そして無限の力と変化を持つ、外部の自然はたしかに壮大です。しかしここに、太陽や月や星々よりも高く、われわれの地球よりも高く、物質の宇宙よりも高く、われわれのこの小さな生命を超越している、もっと壮大な、人の内部の自然があるのです。そしてそれは、研究のもう一つの分やを提供します。そこでは東洋人が卓越しています。前者において西洋人が優れているのと同じように。それゆえ、霊的調整が行われる場合には、それはいつも東洋から来る、というのはもっともなことであります。東洋人が機械製造を学ぼうとするときには、彼は西洋人の足元にすわって彼から学ぶ、というのももっともなことです。西洋人が霊について、神について、魂について、この宇宙の意味と神秘について学びたいと思うときには、彼は東洋人の足元にすわって学ばなければなりません。

 私は、インドにおいて右のような波をおこした一人の人の生涯を、皆さんにお話ししようと思います。しかし、この人の話に入る前にインドの秘密を、インドとはどういう所であるかということを説明してみることに致しましょう。もし、その眼が物質的なものの華やかさにくらまされている人びと、その生涯を食べることと飲むことと楽しむことに献げている人びと、持つものと言えば土地と金とを理想としている人びと、金が神であり、今世来世でらくな生活を送ることが目的である人びと、決して将来を考えることなく、自分をとりまく感覚対象より高井ものには眼を向けようとはしない人びと−もしこのような人びとがインドに行くなら、彼らは何を見るでしょうか。到る処にあふれる貧乏、不潔、迷信、闇、恐ろしさです。なぜか。彼らにとって開化とは衣服であり、教育であり、世間的上品さであるからです。西洋諸民族があらゆる度リュ奥を尽くして彼らの物質的境遇を向上させている間に、インドはほかのことをしました。ここに世界でたった一つ、有史以来国境を越えて他を征服したことのない民族、他国の持つものを決してほしがらなかった民族がいます。彼らの唯一の過失は、その土地が肥え彼らは勤勉でしたので蓄積し、それが他民族を誘惑して彼らに侵入略奪を許したことであります。彼らは略奪され、野蛮人と呼ばれてだまっています。そしてお返しとしてこの世界に至高者のヴィジョンを送ろうとするのです。この世界のために人間本性の秘密を明らかにしようと、真の人間を隠しているヴェールをはいで見せようとするのです。なぜなら、彼らは、この物質主義のかげに罪も曇らせることができず、悪事も害することができず、色欲も汚すことができないところの、火も焼くことができず、水もぬらすことができず、熱も乾かすことができず、死も殺すことができない、人の真の、神なる性質が生きていることを知っているからであります。そして彼らにとって、人のこの真の性質は、西洋人の感覚に対するいかなる物質の対象とも、同じようにリアルなのであります。

 皆さんが勇敢にもいのちを献じるのと同様に、彼らは神の名のもとに勇敢であります。ある男がこれはすべて一場の夢にすぎない観念の世界である、と宣言すると、彼は衣服と持ち物の一切を投げすてて、彼が信じかつ思うところが真実であることをほんとうに証明するのです。ある男が生命は不滅であることを知ると、彼はほんとうに、河の堤にすわり、ちょうど皆さんが一片の藁くずをおすてになるように、何でもないものとそして自分の肉体をすてようとします。そこに、兄弟として喜んで死に直面するという、彼らのヒロイズムはあるのです。なぜなら、自分にとって市はない、ということを彼らは確信しているからです。そこに、幾百年にわたる圧迫と外国の侵入および暴政も屈服させることのできなかった、彼らの力があるのです。この民族は、今日生きています。そしてこの民族の間には、最も悲惨な、絶望的な時代においてすら、霊性の巨人は絶えることなく生まれてきました。西洋が政界の巨人たちを、科学の世界の巨人たちを生むのと同じように、アジアは霊性の巨人たちを生むのです。

 今世紀の初め、西洋の影響がインドに浸透しはじめたとき、西洋の征服者たちが剣を手に、賢者たちの子孫に向かって彼らが野蛮人であり無相家の種族であることを、彼らの宗教は伝説にすぎず、彼らが一心に求めてきた神や魂や一切のものは意味のない言葉にすぎなかったのであるということを、努力のこの幾千年、限りない放棄のこの幾千年人びとあすべて無駄ごとであったのだということを、証明しようとしてやって来たとき、大学に学ぶ若者たちの間に、今日までのこの民族の全存在は失敗であったのだろうか、自分達は古来の書物を破りすて、哲学を焼き、説教師たちを追い払い、おおくの寺院をぶちこわして、西洋の流儀に従ってあらたにやり直さなければならないのだろうか、という疑問が起こりました。西洋の征服者、剣と大砲とで自分の宗教を宣伝した男は、古来の教えはことごとく迷信と偶像崇拝である、と言ったではありませんか。新しい学校で育てられ教えられた子供たちは西洋の流儀で出発し、幼年時代からこおような思想を飲みこみました。疑問が起こったのも不思議ではありません。しかし、迷信をすててほんとうの真理を探求する、というのではなく、「西洋人は何と言っているか」ということが真理の決め手となりました。説教師たちは追い払わなければならない、ヴェーダは焼きすてなければならない、だって西洋人がそう言ったから、というわけです。このようにして生まれた不安の感情から、インドには、一つのいわゆる改革の波が起こりました。

 あなたがもし真の改革者でありたいと思うなら、三つのものが必要です。その第一は、感じることです。あなたはほんとうに、あなたの兄弟たちのために感じますか。この世には実に多くの不幸があり、無知があり、迷信がある、ということをほんとうに感じますか。人びとは自分の兄弟である、ということをほんとうに感じますか。このことを全身で感じますか。その思いが血と共に流れ、それによってあなたの血脈がうずきますか。それがあなたの肉体の一々の神経、一々の繊維を通って流れますか。あなたはあの、同悲の念に満たされていますか。もしそうであるなら、それでようやく第一歩をふみ出したのです。あなたはその次に、自分はなにらかの対策を見いだしたのかどうか、考えてみなければなりません。古い思想はすべて迷信かもしれません。しかしこれらの迷信のかたまりに混じって、真理の金鉱が潜んでいるのです。あなたはすべてのかすを取り除き、その黄金だけを残す方法を見いだしましたか。もしそれができても、ようやく第二歩をふみ出したのであって、もう一つ必要なものがあります。あなたの動機は何ですか。自分は金銭欲や名声への渇望に動かされているのではない、という確信をお持ちですか。たとえ全世界がよって自分を破滅させようとしても、自分は理想を守って働きつづけることができる、とほんとうに信じておいでですか。あなたは、自分は自分が何をしたいかを知っており、たとえいのちをかけてでも自分の義務を、義務のみを遂行するであろう、と確信しておられますか。自分はいのちのある『』R,最後の脈が脈打つまで耐え抜く、と確信しておられますか。それなら、あなたは真の改革者です。あなたは教師であり、大師であり、人類への祝福です。しかし一は実に気短で、実に近視眼的です。待つだけの忍耐力を持たず、見るだけの力を藻体内のです。彼は支配することをほっします。ただちに結果を得たがります。なぜか。自分が果実を収穫したいと思い、ほんとうは他人のことは考えないのです。気味のための義務、は彼が欲していることではないのです。「汝は働くことに対しては権利を持つが、そこから生まれる果実に対しては権利を持たない」とクリシュナは言います。なぜ結果にしがみつくのですか。われわれのもの、は義務なのです。果実のことは果実に任せておきましょう。しかし人は忍耐力を持ちません。彼はどんな企みでも取り上げます。世界中の自称改革者たちの大部分は、この部類に入る人びとであります。

 すでに申しあげたように、インドに改革という思想は、この国に侵入した物質主義の波があたかも賢者たちの教えを移送するかに見えたときに、やって来ました。しかしこの民族は、すでに千ものこのような変化の波のショックに耐えてきたのです。このたびのは比較的ゆるやかな方でした。波また波がこの国におしよせ、幾百年にわたって一切のものを破壊したこともあるのです。剣がひらめき、「アラー万歳」と声がインドの空を引き裂いたものでした。それでもこれらの洪水が退くと、あとには不変の民族の理想が残っていたのでした。

 インドの民族は殺されることはあり得ません。それは生き続けます。そして背景としてあの精神が存続するかぎり、人びとが霊性を放棄せぬかぎり、それは生き続けるでしょう。貧に悩まされ、彼らは相変わらず乞食であるかもしれません。おそらくつねに、汚れと不潔さに囲まれていることでしょう。しかし、彼らの神はすてないでくれ、自分たちが賢者たちの子であることは、忘れないでいてくR.西洋で庶民さえも自分の先祖を中性の追い剥ぎ貴族か何かであったとしたがるように、インドでは、玉座にすわる皇帝さえもが、自分の先祖は森にすむ乞食の賢者であった、木の皮の衣を着て果実でいのちをつなぎ、神と交わっている人であった、と言いたがります。これが、私たちが誇りとする先祖のタイプなのであります。このように神聖さがこの上もなく敬われている間は、インドは死ぬはずはありません。

 多くの方々が、「十九世紀」の最新号にのった、マックス・ミュラー教授の「一人の真の大聖者」と題する文書をお読みになったことと思います。シュリ・ラーマクリシュナのしょうがいは、それが彼の説いた思想の生きた例証であったから、興味不快のです。ぽそらく、西洋に、つまりインドのそれとは全く異なる空気の中に生きておいでの皆さんには、それは少々ロマンチックに感じられることでしょう。西洋の忙しくあわただしい生活の方法習慣は、インドのそれらとは全く異なっているからです。しかしおそらくそのあめにいっそう、興味深く感じられるかもしれません。多くの方々がすでにおききおよびの事柄に、新しい光をあてるのですから。

 一八三六年二月十八日、ベンガル地方の一僻村に住む貧しい両親のもとに一人の男の子が生まれたのは、インドにさまざまの種類の改革運動が始まったころでした。父も母も、非常に敬虔な、正統派のブラーミンでした。真に正統派的なブラーミンの生活は、不断の放棄の生活です。彼のなし得ることはごくわずかです。そして正統派のブラーミンは、それ以外のいかなる政俗の仕事にもたずさわることはできないのです。同時に彼には、何びとからの贈り物でも受ける、ということは許されていません。そのような生活はどんなに厳しいものであるか、ご想像もつくでしょう。皆さんがブラーミンと彼らの聖職についてたびたびおききになったと思いますが、何がこのすばらしい一団の人びとを仲間の師は医者たらしめているのか、ということを知ろうとなさった人はほとんど見あたりません。彼らはこの国のすべての階級の中の最も貧しい人たちです。しかも、彼らの力の秘密はその放棄にあるのです。彼らは決して、富をほしがりません。彼らのは世界中で最も貧しい聖職ですが、それゆえに最も協力なのです。この貧しさの中でも、ブラーミンの妻は、貧しい人に何か食べるものを与えなければ、彼アートマン自分の村を通りすぎることを許さないでしょう。インドではそれが母親の最高の義務であると考えられており、彼女は母であるがゆえに、嘱託には最後につかなければならないのです。彼女は、自分の番が来る前に他のすべての者が食べたことを見とどけなければなりません。で3すから、インドでは母は神と仰がれているのです。ここで申しあげる婦人、われわれの主人公の母親は、ホンドゥの母親のまさに典型でした。階級が高ければ高いほど、制限は厳しくなります。っさいていお階級の人は好きなように何を食べても何を飲んでもかまいません。しかし階級が高くなればなるほど制限は多くなり、最高階級のブラーミン、インドの世襲の聖職者階級になると、すでに申しあげたようにその生活は非常に制限されたものとなります。西洋の習慣に比較すれば、彼らの生活は不断の苦行の生活です。ヒンドゥはおそらく、世界中で最も非解放的な民族でありましょう。彼らはイギリス人と同じように非常に着実ですが、その程度ははるかに後者を越えています。ある観念をつかんだらそれを最後まで実行し、ついにそこから何ものかを生み出すまで子孫代々がそれを持ち続けます。かれらにひとたびある観念を与えたら、それを取り戻すことは容易ではありません。しかし新しい観念を把握させることは非常に困難です。

 ですから正統派のヒンドゥは実に閉鎖的で、完全に自らの思想感情の枠の内にこもって生活しています。彼らの生活は、詳細にわたってわれわれの古い書物に記してあり、彼らはその末端までを鉄石の堅固さをもって守っています。彼らは、自分たちのカーストの小さなグループに属していない人間の手で調理された食物を食べるよりはむしろ餓死するでしょう。しかしその上に、彼らは強くて非常にまみめです。強烈な信仰と宗教生活の力は、しばしば、正統派のヒンドゥの間に見られます。彼らの正統派信奉は、これは正しい、という不動の信念から来ているからです。われわれは彼らがこれほど堅く信じていることすべてが正しいとは思わないでしょうが、彼らにとては正しいのです。さて、われわれの書物には、人はつねに、極端に到るまで慈悲深くなければならない、と書いてあります。もし人がもう一人の人のいのちを救うために飢えて死ぬなら、死んでよろしい、人はそうすべきである、とまで教えてあります。そしてブラーミンは、この思想を徹底的に実行すべき者ということになっているのです。インドの文学に通じておいでの方は、この極端な慈善についての美しい昔物語を憶えていらっしゃるでしょう。マハーバーラタの説くところによると、一家族全部が餓死して彼らの最後の食物を一人の乞食に与えたのです。これは誇張ではありません。このようなことは今でも起こるのです。私の師の父母の正確はこれと非常によく見たものでした。たいそう貧しかったのですが、それでも母はよく、貧しい人を助けるために終日飢えを忍んだものでした。彼らのもとに、この子供は生まれたのです。彼は小さいときから普通の子供とはちがっていました。生まれたときから過去を記憶しており、自分がこの世に生まれた目的も知っていて、すべての能力をそのことの成就のために捧げました。

 彼がまだ幼いころに父は亡くなり、少年は学校にやられました。ブラーミンの子弟は学校に行かなければなりません。階級の制度によって、彼は学問に関する職業にしかつくことはできないのです。今でも国内の各地に、特にサンニヤーシン(出家)の教育機関にあまねく行われているインド古来の教育制度は、現代の制度とは非常にちがったものです。政とは代金を払う必要はありませんでした。知識は神聖なものだから誰も売ることはできない、と思われていたのです。知識はただで与えられなければなりません。教師たちは料金を取らずに教えたばかりでなく、多くの場合、生徒に衣食を与えました。これらの教師たちの生活を支えるために、富裕な家庭は、結婚式とか死者の供養とかいうような特別の場合に彼らに贈り物をしました。このような場合には、彼らが第一に贈り物を受ける資格がある、と考えられていました。その代わりに、彼らは政との世話をしなければならなかったのです。ですから、結婚し着でもあると、特に金持ちの家の場合には必ず、これらの教師たちが招かれます。彼らは出席し、さまざまの問題について議論をします。少年があるときこのような教師の集まりに出かけて行くと、教師たちは、彼の年齢では理解のできない論理学や天文学のような、さまざまの問題を論じ合っていました。すでに二ベアリング多様に彼は特異な少年で、そこから次の教訓を引き出しました、「これが彼らのちしきのすべてから生まれたものなのだ。なぜ彼らはあんなに激しく論争し得散るのか。要するに金のためだ。ここで最高の学識を示すことのできた人が、一番上等の衣服を一揃いもらうことができる。この人たちはそのために一生懸命努力しているだけなのだ。私はもう、学校へは行くまい」 そして彼はそれきり、学校には行きませんでした。

 しかし少年には学識のゆたかな兄がおり、この兄が、とにかく勉強をさせようと彼をカルカッタにつれて行きました。まもなく少年は、すべての世俗の学問の目的は物質的向上以外の何ものでもないことを完全にさとり、勉強をやめて霊性の知識の追求に専念することを決意しました。父はすでに亡く、家はたいそう貧しかったので、彼は自活しなければなりませんでした。そこでカルカッタに近いあるところに行き、寺院の神職になりました。寺院の神職になるのはブラーミンにとって不名誉なこと、と考えられています。われわれの寺院は、皆さん方の教会とはちがいます。そこは大勢が集まって礼拝をする場所ではありません。正確に言いますと、インドには公共の礼拝というようなものはないのです。寺院は大方の場合、功徳を積むための宗教行為として、富裕な人びとが建立するものなのです。

 もし人が莫大な財産を持っていれば、彼は寺院を建てたいと思います。その中に、彼はある象徴か神の化身の像を安置し、神の名でそれをお祀りするのです。妻子は、ローマンカトリック教会で行われるミサに似ていて、聖典の一部が朗読され、神像の前で灯明が振られ、神像はあらゆる点で、われわれが偉大な人に対するときとおなじように扱われます。それが寺院で行われることのすべてでしう。寺院に詣でる人が、それによって詣でない人より善い人と見られる、というわけではありません。もっと正確に言いますと、後者の方がもっと宗教的であると見られています。インドでは宗教は、各人の私的な問題なのですから、誰の家でも、小さな堂または一室が別に用意してありまして、彼は朝夕そこに行き、一隅にすわって礼拝をするのです。そしてこの礼拝は全く心の名かで行われるのであって、他人は彼が何をしているかを、聞きも知りもしません。ただ彼がそこにすわり、おそらく独特の形で指を動かしたり、鼻孔を塞いで妙な形で息をしえいるのを見るだけのことです。それ以上は、兄弟も彼が何をしているかは知らず、多分彼の妻さえも知らないでしょう。このように、礼拝はすべて、わが家の人目につかない処で行われるのです。自分の家に礼拝所を持つことのできない人は、川か湖か、海の近くに住んでいるなら海の、ほとりに行きます。しかし人びとは時折は寺院に行き、神像に敬礼をして、礼拝をします。それだけで、彼らの寺院への務めは終わるのです。それですからお分かりにように、ごく古い頃からわがクニデハ、マヌ法典にも定められ、寺院の聖職者になるというのは不名誉なことである、と書いてあります。その背後にはもう一つの考えがあります。すまり、教育の場合と同様、しかし宗教の場合には遥かにもっと強い意味で、寺院の神職がその仕事に対して料金を取るのは神聖なもので商売をすることである、というのです。ですから、貧しさのゆえに寺の神職という、彼に与えられたたった一つの職業をとらなければならなかったときのこの少年の心中をご想像下さい。

 ベンガルではさまざまの詩人たちの歌が、民衆の間で取り上げられてきました。それらはカルカッタの町の中や、到るところの村堂でうたわれています。それらの大方は宗教歌で、一つの中心思想は、おそらくインドの宗教に独特の、悟りという観念です。インドの宗教書で、この観念の息づいていないものは一冊もありません。人は神をさとらなければならない、神を感じなければならない、神を見なければならない、神に話しかけなければならないのです。それが宗教です。インドの空気は、神を見た聖者たちの物語に満ちています。このような教義が宗教の基盤をつくっているのです。そしてこれらの書物は知的な人びとのために書かれたものではありませんし、それらは推理によって理解できるものでもありません。なぜなら、それらはそこに書いてあることを実際に見た人びとによって書かれたものなのですから、彼らは、悟りというようなものは今生ででも得られる、またそれは誰にでも与えられているのだ、と言っています。そして宗教は、もしそう呼んでおければ右の能力が、開発されたときに始まるのです。

 これがすべての宗教の中心観念なのでありまして、それだからわれわれは、ある人が完ぺきな弁舌の力、または論理的な説得力をもって最高の教えを説いても人びとを傾聴させることができないのを見るかと思うと、もう一人の、自国の言葉もろくには話せないような貧しい男が、その存命中に国民の半数から神として崇拝されるのを見るのであります。インドでは、ある男が自らを悟りの状態にまで高めた、彼にとっては宗教はもはや推測の問題ではない、彼はもはや、宗教とか魂の不死とか神とかいうような重大な疑問に闇の名かを探るようなことはしていない、という話が何とかして広まると、あらゆる方面ら人びとが会いにやってきて、徐々に彼を拝みはじめるのです。

 この寺院には「至福の母」の像が祀ってありまして、この少年は、朝夕お祀りを行わなければなりませんでした。すると次第に、次の一つの思いが彼の心を満たすようになりました、「この像の背後に何かあるのか。宇宙に至福の母がいらっしゃるというのはほんとうなのか。彼女が生きて、この宇宙を導いておられるのだ、というのはほんとうか。それとも夢にすぎないのか。宗教には何らかの実体があるのか」

 この懐疑が、ヒンドゥの子供にはやって来ます。これは私たちの国の懐疑であります、自分たちがしていることはほんとうのことであるのか。すると、神と魂については今日までに作られたほとんどすべての学説が手元にそろっっているのですが、理論は私たちを満足させません。書物も学説もわれわれを満足させることはできません。幾千人のわが国人をつかんで離さない思いは、この悟りという思いなのです。神が存在するというのはほんとうか。ほんとうであるとすれば、私は「彼」を見ることができるか。私は真理をさとることができるのか。西洋人の心には、そのようなことは非現実的だ、とおもいわれるでしょう。しかし私たちにとっては、それはこの上もなく現実的な問題なのです。この理想のためには、人びとはいのちも捨てるでしょう。皆さんはいま、これをさとるためにどのように、古代から人びとがこの世の安楽と贅沢を捨てて洞穴にこもってきたか、また幾百の人びとが、聖河のほとりにすわるべきわが家を去ったか、ということをお聞きになりました。言葉の普通の意味での「知る」ためにではありません。知的な理解のためにではありません。実在の単なる合理的な解釈のためではなく、単なる暗中の模索のためでもなく、この世界がわれわれの感覚に訴えるよりもはるかにリアルな、強烈な自覚を経験するために、なのであります。それが理想なのです。私は今はそれについては何も申し上げませんが、これが彼らの心に深く刻まれている唯一の事実なのです。幾千人がいのちを縮めるでしょう。さらに幾千人がやすやすとしてあとに続くでしょう。そのようにこの唯一の理想のために、全民族が幾千年にわたって自らを否定し犠牲に供し続けて来たのです。この理想のために幾千のヒンドゥが毎年わが家を捨てます。そしてその中の大勢が、身に受けるさまざまの困難のゆえに死ぬのです。西洋人の心には、これは最も幻想的なものと映るに違いありません。また私には、このような見方の理由もよく分かります。それでも、私はしばらく西洋に住んでいるのですけれど、なお、この理想を人生における最も現実的なもの、と思わずにはいられません。

 ほかの何ごとでもを考えるあらゆる瞬間は−地上の科学の驚異について考える瞬間でさえ−私にとっては実に大きな損失です。もしそれが私を右の思いからつれ去るのであれば、、あらゆるものは無益です。あなたが天使の知識を持っておられるようと、けもののように無知であられようと、人生は束の間のものでしかありません。あなたがぼろをまとう最低の貧者であられても、最大の富者の富を持っておられても、人生は束の間のものでしかありません。あなたが西洋の大都市のとある街頭にすむ踏みみじられた人間であられようと、または幾百万の人びとを支配する皇帝であられようと、人生は束の間のものでしかありません。あなたが最良の健康体を持っておられても最悪の状態にあられても、人生は束の間のものでしかありまえん。あなたがこの上もなく詩的な気質を持っておられようと、またあ最も残酷な人であられようと、人生は束の間のものでしかありません。人生の解決はたった一つしかない、とヒンドゥは言い、その解決は彼らが神と呼び宗教と呼ぶものなのであります。もしこれらが真実であるなら、人生は説明のできるものとなります。人生は耐えられるものとなります。楽しめるもんもとなります。そうでなければ、人生は無用な重荷でしかありません。これが私たちの考えであります。しかし、どんなに推理を重ねても、これを証明することはできません。それは可能である、とすることができるだけ、それまでです。科学のいかなる部門に見られる推理の最高の証明も、ある事実を可能なりとするだけで、それ以上の何ものでもありません。物質科学の最も論証可能な事実も、可能性を示すだけでまだ事実ではありません。事実は感覚にあるのみです。事実は知覚されなければなりません。ですからわれわれは、州居を自分に証明するためにはそれを知覚しなければなりません。神はある、ということを確信するためには、神を見なければならないのです。宗教は事実である、ということを知るためには、われわれは宗教の事実を知覚しなければなりません。他の何ものでもなく、どれほど多くの推理でもなく、ただわれわれ自らの認識が、これらのことをわれわれにとっての事実とします。私の信念を岩のように堅いもととすることができるのです。これが私の考え、そしてそれがインド人の考えです。

 この考えがこの少年にとりつき、彼の全生活がそれに集中されることになりました。来る日も来る日も、彼は鳴きながら、「母よ、あなたがいらっしゃるというのはほんとうですか。それとも詩にすぎないのですか。至福の母は詩人やだまされた人びとの想像なのですか。それとも、そういう実在があるのですか」と尋ねるのでした。彼が書物の、いわゆる教育の、影響を受けていないことはすでに申し上げました。それだけにいっそう、彼の心は自然であり健康であり、それだけにいっそう、彼の思いは純粋であって、他者の思想を飲み込むことによって薄められていませんでした。彼は大学に行かなかったものですから、自分でものを考えました。われわれは障害の半分を大学で暮らしたものですから、他人の思想で頭がいっぱいになっているのです。さきほど言及した論説の名かでマックス・ミュラー教授は、これは清潔な、独創的な人であった、そしてその独創性の秘密は、彼が大学の囲いの内に育ったのではなかった、というところにある、と、まことに当を得たことを言っておられます。とにかく、この思い−神は見ることができるか否かという−は彼の胸中で日増しにつのり、彼はついに、ほかのことは考えることができなくなりました。もはや、祭祀をまともに行うこともできませんでした。こまかい手順を正しく追うことができなかったのです。しばしば、神像の前に供物を置くことを忘れました。時折灯明を振るのを忘れるかと思うと、他の一切を忘れて何時間も振り続けるのでした。

 そして、あの唯一の想いが毎日彼の心を占めていました。「あなたがいらっしゃるということはほんとうですか。おお、母よ、なぜあなたは話をなさらないのですか。あなたは死んでいらっしゃるのですか」 おそらく皆さんの中の何人かは、生涯の内に、退屈で生気のない、さまざまの抽象的な推論にあきあきし、結局は何の得るところもなく、一種の知的アヘンの吸引にすぎない書物の勉強にあきあきし−アヘンは時刻を決めて吸わないと死ぬ−これらに疲れはてて、心の底から泣き叫ぶ瞬間のあるのを憶えておいででしょう。「この宇宙間に、私に光を見せてくれる者はいないのか。あなたがいらっしゃるなら、私に光を見せて下さいなぜ、あなたはお話しにならないのですか。なぜあなたは出てきて下さらないのですか。なぜ大勢の使者ばかりよこして、ご自分で私のところに来ては下さらないのですか。この争いと対立の世界で、私は誰に従い、誰を信じたらよいのですか。もしあなたが平等にすべての男と女の神でいらっしゃるのなら、なぜあなたの子供のところに来て話しかけ、彼がお待ちしているかどうか、見ては下さらないのですか」 まあ、深く意気消沈したときには、われわれすべての心にこのような想いが浮かぶものです。ところが、われわれの周囲には実に誘惑が多く、次の新刊にはわれわれは忘れているのです。一瞬間、われわれは輝く光明の中にとび込むか供も割れました。しかし、動物人間がまたしても、これらすべての天使のようなヴィジョンを振るい落とすのです。われわれは落下する、もう一度動物人間、くり返しくり返し、食べて、飲んで、死んで、死んで、飲んで、食べるのであります。しかし、ここに例外的な心があります。それは、そうやすやすとはまぎらされず、途中でどのような誘惑に会っても、一度惹きつけられたものは見放さない心、生命が滅びなければならないものであることを知って、真理をこそ知ろう、と欲する心であります。そのような心は言います、生命は高貴な克服の名かで死なせるがよい、このより低い人間に打ち克つよりも高貴な克服、この生死の、善悪の、難問の解決よりも高貴な克服があろうか、と。...........


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