瞑想と霊性の生活
時の砂の上に残った足跡(2)
南インドのシヴァ派(シャイヴァ)の聖者たち
一つの伝説によると、シヴァ崇拝はティルムーラルという聖者によって、北インドから南インドに伝えられたという。その真偽は別として、シヴァ崇拝はインド全体に非常に古いのである。南では、それはナーヤンマールという聖者たちがこれに関係があって、タミール・マドゥの重要なシヴァ寺院のすべてに、彼らの像が見いだされる。ヴィシュヌ派のアールワールと同じようにこのシヴァ派の聖者たちも、あらゆる階級の人びとであった。彼らの中にはブラーミン、王たち、焼き物師、商人、、農夫、狩人、羊飼いおよび漁夫たちがいた。彼らすべての時代をはっきりと知ることはむずかしい。アーチャーリヤと呼ばれる、彼らの中の最も重要な四人は、七世紀から九世紀の間に生きていた。彼らは、アッパラ、ギャーナサンバンダル、スンダラムールティ、およびマーニッカワーチャカルであった。最初の三人による讃歌はデワーラームと、最後の聖者のは、ティルワーチャカムと呼ばれている。これらは、南部のすべての重要なシヴァ寺院でうたわれている。これら四人の聖者たちは、神への四つの異なる態度を示している。アッパルは召使いの道(ダーシャ・マールガ)をとった。ギャーナサンバンダルは、善き息子の道(サットプッタラ・マールガ)を、スンダラムルティは友の道(サハ・マールガ)を、そしてマーニッカワーチャカルは、真の道(サット・マールガ)と呼ばれるもの、つまり、知識の道をたどった。
偉大な聖者たちの生涯は奇跡にみちている。アッパルはヴェッラーラスという比較的低い階級に生まれた。若いときにはジャイナ教を奉じていたが、姉の影響でシヴァ派に転じた。彼はそれ以来、主シヴァの栄光をうたいつつ、寺々の境内で草をむしるというようなつつましい仕事をしながら、各地を放浪して生涯をすごした。彼の詩は、彼の高い心境を示しており、その中の一つで、彼はこううたっている。
木の中の火のように、ミルクの中のギーのように、
「輝く御方」がうちに隠れていらしゃる。
まず「愛」の撹拌棒を据え、
智恵なるコードをまきつけよ、
それから、まわせ――神があなたに視力をお授けになる。
もう一つの讃歌はこう言っている、
彼、我らの母と父、彼、我らの兄弟姉妹、
彼、三界の創り主、もし我らが心の中に、
神々の「愛しい御方」そして花の都の
この「住人」を憶えているなら、
彼はすべてのものの見えない「救助者」であろう。
「アッパル」という言葉は父という意味である。もう一人の聖者、ギャーナサンバンダルがこう呼んだので、彼はこの名を得たのだ。この若い方の聖者は、ブラーミンの生まれであった。サンバンダルが幼かったとき、女神パルヴァティみずからが地上におりてきて、母として彼を養ったと言われている。その後に彼は神童として、また偉大な聖者として花開いた。彼は齢十六歳でなくなった。
第三の偉大な聖者はスンダラムールティ、ブラーミンの両親のもとに生まれた。彼の結婚の日と定めれたときに主シヴァが老人の姿をとって現れ、彼は自分の奴隷である、と主張した、と言われている。彼はそれ以後、主シヴァを賞賛しつつ南インド全域を放浪した。彼もまた、若くて死んだと言われている。
第四の偉大な聖者は、マーニッカワーチャカルであった。彼もやはりブラーミンだったと言われており、若くしてパンディヤの王の宰相となった。あるとき、馬を買って来る、という仕事を任された。しかし途中で彼はグルとしてのシヴァのヴィジョンを得、「彼」の命によって馬を買うはずの金を、シヴァの聖堂を建てるのに費やした。大臣の務めを忘れ、彼は主に仕えつつそこに生きた。ティルワーチャカムという彼の讃歌の本は、南インドで最も人気のある信仰の書物であり、また最高の文学的価値を持つものでもある、と言われている。タミールには、この聖者の讃歌をきいて溶けないハートを溶かすことのできるものはない、という通り言葉がある。彼は、妥協を許さぬ一神教を、そして神への合いを、彼は悟る道として、説いた。しかし彼の神への愛は、知識を加味されていた。ティルワーチャカムの中で、彼は言っている、
つくられた時と空間を超えて、あなたはいらっしゃる、
始めも終わりもなく。
それでもあなたは、あまたの世界をつくり、
維持し、破壊し、生み出される。
そしてさまざまの生涯を通じて恩寵により、
献身的奉仕へと、私を導いて下さる。
香りのように目に見えず、あなたは遠くてしかも実に近い。
おお、不可思議な神秘、言葉も思いも及ばぬ御方
砂糖きびの甘いジュースや新鮮純粋なミルクの
中のクリームのように確実に、
あなたの蒸留された至福は、あなたに愛されている
信者たちのハートに浸透する。
おお、力強い主よ! 誕生の連続を千々におくだきになる。
偉大な書物の全体が、創造の不思議、神の本性、および魂の見神の体験への深い洞察にみちている。しかしいっさいが、強烈な愛とまじり合っている。つぎのような言葉が、書物の中の至るところに見いだされている。
急げ、おお、花輪を持って急ぎ、
「彼」の御足をしばれ。
囲み、まわりに集まり、ついて行って離れるな。
だきしめよ、彼が逃げても。
比べるもののない「御方」の来臨をつげ、
私を「彼」の身内となさった――賢者「彼」が来て、「ご自身」を私に見せて下さった。
書物、ティルワーカチャムはまた、至高霊に合一するまでに魂が通過するさまざまの段階を描写している。この偉大な聖者は、三十二歳で亡くなったと言われている。
残る聖者たちの中では、狩人のカンナッパルと不可触賎民のナンダナールが最も有名である。三人の女性聖者たちもいて、その中で最も有名なのはカーライッカール・アンマイヤールであった。若いとき彼女は非常に美しく、ある富裕な商人と結婚した。間もなく若い夫は、彼女が非凡な浄らかさと信仰心を具えた聖者であることを見抜いた。彼は、彼女とともに世俗の生活を送ることを欲しなかった。秘かにその場所を去り、遠い国に住みついて別の女性と結婚した。カーライッカール・アンマイヤールはこのことをきくと、彼にあいに行った。しかし、夫と彼の新しい妻は彼女の足下にひれ伏し、彼女の身内の人びとに向かって、自分たちは彼女を神人とみるのだ、と話した。この聖なる夫人が自分の結婚生活が終わったことを知ったとき、彼女は主シヴァに、私の天上の美しさを除いて下さい、と祈った。たちまち彼女は、恐ろしい容姿の老女と変わった。夫人たちは、この犠牲の偉大さを評価することができるだろう。彼女はその余生を、ティルワーランガードゥという所ですごした――肉体意識からは完全に解放されて、常に主シヴァの偉大な宇宙の踊りを見まもりながら。主みずからが、彼女を「私のお母さん」と呼ばれた、と伝えている。彼女は自分が至り得た究極の境地について、その詩の一つでこう言っている、
私達は死を克服し、地獄を避けた。私たち善き、また悪しきカルマの束縛を引き抜いた――このすべてはトリプラースラのとりでを彼の眼の火で焼いて灰になさった主の聖き御足に自分を結びつけることによって、なしとげられたのである。
聖典に記された六十三人の古代の聖者たちのほかに、後に現れた他の聖者たちもいた。その中の一人は、十世紀の少し前に生きていた、パッティナッタールであった。彼は、海をわたって大きな商売をしていた富裕な商人であっった。ある日彼は、高価な商品をつんで暴風にあった彼の船の一隻が無事に港に着いた、という知らせを受けた。大喜びで、彼は波止場に行った。るす中に一人の托鉢の修行者が来て布施を乞うた。家の婦人は彼に、夫が来るまで待ってくれ、と頼んだ。しかし彼はそれには耳をかさず、一つの小さな箱をそこに残して去った。パッティナッタールが帰宅したとき、妻はその箱を彼に渡した。あけてみると、そこには、折れて目のない針が一本、入っているだけだった。死後にはこの折れた針のような無価値のない物さえ、自分にはついては来ないのだ、という真理が突然、彼の心にひらめいた。彼はただちに自分の財産を貧しい人びとに分け与え、世をすてて托鉢修道者の生活に入った。前に王であった一人の男が弟子として彼につき従い、二人は何年かの間、歌をうたって各地を遍歴した。
子供のような性質を得て、彼はよく、羊飼いの子供たちと遊んだ。ある日、いたずらっ子たちが穴を掘り、その中に彼を立たせて、あごのところまで、掘り出した土で埋めた――すべて冗談である。ところが突然豪雨が降りだしたので、子供たちは老人のことをすっかり忘れて逃げ帰った。夜中冷たい風雨にさらされて、聖者は亡くなった。パッティナッタールがのこした詩は、感覚の楽しみがかりそめのものであること、人生のはかなさ、および神的な生活にめざめることの必要を語っている。彼の道徳についての警句は、タミール・ナドゥのあらゆる所で格言として使われている。
シヴァ派聖者たちの経歴は、絶えることなく今日までつづいてきた。これが、われわれがこの貧しい国の中で享受している特典である。物質的には貧しいが、霊的伝統は豊かなのである。十八世紀に、ターユマーナワルという、南インドで最も偉大なそしてたしかに最も人気のある、シヴァ派の聖者たちの一人がいた。若いときに彼はある王の宮殿の家令となり、タミール語とサンスクリットの信仰書と哲学書を十分に学んだ。彼は、マウナ(沈黙)の行を修行中のある賢者にあって非常に心を惹かれた。未亡人となった王妃が自分と王国とをこの若い男にささげようと申し出たので彼ははねつけ、そこを去った、と言われている。彼はそれから別の所に行って敬けんな娘を娶り、有徳の生活をした。彼の一人息子が成年に達したとき、かの沈黙の賢者が突然彼の前に現れ、いまが世を放棄するときだ、と彼をうながした。ターユマーナワルは残りの生涯を放浪の吟遊詩人として、彼の高度に哲学的な詩をうたいながらすごした。それらの詩の中で、彼はヴェーダーンタとシャイヴァ・シッダーンタ、つまり南インドのシヴァ派の聖者たちの哲学を調和させようと努めている。
ターユマーナワルによると、神、魂、および自然は三つの究極のカテゴリーである。ちょうど太陽が生きた世界にエネルギーを与えるように、神はすべての魂たちと自然を支え、これらの生命を与えている。「至福の中の歓喜」(アーナンダッカリップ)と呼ばれる彼の作品の一つの中で、彼は究極の悟りの性質を描写し、最高経験の中ではどのようにバクティとギャーナとが一つになるかを示している。ターユマーナワルは偉大な詩人であり、非常に高い序列に属する見神者であった。
シヴァ派の聖者たちの教えは十三世紀に、マイカンダールという賢者によって十二の格言という形に、聖典としてまとめられた。シヴァギャーナボダムと呼ばれる彼の仕事には、彼の弟子アルルナンディが注釈をつけた。この哲学はさまざまの点で、ラーマーヌジャの限定非二元論に似ている。いままでのところわれわれは、タミルナドゥの偉大な聖者たちについて話しただけである。南インドの他の地域からも、多くの聖者が出た。私はこれらの中の、カルナカタから出て二人だけについて話そう。二人はプウランダラダーサとよばれたヴィシュヌ派の聖者で、音楽の、カルナーティックまたは南インド的体系の父としてひろく認められている。もとは、そのけちん坊で知られた金持ちであったが、後にはその富を全部すて、マハラシュトラ、パンダルプールの有名な祭神ヴィッタラのつつましい一信者として、その生涯をすごした。彼の楽しい歌――その幾千が知られている――は南インドの到るところできくことができる。
もう一人の聖者はバサウェシュワラと言い、シヴァの偉大な信者であり、また十二世紀の偉大な改革者でもあった。彼はブラーミンの出で、国の王の大臣になったと言われている。彼のワチャナ(寸鉄詩、鋭い警句と風刺を含む短い詩)は、人は神の前では平等であるということ、シヴァへの純粋な愛と信仰の必要、を説いている。彼は、もともとは階級制度と社会悪への反対運動として出発した、ヴィラシャイヴァ哲学の、その一派の、創立者と見られている。全宇宙は、この体系の中では、シヴァのクリダ(遊び)と見なされる。この派から生まれた偉大な女性聖者の一人が、アッカ・マハーデヴァであった。王と結婚したのだが、彼女は世を放棄して、山の頂、シュリ・サイラムの森の中で暮らした。彼女の詩はカルナタカ中で有名であり、それらはシヴァへの強烈な愛を表している。彼女はシヴァを、チャンナ・マリカールジュナと呼んだ。霊的生活において進歩するにつれ、彼女はあらゆるものの中に神の遍在を感じた。その詩の一つの中で、彼女はこう言っている――
森はすべて、「あなた」です、
森の輝く木々はすべて、あなたです。
木々の間を動く鳥けものはすべて「あなた」です。
おお、チェンナ・マリカールジナ、
私にあなたのお顔をお示し下さい、
一切物に浸透するあなたの御顔を。
最高の霊的経験について、彼女はこう言う――
それはリンガだ、と私は言わない、
それはリンガと一つだ、と私は言わない、
それは結合だ、と私は言わない、
それは調和だ、と私は言わない、
それは起こった、と私は言わない、
それは起こらなかった、と私は言わない、
それはあなただ、と私は言わない、
それは私だ、と私は言わない、
チェンナ・マリカールジュナの中の
リンガとひとつになってからは、
私はまったく、何も言わない。