スワミ・ヴィヴェーカーナンダの思い出(10)
私がみたスワミ・ヴィヴェーカーナンダ
シスター・クリスティン
インドが直面する幾つかの問題
私たちには、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの思想が一貫していないように思われることがしばしばあった。数日間も立て続けに、彼は幼時結婚、階級制度、婦人の覆面、宗教における感情主義などを痛烈に非難してこれ以外の見方はないと私たちに思わせた。それから全く突然、これらの所説を全部従順に受け入れたことに反発するかのように、彼は自分の意見に同意した人々を罵り、自分が前に主張したことを全部叩き壊して、その反対が正しいことを断固として証明するのだった。「しかし、スワミジ」と誰かが困惑して言った「あなたは丁度その反対のことを昨日おっしゃいました」「そうです。あれは昨日の意見でした」と彼は答えるとすれば答えた。二つの異なる意見を調停しようとも、それに説明を加えようともしなかった。私たちが彼の思想は一貫していないと考えたとしても、そんなことは彼にとって何であったというのか。エマーソンも言っているように「馬鹿げた一貫性は小心者の茶番劇である」彼は人生のあらゆる問題を私たちよりも優れた立場から見ていた。彼のもの見の塔からは、周囲の土地はその風景の一部である私たちに見えるのとは異った姿に見えたのだ。彼は「分りませんか。私は声に出して考えているのですよ」と言うだけであった。
私たちは、彼がすべての肯定理由と否定理由とを慎重に比較した上で一つの結論に達していたのだ、ということをずっと後になって知った。このことは、彼が一方の意見が全く正しく他方の意見が完全に誤りであると考えたという意味ではなく、むしろ比較の結果片方がわずかに優れていたということ、しかもその結果は時代の要請を考慮して出た結論にすぎない、ということを意味していた。このようにして結論に達すると、彼は最早その問題については論ぜず、この結論を実行に移す方法について考えるのであった。
批評を彼は有害なものと考えた。彼の考えによると、改革は常に相手を決めつけることから始まるので益よりもむしろ害をもたらすのである。このことは特に個人および民族の失われた信仰を取り戻すことが最も重要な課題であるインドのような国にあっては破壊的な作用を及ぼすのであった。あらゆる価値の変化は成長でなければならず、外部から押しつけられたものであってはならない。彼はその予言者的な感覚をもって、多くの人々が必要であると感じている変革をもたらす原因が既に活動しているのを見ることができた。この時期には経済的原因が遍満していた。増大していく貧困が階級制度幼時結婚、その他の習慣にどんなに大きな影響を及ぼすであろうがということは誰の眼にも明らかであった。誰かがある日彼に思いきって反対したところ、彼は即座に振り向いて「何ですって。君がこの五十代も続いている弁護士業の子孫である僕と議論しようというのですか!」と言った。それから彼はいろいろな事実や論拠を並べ立てて華々しく論じたので、私たちのあるものはとうとう黒を白と言いくるめられてしまった。しかしもし誰かが彼に向かって「スワミジ、あなたとは議論はできません、しかしあなたはかくかくしかじかが真理であるということを御存知です」と言うと、彼はいつも驚くほどの素直さで「そうです。あなたのおっしゃるとおりです」と答えて相手の言葉を認めた。こうしたことはすべて小さな戯れ、彼及び彼と共にいる私たちが多くの時間とじこめられていた緊張からのささやかな解放にすぎなかった。
私たちがびっくりさせられたのは、彼がさまざまな問題をはっきりと見分けるばかりではなく、それに対する解決――実に独創的な解決を見出すことであった。あらゆる慣習はその起源を追求された。まず、それには一つの理由があった。それは一つの要求に応じて現われたものである。やがてそれは一つの習慣となり、そして多くの習慣がそうであるように、余計なものが附け加えられて、本来の有益性を妨害した。あれこれの習慣のどれが有益でありどれが有害であるかが今問題であった。ある条件がそれを生み出したように、現在の条件はそれに終止符を打つようなものだったろうか。結局、これらの慣習は多くの人々が考えているようにインドに特有のものではない。合衆国は独立後まだ百五十年をいくらも過ぎてはいないのだが、すでにそこには極めて厳しい二つのはっきり上した階級制度がある。ある黒人がスウェーデン人のような金髪であったとしても、彼は決して二つの民族の間の障壁を渡ることばできないのである。しかもインドは、かつてその被圧迫階級に私刑を加えたようなことはなかった。これら二つ厳格な階級制度の他に、それほど厳格ではない多くの区分がある。それらは一般に金銭に基づくものである。金銭を標準とするよりは、霊性だけに富んでいる階級を最高に置くほうがずっと高尚ではないか。幼時結婚はつい最近までヨーロッパでも行われていた。私たちは王女が十二才で結婚させられる物語を再三読んでいる。そしてまた、王族がしたことは民が真似をしたということも知っている。シェークスピアの「ロメオとジュリエット」では、ジュリエットは両親が彼女をパリス伯爵に嫁がせることを計画した時まだ十四才になっていなかったと言われている。
これらの習慣は人間性の不完全さから生れるものであること、またそれらを必要としたところの特定の状態から生れるものであることが明らかではないか。非難する代わりに、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、習慣をその源にまでさかのぼり、その歴史を調べ、そしてどんな好ましくないものがそれに附加されたかをはっきり確認したあと、まず第一に、改正方法を見出そうとした。ある場合にはそれだけで充分であろう。他の場合には今日インドに胎動している諸々の力がその変革をもたらすであろう。しかし、古いものを非難することなしに新しい習慣が創り出されなければならない場合もある。そうすれば穏やかに、ほとんど気付かれることなしに。やがてそれが古いものに取って代わるであろう。
結婚は一つの大きな忍耐生活である。それは自己のためにではなくサマージ、つまり社会のためにある。言葉と思いと行ないに貞節がなければならない。一夫一婦制厳守の大理想がなければ真の禁欲生活はあり得ない。もはや情緒がない場合でも誠実がなければならない。貞節は民族を存続せしめる徳行である。彼はインドよりも古い他の諸国が忘却の彼方に沈んでいくのには彼女がいまもなお厳存している事実の原因を貞節に帰したのである。
このような観察は古代諸国の興亡の物語を彼に繰返させた。国民生活の初期、その奮闘の時期には、克己・抑制・耐乏生活があった。やがて国が繁栄してくると、放従と散漫と偖侈がこれらに代ってやがて堕落と退廃と破滅に至るのであった。バビロン、アッシリア、ギリシャ、ローマ、みなこの道を辿った。しかしインドは存続している。個々人は如何に失敗しようと、インドは民族としては決してその標準を下げなかったのである。
さらにやがて必ずやってくる変革について考えながら、彼は自問した。「親が決めるインドの結婚と各自が選ぶ西洋の結婚とどちらがいいか。しかし若い人たちはいまでもみずからの妻を選ぶ権利を要求している」それからまた「異種族結婚は勧めるべきだろうか。これまで両種族の最低のものが結婚して不幸な子供を生んだ。両種族の最高のものが結び合ったらどうなるだろう。超人の種族を生み出すだろうか。」彼の国、それはいつもスワミの国であった!世界にその最も先験的な思想の幾つかを与え、そしていまもなお諸外国が必要としている霊的宝庫の管理人であるこの偉大な民族をどのようにして維持するか。
彼はまた幼時結婚の問題に移るのであった。彼がその澄みきった心の光を投げかけなかった問題があっただろうか。この探照燈がさまざまな問題に光を集中するのを見まもるのは一つの天啓であった。ちょっと質問するか一言もらせばそれで充分であった。彼は即座にとびあがり、足ばやに行きつ戻りつした。そして言葉がとけた溶岩のように口からほとばしり出るのであった。彼の心は問題をしかと捕え、彼はその秘密が明らかになるまでそれをはなさなかった。彼は幼時結婚、階級制度、覆面の風習等を支持したと言われ、自分の教えに含まれている固有の偉大な原則に忠実ではないと非難された。しかしこれらの問題と真剣に取り組む彼を見まもってきた私たちは、その非難が真実とは如何にかけ離れているかを知っているのである。不法や人間の残酷な支配によって起る不幸を目撃して騎士道的精神の激情に燃える彼、その彼が無力なものを縛りつけるかせにもう一つの鎖をつけ加えるようなことをしたであろうか。「その心はバターのようであり」、踏みにじられたものに対するその憐れみは一つの情熱であり、束縛されている人々が「大いなる自由」を成就するのを助けるのがその使命である彼、その彼が「憐れみの師」、「救い主」でなかったなどと考えることができようか。
けれども彼は改革や改革者にはほとんど賛成しなかった。悪いものを一掃するついでに多くの美しいものや貴重なものをも破壊して後に醜い不毛の地を残すような方法に彼がどうして共鳴することができただろう。彼の国で行われる改革はどんな改革でも、インドの自尊心またはインドに対する信仰を失うことによってもたらされてはならない。インドの風俗習慣や制度を弾劾すること。否、それは正しい方法ではなかった。自分と同じ世代の多くの人々が自分たちの生れた国には悪いものばかりを認めて西洋のあらゆるものの中には完全な善のみを見るというのはなんというおかしなことてあったろう。この催眠術はどのようにしてやってきたのだうか。もしこれが真実たとすれば、インドが数千年も生き続けてくることができただろうか。インドのハートは健全である。悪弊はあるかもしれない。それがないという国は何処にあるか。西洋には悪弊はないだろうか。行きつ戻りつしながら、幾時間も彼はインドの問題と取り組むのであった。
信仰と崇拝を破壊しないことはあらゆる場合に、特に現代のインドにおいては重要である。あなたは一層大きな危険をもたらすことなしに悪弊を除去することができるか。古代インドには幼時結婚もなければ覆面の風習もなかった――今日のインドの何処にもそれらはない。回教徒の支配下にあった地方のみにあるのだ。それは何をしたか。それは民族の貞節を維持してきた。女性のみならず男性も貞節でなければならない。貞節な女性は他の男性を見つめてはならないのみならず自分の顔を見られるのを許してもならないのだ。
彼にとって自国の制度またはそれらを生み出した過去の制度が軽蔑の眼で見下されるのは信じられないことと思われた。しかし彼はその反面に対しても盲目ではなかった。「私たちは肉体的に退化してしいる。これが原因だろうか。救済策は何か」幼時結婚の結果として現れた悪弊について彼はほとんど語らなかった。それらは余りによく世間に知れ渡っていたではないか。それらは停止されなければならない、と彼は言わなかった。知れきったことを、彼は口に出さなかった。ここに、不幸を伴い欠点を生み出す制度、多くの良からぬ面を持つ一つの制度があった。このような事実に直面した彼が一切の好ましからざる要素を除くためになんらかの手を打つ努力をしなかったなどということは信じられない。しかしそれだからと言ってさらに一層悪い害を招くような方法を採用すべきだなどという理由があっただろうか。彼の頭脳は紋切型の頭脳ではなかった。とすればなぜ彼が紋切型の方法を採用すると思うか。私たちのあるものは後にこの問題がなぜ彼をそれほどまでに深く揺り動かしたかを知るに至った。
この問題について恐らく幾時間も考えめぐらしたすえ、彼は深い溜息をついて言うのだった。「まあ、まあ、経済上の圧迫が変革をもたらすでしょう。経済上の圧迫と教育とが一緒になって、これをやめさせるのに大きく貢献をすることでしょう。教育!私たちは私たちの女性を教育しなければなりません。しかし、いま彼らに与えられているような教育ではありません。いまの教育は現在の弊害よりも更に悪いものをもたらすでありましょう」