霊性の師たちの生涯
(B6版、432頁)
定価(本体1300円+税)
本書は、一九四〇年から四二年にかけてラーマクリシュナ・ミッションの出版所アドワイタ・アシュラマから発行された次の三冊を翻訳、一冊にまとめたものである――
A SHORT LIFE OF SRI RAMAKRISHNA
A SHORT LIFE OF THE HOLY MOTHER
A SHORT LIFE OF SWAMI VIVEKANANDA
小伝ではあるけれど、いずれも聖者たちの生前の記憶まだ新たな時期に、彼らに最もゆかりの深い人々の手によって記されたものであるから、ラーマクリシュナ・ヴィヴェーカーナンダ文献の読者には必ず何かのご参考になる、と信じて出版したものである。
一九八一年十月五日 日本ヴェーダーンタ協会
4 ドッキネッショルの寺院で
5 母なる神
6 神に酔う
7 バイラヴィ・ブラフマニーとヴィシュヌ派の聖者
8 絶対者との合一
9 他の信仰を経めぐる
10 妻の内に神性を見る
11 巡礼
12 ある著名な人々との接触
13 信者たちが来る
14 出家をした弟子たち
15 女性の信者たち
16 最後の日々
17 ドラマの終り
18 没後
言葉の断片
第二部 サラダデヴィの生涯
原書の序文
シスター・ニヴェディターの手紙
1 サラダマニの発見
2 村のかわいい子
3 結婚
4 ドッキネッショルへの初めての訪間
5 師との関係
6 純真な心
7 ドッキネッショルでの日々
8 将来を予見させる
9 シュリ・ラーマクリシュナの死去
10 試練と苦難
11 カルカッタとジャイランバティで
12 霊性の力として
13 愛そのものなる母
14 最後の日々
言葉の断片
第三部 ヴィヴェーカーナンダの生涯
原書の序文
1 少年ナレンドラナート
2 シュリ・ラーマクリシュナに会う
3 変容
4 遍歴僧
5 旧世界から新世界へ
6 宗教会議で
7 アメリカで教師として
8 イギリスで
9 愛するインド
10 同胞に告げる
11 東西の弟子たちと共に
12 二度目の西洋訪間
13 別れの前のひととき
14 他界
言葉の断片
本書は、その教えが大きくいよいよ急速にひろまりつつあるシュリ・ラーマクリシュナの、もっと短い伝記がほしいという一般のつよい要望にこたえるものである。材料は、若干の他の書物も参考にはしたが、主としてわれわれが出版した「シュリ・ラーマクリシュナの生涯」から取った。しかし計画は全く異なるものである。この小冊子によってできる限り完全な師の像が得られるよう、巻末に少しばかり師の言葉をのせた。本書が多くの読者の内にシュリ・ラーマクリシュナの生涯をもっと詳しく学びたいという興味をよびさますことを期待するものである。
一九四〇年二月十三日
ヒマラヤ山中、マヤヴァティ
アドワイダ・アシュラマにて
発行者
民族の歴史は一日で成るものではない。それはさまざまの創造的な力の、幾百年にわたる無言のはたらきの結果である。一民族の特異な文化はこのようにして形成されるのである。インドの歴史は、その文化的伝統に忠実な民族は決して滅びない、ということを証明している。
宗教は、インドの民族の生命の背骨である。大古以来、インドは無数の変遷を経験した。彼女がそれらを経て生き残ったのは、その民族が常に、自らの霊的本性に対して忠実だったからである。民族の生命に霊的危機が訪れると必ず聖者すなわち予言者が生まれて、人々をさし迫った危険から救った。シュリ・クリシュナ、ブッダ、シャンカラ、ナーナク、チャイタニヤ――それぞれが、自分の生まれた時代の大きな要求をみたした。
十九世紀、インドは重大危機に直面した。イギリスに征服されると同時に西洋の文明がこの国にどっと侵入し、勝利国の物質力を畏れ敬ったインド人は、西洋のものなら何でも歓迎した。やがてキリスト教――世界最大の改宗をすすめる宗教の一つ――が、この国の完全な文化的征服をめざして黙って働きはじめた。
この際どい時期に、インドの文化と宗教の精神の権化、シュリ・ラーマクリシュナは現れた。かれは、ヒンドゥイズムの美しさ、気高さ、および力強さに対するインド人の信仰が甚しく衰えたときに、それらに対する彼らの眼を開いた。かれの生涯は、インド文化の精神を蝕もうと試みたあの外国の勢力に対する、とりでとなったのである。
シュリ・ラーマクリシュナが生まれたのはヒンドゥイズムを恐ろしい災難から救うためばかりでなく、言わば、すべての信仰を活き返らせるためでもあった。かれが自分の宗教以外の諸宗教をも実践してそのすべてが真理であることを直接経験した結果、如何なる宗教に属する人も、自分が奉ずる宗教に対する自分の信仰が強化されたことを知るのである。その意味で、シュリ・ラーマクリシュナの生涯は、世界的風潮である宗教不信の流れを阻止したことは確かである。すでに、かれの霊的自覚の影響は諸外国に及んでいる。年が重なるにつれて更に力を集めるであろうことを誰が疑い得よう。シュリ・ラーマクリシュナはヒンドゥイズムだけでなく、すべての宗教を代表しているのだから。
十八世紀の半に近く、ベンガル州フーグリ地区のデレイポル村に、マニク・ラーム・チャットパーディヤーヤを家長とするブラーミンの一家が住んでいた。家長は信仰心の厚い、深切な男だった。五十エイカーの土地を管理して一家の生計を支えるだけでなく、災害のときには村の貧しい人々に救いの手をさしのべることもできた。一七七五年頃にかれは一人の息子を恵まれ、クディラームと名づけた。そのあと二男一女がつぎつぎに生まれた。マニク・ラームの死後一家経営の全責任は長男クディラームに委ねられた。正統派の家庭の伝統の中で訓練されたかれは、聖俗両面の多様な家の務めを果たすのによく適していた。クディラームも妻のシュリマティ・チャンドラマニも共に家の守護神シュリ・ラーマチャンドラに非常によく仕え、またその慈悲心と誠実さとによって村人たちの敬愛の的となった。
一八一四年、クディラームの生涯にとって非常に重要なことが起った。この土地の地主が、借地人の一人に対して起した訴訟を有利に導くために、かれに、偽りの証言をしてくれと頼んだ。しかし、かれの誠実さは恐れを知らぬものであったから、正義の道を一歩たりともふみはずすよりはむしろ自分のすべてを賭けよう、と覚悟した。地主の依頼への断乎たる拒絶は報復としてかれの上に厳しい迫害をもたらし、ついにかれは、父祖伝来の家を永久に去らなければならなかったのである。金も家もなく、クディラームはデレイポルに別れをつけてカマルプクルという近くの村に落着いた。友人の一人の厚意により、ここに、一家のつつましやかな要求をみたすには足りる、よく肥えた半エイカーの土地を得たのである。
カマルプクルの村はフーグリ地区の西端にあり、プリすなわちジャガナートの聖地に行く道に接している。村はかつては大そう繁栄し、さまざまの美術工芸品の産出によって知られていた。当時の繁昌のさまは、古い建物の破片の山や、立派な塀や寺院の廃墟や、幾つかの大きなため池の存在などによって今も明らかである。クディラームはこの村の静かな平和な環境の中で新たに生活をはじめ、間もなく村人たちの注目と尊敬の的となった。ある日、隣村からの帰途、クディラームはふしぎにも、田んぼの中でかれの家の守護神ログヴィル(ラーマ)の象徴を手に入れた。かれはそれを家に持ち帰り、自分のイシュタとして拝みはじめた。クディラームもチャンドラも共に、その模範的な生活態度、愛する家の神への深い信仰、および助けを求めて訪ねて来る人すべてに対する溢れるような深切によって、村人たちを深く感動させた。このようにして、クディラームの家は決して裕福ではなかったが、数多の悩めるハートにとって、大きな慰めの源泉であった。
カマルプクルに住むこと六年の後に、クディラームは息子と娘を結婚させた。ラームクマールと呼ばれたその息子はすでにヒンドゥの伝統の知識を十分に身につけ、何がしかをかせぐことによって父親の重荷をある程度助けていた。それゆえクディラームは、いまは前よりも長い時間を、自分の宗教的修行に割くことができた。一八二四年に、かれは徒歩で約一年間、ラーメシュワルを始めとする南インドの各地に巡礼の旅をした。それから十二カ月の後、一八二六年に、妻のチャンドラは二番目の男の子を生み、この子はラーメシュワルと名づけられた。それから約十一年の後、一八三五年に、クディラームはもう一つの巡礼に――このたびはガヤに――出かけた。ここで、祭祀の終ったあと、夜、かれはふしぎな夢を見た。かれがヴィシュヌ神の聖堂内におり、そこではかれの祖霊たちが、かれが献げた供物を楽しんでいるのである。突然、神々しい光の洪水が聖所をみたし、死者の霊たちはひざまづいて、そこに現れた、玉座の上にすわっている神の姿を礼拝した。光り輝く存在はクディラームをさし招き、近づいたかれにこう言った、「私はお前の深い信仰を喜んでいる。私はお前の家に生まれ、お前を父とするであろう」クディラームは喜びに胸が高鳴るのを感じて眼がさめた。かれは、間もなく神がわが家を祝福なさるものと理解した。
同じ頃に、チャンドラデヴィもカマルプクルで、ふしぎなヴィジョンを得ていた。ある夜、夫にそっくりの、光り輝く人物が傍らに横たわっているのを夢に見た。また別の日に、ダニ(かじ産階級に属していた村の女)と一しょに家の隣のシヴァ聖堂の前に立っていると、太い光の柱が主シヴァの御像から発して彼女の体内に入った。チャンドラは圧倒され、失神して地に倒れた。ダニが介抱して意識を取り戻させたが、そのときから、彼女は妊娠しているかのように感じはじめた。クディラームがカマルプクルに帰って来ると、チャンドラは性来の正直さと純真さとをもってこのことを夫に話した。しかしすでにガヤでふしぎなヴィジョンを得ていたクディラームは、間もなく自分たちに神の子が授かるのである、ということを今やはっきりと確信した。かれは、得たヴィジョンのことを誰にも話すな、と彼女に教えた。チャンドラは非常に慰められ、ログヴィルの思召に一切を委ねて日をすごした。
クディラームとチャンドラとが待ちこがれていためでたいときがついに来た。一八三六年二月十八日、後に世界がシュリ・ラーマクリシュナという名で知ることになる男の子が生まれたのである。有名な占星家たちがこの子の偉大な将来を予言し、クディラームはこのことが自分の得たヴィジョンおよびチャンドラの経験を確証するので非常に喜んだ。がれは、自分がガヤで見た驚くべき夢を記念して、かれをガダーダルと名づけた。
生まれ落ちたそのときから、ガダーダルは両親や身内の人々ばかりでなく、近所の人々までを夢中にさせてしまった。彼らは、都合がつけば必ず、ひと目ガダーイ――このように愛称された――を見るためにクディラームの家に行かずにはいられなかったのである。
年月はたち、ガダーダルは今は五歳になった。すでにこの頃から、かれは驚くべき聡明さと記憶力とを見せはじめた。早熟なこの子は、かれの先祖たちの名前と、さまざまの神々や女神たちの讃歌や民族の大叙事詩の中のさまざまの物語をそらで憶えてしまった。かれが落着かなくなったので、クディラームはかれを村の小学校に送った。学校では、ガダーダルはかなり進歩した。しかし、かれは非常に数学を嫌った。霊的英雄たちの生涯と性格の研究に、その注意力のすべてを集中した。このような問題の不断の研究は、しばしばかれに世間を忘れさせ、かれを深い瞑想に没入させた。長じるにつれて、宗教感情がよびさまされると必ず、トランス状態に入るようになった。間もなく、宗教的な事柄だけでなく、美しい景色とか、何かの感動的な出来事もまた、じきにかれを忘我の状態におとしいれる、ということが分った。あるとき、この種の一つのでき事が、両親および身内の人々を深く憂慮させた。後年、シュリ・ラーマクリシュナは信者たちに、このでき事を次のように話してきかせた――
「あの辺の田舎(カマルプクルのこと)では、男の子たちは昼めしにふくらし米をもらう。これを、彼らはヤナギを編んだ小さなかごに入れるか、もし非常に貧しければ着衣の端に包んで、持って歩く。こうして、道ばたや野原で遊ぶのだ。六、七歳の頃、六月か七月のある日、私はかごの中のふくらし米をたべながら、せまい田のあぜ道を歩いていた。空を見上げると、美しい薄墨色の雷雲が出ていた。それが急速にひろがって空一面をおおったとき、雪のように白いツルの一群が、それを背景にして頭上を飛んで行った。それは実に美しい対照を見せたので、私の心は遠く離れた世界にさまよって行ってしまった。外界の感覚を失って、私は倒れ、ふくらし米は四方八方に散らばった。ある人々がそういう状態の私を見つけ、抱いて家に送りとどけた。それが、私が忘我の状態に入って完全に意識を失った最初のことだった」しかしかれがこのような経験をしたのはそのときだけではなかった。少年時代に他に二度、そのようなことがあった――隣村の寺に参詣に行く村の年配の婦人たちに同行した途中で一度、またシヴァラートリの夜、村の芝居でシヴァの役を演じているうちにふたたび――少年ガダーダルは深いトランス状態に入り、容易には通常意識の段階につれ戻すことができなかった。
一八四三年にクディラームが亡くなり、家庭の重荷は全部、長男ラームクマールの肩にかかった。クディラームの死はガダーダルの心に大きな変化をもたらし、いまは、愛深い父の死の悲しみと同時に、この世の生活のうつろい易さを痛切に感じはじめた。幼いにも似ず、そばのマンゴー林や近くの火葬場にしばしば出かけてゆき、そこで長い間、思いにふけるようになった。しかし、かれは愛する母への務めは決して忘れなかった。前ほどしつこくは物をせがまないようになり、あらゆる方法で母の悲しみを和らげ、母の憂うつな生活にできる限り喜びと慰めを吹き込もうと努力した。
ガダーダルは間もなく、近くのラーハー家が旅人たちのために造った休息所に一日か二日ずつとう留する遍歴僧たちと交わることに、新たな楽しみを見出した。ある日チャンドラは、可愛い息子が全身に灰をまぶし、布をサードゥのようにまとって彼女の前に現れたのでびっくりした。このような巡歴の僧たちと交わり、彼らの聖典の朗読にきき入るうちに生まれつき敏感な少年の心はますます瞑想に惹かれ、隠れていた出離の念がめざめはじめた。ガダーダルは今は九歳、聖糸を受ける時期となった。これに関連して珍しいでき事があった。授与式の直後、授けられた者は最初の施しを身内の者かまたは同等の社会的地位にあるブラーミンから受ける、というのがブラーミンの家庭のしきたりである。しかし、この子の産婆をも勤めたかじ屋階級の女ダニが、かれに最初のビクシャー(施し)をする特典を自分に与えてくれ、とずっと前にガダーダルに懇願し、少年も彼女の純粋な愛に動かされてそれを承知していた。投与式が終った後、ガダーダルは身内の人々のくり返しての反対にもかかわらずこの約束を守り、ブラーミンの家庭の古いしきたりを破ってこのシュードラ階級の女から最初の施しを受けた。さ細なことではあっても、このでき事は無意味なものではない。この若さでの一歩もゆずらぬ真理への愛と因習にとらわれぬ態度は、少なからず、ガダーダルの隠れた霊的天分と洞察力とを反映し、この少年が何者であったか、ということを明らかにしている。かれにとっては真の愛と信仰とが社会の制約よりも大切だったのだ。この頃、一度ならず、ガダーダルの頭脳とハートの天成の素質が明らかになる機会があった。聖糸授与式の後間もなく、ある出来ごとがあって、それがかれを村びとたちの前に始めて教師として登場させた。かれは当時わずか十二歳だった。ある日、土地の地主の家で、ある微妙な問題について何人かの学者たちが行なっている活発な議論に、夢中になってきき人っていた。彼らが正しい解答を見出し得ないているのを知って、この少年はパンディットたちの一人に向かって自分の意見を述ベ、これが答えではなかろうが、と尋ねた。ガダーダルの答えは実に妥当でしかも論争の要点をつかんでいたので、学者たちは、こんな幼い子供が心理的にはこんなにも成熟しているのを見て驚嘆したのである。
しかしこの頃から少年の学校嫌いは一層著しくなった。他の少年たちと一しょにしばしば学校を休み、一日の大方をさまざまの遊びに費した。ガダーダルは大勢の少年たちに芝居のやり方を教え、近くのマンゴー林の中でそれを上演した。かれの気に入りのテーマはシュリ・クリシュナの生涯のさまざまの出来ごと、色白で、なだらかに垂れる髪を持ったこの少年は、頸に花輪をかけ唇に笛をあてて、しばしばシュリ・クリシュナの役を勤めた。これらのテーマによび起された感動に圧倒されて、かれはしばしばトランス状態に入るのだった。ときには、少年たちが声を合わせてうたうサンキルタン(信仰歌。よく踊りを伴う)に、マンゴー林全体が鳴り響いた。このように、これらの神聖な遊びに深く没頭してガダーダルは学校教育への興味を全く失い、かれに豊かな霊的刺激を与える叙事詩やプゥラーナなどの聖典の研究にますます熱心になった。しかし少年のこの浮世離れのした態度は、かれの兄たちの大きな心配のたねとなった。間もなく、もう一つの不幸が家族を襲った。ラームクマールの妻が、幼い息子を年老いた祖母の手に残して亡くなったのである。同時に思いがけなくラームクマールの収入も減り、借金を余儀なくされるようになったので、かれは生活費を得るためにカルカッタにゆき、市の中央のジャマープクルにトル(サンスクリットの学校)を開いた。家の管理は当然、ラーメシュワルの仕事となった。しかし、ガダーダルは依然として学業には無関心だった。一日の大部分を、ログヴィルの礼拝または聖典の中の章句の読誦と、年老いた母の家事を助けることに費していた。日がたつにつれて、学校教育への嫌悪は一層著しくなった。そして間もなく、それが何であるかは分らないが、自分は今生である大きな使命を果たすことになっているのだ、という思いが、かれの心中にはっきりとしはじめた。かれにとっては神を悟ることが、考える値打のあるたった一つの目的だった。主のために一切をすてて物乞いの鉢を取りたいのが山々であったが、生活の保証を持たない母と兄たちのことを思うとそれはあきらめざるを得なかった。二つの考えの間でもがきつつ、かれは途方にくれて、ログヴィルの導きに一切を委ねる以外、なすところを知らなかった。かれが、この苦境を脱する道をお示し下さるだろう、と深く信じたのである。
一方、ラームクマールは、カルカッタでひとりで自分の仕事の全部を行なうことに大きな困難を感じはじめた。カマルプクルに帰ってきたとき、かれはガダーダルが奇妙にも学業に全く無関心なのを見た。そしてかれが学校に行かず、遊び友達と共に村の中をさまよっていることを知ると、兄はかれをカルカッタにつれてゆき、勉強をさせると同時に自分の仕事の手伝いをさせよう、と決めた。ガダーダルは喜んでこれに同意し、ある吉祥の日に、ログヴィルと母との祝福を受けて出発した。
カルカッタに着くと、かれは聖職者(注=家の神の祭祀を行う)の仕事を託され、喜んでこれを引受けた。ここでもまた、その素朴さと誠実な人柄と、そして魅力ある振舞とによって、間もなく、尊敬すべき家庭に属する人々ばかりから成る友人や讃美者たちのサークルをつくった。しかし、何カ月かの後に、ガダーダルが相変らず学業に興味を示さないので兄は当然心を痛め、ある日かれをわきに呼んでその不勉強を戒めた。「兄さん、ただのパンをかせぐための学問をして何になるのでしょう。私はむしろ、自分のハートを照らす、またそれを得ることによって人が永遠に満足する、あの知恵が欲しいのです」というのが、少年のいきいきとした答えであった。ラームクマールはこの驚くべき少年の心の異色の変容に対して全く無知であったから、この鋭い答えの持つ意味を、ほとんど理解することができなかった。少年は今は一段と深く、かれが一般の人々とは異なる目的のもとに生まれていることを自覚していたのである。それゆえラームクマールは末弟からこの率直な、鋭い答えを得て当惑した。この少年を説得し、熱意をもって勉強するように導こうというかれの努力は全く無益に終ったのだ。かれはもう、一切をログヴィルの意志に任せる以外、なすところを知らなかった。するとやがて、若いガダーダルの遠い将来にまで影響を及ぼすことになる一つの出来事が、全く思いもかけぬ方向からやって来た。...........