スワミ・ヴィヴェーカーナンダの思い出(8)
私がみたスワミ・ヴィヴェーカーナンダ
シスター・クリスティン

弟子の訓練

 スワミジが与えた訓練は個別的であり、独特なものであった。弟子になりたいという願いが決定的に表明されなければ、またこの求道者は弟子となる準備ができているという確信がもてなければ、彼は周囲の者の私生活には全く関与しなかった。ある人々には全面的な自由を与えが、そこに彼らはひっかかった。それらの中の私たちの知らない人々について語るときには「あの人は弟子ではありません。友人です」と慎重に釈明した。友人というものは全く別の存在であった。友人はひと目で判る欠点や偏見を持っているかもしれない。視野が狭く全く因襲的であるかもしれない。しかし彼はこれに干渉すべきではないのだった。他人の生活に関して意見をさしはさむということすら許しがたい私生活の侵害であるかのように思われた。しかしひとたび彼をグルとして愛け入れるとすべては一変した。彼は責任を感じるのであった。うぬぼれ、偏見、価値判断等、つまり個我を形づくるはたらきをする一切のものを故意にたたきつぶした。あなたがたは未熟な感激からこの世を美しいと見、また善の実在と悪の非実在を信じたが、彼はそのような美しい幻を直ちに壊してしまった。もし善が実在するなら、悪も実在する。両者は同じものの異る面にすぎない。善も悪も共にマーヤーの中にある。砂の中に頭を隠して「すべては善である。悪はない」などと叫んではならない。いま善きものを崇拝しているのと同程度に恐しきものをも崇拝せよ。それから両者を超越せよ。「神は唯一の実在である」と言え。災厄が私たちを襲っているときこの世は美しいと言う勇気が私たちにはあるだろうか。いま他のものたちが災厄の犠牲になっていはしないか。この世は悲しみにみちていはしないか。数百数千の人々の生命が悲劇にさらされていはしないか。病気、老齢、死がこの大地をおおっていはしないか。これらすべてに直面しつつなお「この世は美しい」などと軽々しく言うものは無知か他人の悲しみには無頓着な自己中心主義者である。

 この教えの厳しさは恐ろしかった。しかしやがてはそこに彼岸にある何ものかの、すなわち不変の実在の片鱗をかいまみた。生死の彼方に不死がある。苦楽を超越して人間の本性であるかの浄福(アーナンダ)がある。人生の有為転変を超越して変らざるものがある。人間の自我はみずからの栄光につつまれて静穏を保っているのである。これらの偉大な思想が私たちの意識の一部分になるにつれて、私たちは「新しき天と新しき地を見た」「自我がすべてとなってしまった人にとって、どんな悲しみ、どんな苦しみがあり得よう。彼はすでにかの一者をみたのである」「誠実であれ。真面目であれ、純真であれ」などとはただの一度も言うことなしに、彼はこれらの資質を得たいという強烈な願いを私たちの内部に創造した。それを彼はどうしてやりとげたか。私たちが感じたものは彼自身の誠実さ、彼自身の真面目さ、彼自身の純真さではなかったか。「この世は泥んこの水たまりである」という言葉は激しい抗議と疑問と、そして一抹の怒りとをもってむかえられた。数年後になって、ある輝かしい日曜日の朝、カルカッタ郊外のダムダム道路に沿って車を走らせていたとき、私は二、三頭の水牛が泥水の中で身をくねらせているのを目撃した。私の最初の反応は嫌悪の感情であった。水牛でさえも泥んこよりはもっと美しい何物かに喜びを見出すべきであると思われた。ところがいま彼らはその中で肉体的な快楽を感じているのであった。そのとき突然「この世は泥んこの水たまりである」という例の言葉が思い出された。私たちは水牛たちと全く同然なのだ。この世の泥沼の中で身をくねらせその中で私たちもまた快楽を見出しているのだ。もっと高級なもの、不滅の栄光の世継ぎとなるべく生れた私たちが、である。

 彼は私たちの代りに私たちの問題を解決することをこばんだ。原理は彼が示したが、適用の方法は私たち自身が見出さなければならない。彼はいかなる形式であれ、彼にだらしなく頼ることをすすめなかった。同情を求めることも許されなかった。「自立せよ。あなたはみずからの内に力を持っている」と彼は大声で叫んだ。彼の目的は――私たちのために物事を容易にすることではなく。内なる力を引出す方法を私たちに教えることであった。「力!、力!」と彼は叫んだ。「私は力以外に何も説かない。私がウパニシャッドを講議するのはそのためである」男性には、彼は男らしさを要求した。女性には、言葉では表すことのできない、男性の男らしさに相当する資質を要求した。何れにせよ、それは自己憐憫とは正反対のもの、弱さと甘さの敵である。この態度は強壮剤の効果をもたらした。長い間眠っていたあるものが呼び起こされ、それと同時に力と自由とがよみがえったのである。

 彼の方法は弟子それそれによって異っていた。ある者たちに対しては、絶えずたたきこむ方法であった。食事、習慣から衣服、日常会話に到るまで最も厳格な禁欲主義が課せられた。また他のある人々に対して彼の用いる方法はちょっと理解しにくいものであった。禁欲的な修行はあまり奨励されなかったのである。この場合はそこに克服されねばならぬ精神的虚栄心というべきものがあったから、また善が一つの束縛になってしまっていたから、であろうか。甲に対しては、ひやかし、情のこもったひやかしの方法がとられ、乙に対しては厳格そのものであった。私たちは、これらさまざまの方法に服した人々が一様に変貌するのをみた。私たち自身も容赦されなかった。私たちの甘いうぬぼれはやさしく一笑に付されて消滅した。私たちの因襲的な思想は西洋教育を受けた。私たちはどんな代価を払ってでも事物を徹底的に思考し、虚偽をすて、恐れずに真理を固守することを教えられた。こうした教育過程の中で、立派で価値あるものと思われていた多くのものがすてられた。恐らく私たちの数々の目標や目的は小さく、そして散在していたのであろう。やがて私たちはそれらをより高く、より純粋な領域にまで引き揚げることを、そしてすべての小さな目的を一つの大きな目的に――そのために私たちが幾度もこの世に生れかわってくるという人生の真の目的、つまり人生の究極点に統一することを学んだ。私たちはそれを荒野の中にあるいは山の頂に求めず、自分たちの心の中に求めることを学んだ。こうしたあらゆる手段を通して、進化の過程は早められ、全本性が変貌するのであった。

 それゆえ、私たちがこのような異常な力の最初の衝撃から身を斥けたのは不思議ではない。こうしたことは私たちばかりではなかった。しばらくたってから、才気従横のアメリカ婦人が合衆国にやってきたさまざまなスワミたちについて語りながら言った。「私はスワミ……の方がスワミ・ヴィヴェーカーナンダよりも好きです」この言葉に驚きの表情を示した人々に向って彼女は答えた。「そうです、私はスワミ・ヴィヴェーカーナンダの方が遥かに偉大であることを知っています。しかし彼は余りにも強力なので私を圧倒してしまうのです」後に、殆んど同じような言葉がある新興宗教の著名な教師の目から洩れたが、彼の説く教えは明らかにヴェーダーンタに影響されていたので、私は彼がスワミ・ヴィヴェーカーナンダの影響を受けたのではないかと尋ねた。「はい、私は彼を知っています。彼の話を聴きました。しかしあの人の力は私を圧倒しました。私はスワミ……の方にもっと惹きつけられました」と答えて暫くアメリカに滞在した北インド出身のヴェーダーンタの説教師の名をあげた。これはどういうわけであろうか私たちは気質的にある性質には魅力を感じ他の性質には嫌悪を抱くからだろうか。たとえそうであっても、これにもやはり説明が必要である。小さな個我は圧倒されてあとに何も残らなくなるという恐れからであろうか。「まことに己が生命を失う者はこれを保つべし」それでもこの偉大な力の流れに捕らえられることを恐れたものはごく僅かであった。他の数千の人々は、鉄くずが磁石に引きつけられるように、あらがいがたいカで惹きつけられるのであった。彼は非常に大きな惹きつけるカを持っていたので、彼のそばにきたものは男も女も子供たちさえも、彼のなげかける魔術的魅力のとりこになった。

 便法を用いて人の気を引いたり、弟子に対する宗教の師の態度はかくあるべきだ、という私たちの考え方に歩調を合わせたりするどころか、彼は私たちの感受性を傷つけたり、私たちにショックを与えたりすることに熱中しているかのように思われた。他の人々は自分たちの短所をかくしてこっそり肉食したりタバコを吸ったりするだろう。そしてこんなことをしたからといって別に悪いことはなにもないのだ、ただ自分たちよりも弱い兄弟の気持ちをそこねてはならないから便宜上こうしたことを隠せばよい、と自分自身に言いきかせるだろう。しかし彼は反対にこう言うのだった。「もし私が悪いことをすれば、私はそれを隠さず屋根の上にあがってそれを大声で叫ぶだろう」

 私たちはわざとらしさの域に達するほど因襲的で行儀がよかったことは真実である。しかし私たちよりももっと奔放なものたちさえ面くらってしまったであろう。彼は、男性が婦人たちの前でタバコを吸わなかった時代に人の傍に近づきその顔にタバコのけむりを故意にふきつけるのであった。これが誰か他の者であったら、私は彼に背を向けて二度とは話しかけなかったであろう。私は彼であると知りつつ、一瞬たじろいだ。私は気をとりなおして自分がここにやってきた理由を思いだした。私は自分が今日まで夢にも知らなかったほどの霊性を持つ人のところにやってきたのである。彼の口から私はいままでに考えたこともなかった真理をきいたのである。彼は実現への道を知っていた。彼は私にその道を示すであろう。タバコのけむりのひとふき位で彼に背を向けることなどを私が考えたであろうか。これだけを語りおわる時間よりも速くすでに結論はでていた。あるもう一つの意味ででも結論はでていることを私は知っていた。しかしそのことについては後に語ろう。

 更に、私たちは自分たちの心の中に尊い存在として崇めているこの人が私たちの伝来のしきたりを守らないことを見出した。すべての立派な男性は女性をうやまう。その人が立派であればあるほどその尊敬の程度も大きいところがここに、普通の男性でも私たちに与えるようなごく僅かの心づかいさえ示そうとしない一人の男がいた。私たちは彼から腕を差し出されることもなく岩山をよじ登ったりすべり降りたりさせられた。彼が私たちの気持ちをよみとったとき、彼は例によって私たちの口にしない思いに答えてこう言った。「あなた方が老令であるか病弱であるか、あるいは無力であったなら、私は手をかさなければならない。しかしあなた方は私が手伝わなくてもちやんとこの小用をとびこえたりこの山道を登ったりすることができるのです。私と同じように能力があるのです。どうして私が助ける必要がありましょう。女性であるからですか?それは騎士道というものですこの騎士道はセックスにすぎないということが分りませんか。男性が女性に対して払うこれら一切の注意の背後にあるものが分りませんか」不思議に思えるかもしれないが、これらの言葉によって私たちは真の女性崇拝の意味についての新しい理解を得た。しかも、シュリ・ラーマクリシュナの妻であり弟子である「聖母」と呼ばれている女性の祝福を受けようとして彼女のもとに赴く途中、彼女の前に出たとき清浄であるようにとガンジス河の水をふりかけつづけたのは他ならぬ彼だったのである。彼女は、彼がその真意を打ちあけたただ一人の相手であった。彼女の祝福を受けなければ、彼は西洋に行きたいとは思わなかった。彼女の前に出れば必ず彼はその足下にひれ伏した。彼は神を母として崇拝したのではなかったか。彼にとってすべての女性は何らかの形を通しての聖なる母のあらわれではなかったか。そうである。自分たちの神性を金銭と交換した女性たちでさえもそうだったのである。彼はケトリの舞姫の中にこの神性を認めだてはないか。彼女は彼が自分の本性を見抜いたのを感じて清浄な生活を送り、彼女自身「大なる実現」に達したのである。インドで自分を待ちうけている非難を知りつつ、なお彼はアメリカで一人の女性を尼僧として弟子入りさせることをあえてした。彼女の中に性のない自我のみを認めたからである。

 僧侶であり、乞食ではあったが、彼は王者らしくあることを決して忘れなかった。あやまちに対しては寛大であったが、その寛大さにはけじめがあった。言うまでもなく、彼の行動の中には誇示というものは全くみられなかった。この世の富を豊富に持っている人々と一緒にいるときには提供されるものを喜んで、すなおに、時には貧欲にも近い敏速さで受けとった。しかし持たない人々からは何ひとつ受けとらなかった。彼はもはや遍歴僧ではなく全く異った何者かであったので「あの人はかってムガール皇帝の一人として生まれていたのではなかろうか」と言う人もあった。愚かな考え!彼はモガール皇帝の中の最も偉大な人よりも、あるいは彼ら全部を束にしたより偉大であったものを。

 貧しい人々に対する、踏みにじられた人々に対する彼の思いやりは一つの情熱であった。話してきかされるまでもなく、彼をひとめ見ただけでひとは彼が飢えたもののために自分の身体の肉を食物、自分の血を飲物として喜んで差し出すであろうことを知った。今日でも彼の誕生日は貧しい人々に食物を与えることで祝われるのである。被圧迫階級の人々、賤民たちはこの日、バラモンなどの最高の階級に属する著者たちによって奉仕される。西洋の人々に、このような奉仕の意義を伝えることは不可能である。カーストとアウトカースト(註=四姓階級と四姓以外の賤民の意)ヴィヴェーカーナンダのような人をおいて誰がこの関係をこれほどつつしまやかな態度で持ちだすことができたであろう。階級制度や被圧追階級についての議論は全くしなかった。そこにはハートと献身だけがあった。彼がまだアメリカにいる頃おこった出来事においても、やはりそうであった。なぜフランス語の授業を受けているのかと尋ねられて困惑しながら「これがMが餓死しないですむ唯一の道だからです」と言った。ある人い手に十ドル紙幣を握らせて「これをSに……私からだとは言わないで」と言った。グループの一人である弱い兄弟がヴェーダーンタ協会の金をごまかしていると批難されたとき、彼は「どんな不足額でも、私が埋め合せましょう」と言った。この問題はそれでおしまいになったが、彼は他の一人に「赤字を埋める金を何処から得たらいいのか分りません。しかし私にはあの資しい人を苦しませることができなかったのです」と言った。

 アメリカを去った後もなお、彼は残してきたある人々のことを非常に心配していた。彼らは苦しい生活をしていたのである。彼は特に男性と同じような責任を負わされている女性たちのことを心配していた。宗教の教師として国中を歩きまわり、信者をひきつけるために彼の名と人気を利用しているある婦人の行為を是認するかときかれて彼は答えた。「可哀そうに!彼女には養わければならない夫がいるのです。そして月々幾らかの金を儲けなければならないのです」「しかし、スワミ」と誰かが言った。「彼女はあなたの教えを受けるために学生たちを準備することをあなたから許可されていると主張しています。私たちが彼女の予備講議を二回受ければ、あなたから教えを受ける用意が出来るというのです。これは全く馬鹿げており、不謹慎なことです最初の講義には二、三の知的訓練をほどこし、二回目には神秘学に関するいろいろな本から抜本した若干の言葉や格言を述べるのです。人々を欺き、彼らの金をとりあなたの名を利用する、などということが許されてもいいのでしょうか」それに対して彼が答えたすべては「可哀そうに!可哀そうに!シヴァ!」だけであった。「シヴァ!シヴァ!」という言葉で、彼はこの問題を片づけてしまった。誰かがあるとき「シヴァ!シヴァ!」というのはどういう意味ですか、と尋ねた。すると彼は目をいたずらっぽく輝かせて「いまいましい。ほう、ほう、ほう、ラム酒のびん」と答えた。これは悪ふざけではなかった。そのような質問に対して他にどう答えられたであろう。何かが彼の心をかき乱すと彼は数分間それに悩まされるのを許したあと、例の「シヴァ!シヴァ!」でその問題に終止符を打つらしいということに私たちは気づいていた。私たちは、彼がみずからの本性をみずからに思い出させているのである、ということを知っていた。平静を乱すような性質をもつ一切のものは、それの中に没入すれば消えてしまうのだ。

 かつてニューヨークに病的な執拗さで彼にしがみついていた哀れな小グループがあった。彼は散歩の途中で初めに一人を次にもう一人を、と集めたのであった。このみすぼらしい従者たちは、彼と一緒にヴェーダーンタ協会の本部である五十八番街の家に戻ってきた。正面入口に通じる階段を昇りながら、彼の傍らにいた者が「この人はどうしてこんな奇妙なかわりものたちをつれてくるのだろう」と考えた。すると電光石花の如く彼は振り向き、語られざるその思いに答えて言った。「彼らはシヴァの悪魔(デモン)たちなのですよ」

 ある日五番街を、前に二人の年とったわびしい信者を歩かせながら散歩しているとき、彼は言った。「人生が彼らを打ち負かしたのです!」彼の声にふくまれた敗者に対する憐れみと同情!そう、しかしその他にもう一つ、何かがあった。聞かされた相手は即座に次のことを祈り、かつ誓ったのである。自分は決して人生に負けまい、たとえ年老い、病いと貧苦に見舞われようとも。そして今日までその通りにやってきた。彼の無言の祝福には力が織りまぜてあったのである。


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