不滅の言葉 98年2号
霊的な会話(5)
スワミ・トゥリヤーナンダ
部分
このときスワミ・トゥリヤーナンダはベナレスのラーマクリシュナ・ミッション奉仕の家に滞在されていた。
一九一九年十月九日
スワミ・トゥリヤーナンダは彼の部屋の安楽椅子にすわっておられた。ブラッマチャーリアが彼を扇いでいた。幾年もの厳しい苦行によってスワミの健康は損なわれ、それに糖尿病が重なって衰弱がひどくなって、ベナレスで転地療養しなければならなくなったのである。
Cと一緒にやって来た弟子がスワミに、お具合はいかがですか、と尋ねた。
スワミ「いまはとてもいいよ。ここに来てすぐのころは、二度つづけてインフルエンザに罹って、ひどく弱ってしまった。おりよくカルカッタで私を診てくれたドクター・Sが仕事でベナレスに来ていた。彼は、私を見るなり、ベナレスでの療養にはあまり期待できないでしょう、と言った。その時には私の古い喘息の症状も出ていたのだ」
弟子「アシュタミ・プジャの日(ドゥルガのお祭りの二日目)よりもよくなられたようです。転地療養の効果は急速にあらわれるより、ゆっくりあらわれたほうが良いと思います。スワミ・プレマーナンダがデオガールに行かれたときには、はじめはとても良くなられました。でも永つづきしませんでした」
スワミ「そうだ、おそらく彼をカルカッタへ連れてきたのが良くなかったのだ。彼は両肺炎の看病を受けていたときにインフルエンザに罹ってしまった。彼がカルカッタに着いたときスワミ・サーラダーナンダは、『彼はもうだめだ』と言った。前の病気のときには彼は持ちこたえたのだが」
C「ごらんのように、私たちは世間に心を奪われております。どうぞ私たちのために祈り、そしてどのようにして私たちが神を悟ることができるか、どうぞお教えください」
スワミ「神を悟るための決まった方法というものはない。シュリ・ラーマクリシュナは『過去の幾多の生涯に積まれた功徳によってはじめて人は誠実になることができる』とおっしゃった。適切にもスワミジは『神は一定の金額で買える魚や野菜のような商品ではない』と言っておられる。賢者たちはシャーストラのなかで、神に到達するためのいくつかの道について述べている。あるものは、人はこれこれこういう方法でプジャ(祭祀)を行うべきであると語り、他のものは、ジャパ(唱名)を行じなければならないなどと、さまざまなことが言われている。ナーラダは、『川が海に到達するために、道を逸れることなく、一途に海をめざして流れるように、神を求める者は一切の他事を捨てて、彼に、彼のみに向かえ』と言った。ギーターには、『他のなにものにも執着することなく私だけを礼拝するもの、そうやって常に熱心に私に惹きつけられる人々に、私は彼らの不足を満たし、彼らが持つものを護る』と述べられている」
「二種類のバクティがある。第一は、ジャパはこれくらいやらなければならないとか、これこれの方法でプジャをしなければならないというような、儀式的あるいは義務的な信仰だ。次に、愛の信仰がある。この段階では信者は燃えるように神を思う。彼は神に関すること以外に歓びを見ない。そしてさらに忍耐が必要だ。ほんのわずかな努力をしただけで、それが期待した実を結ばなかったからといって修行をやめてしまうようではだめだ。ある人は、彼のまわりに蟻塚ができるほど修行に熱中したといわれている」......................