不滅の言葉 98年1号

イエズス・クリストとシュリ・ラーマクリシュナ

上智大学教授 シリル・ヴァリアット神父


イエズス・クリスト

部分

一九九七年十一月十六日

 三カ月ほど前に、私はスワミジから頼まれて、「イエズス・クリストのお告げ」または「イエズス・クリストの神託」について話してほしいと言われました。ご存じのようにキリスト教は複雑なので、四五分で全部説明することはできません。ですから今日は、根本的なことだけ簡単に説明します。

 スワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサの伝記を読めば、私達は次の事件に出会います。その事件はすべてのクリスチャンにとって非常に重要なことではないかと思います。つまり、それは、スワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサがイエズス・クリストを体験したことに関する事件なのです。これはスワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサの教えまたは人生に関するほとんどすべての本の中に出てくるのではないかと思います。皆さんご存じのように、スワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサは、非常に敬虔で貧しい家庭の人で、あまり読み書きができないし、英語も分かりませんでした。しかし、最初からキリスト教にとても興味があったので、ほとんど毎日、インド人のシャンブ・チャラン・マリックという人が、キリスト教の聖書のことを簡単に説明していました。つまり、聖書を英語で読んで、ベンガル語で説明しました。その結果、スワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサはイエズス・クリストの人生やお教えが、どんどん分かるようになり、キリスト教の創立者に対して深い愛情が生まれたそうです。数日後、友達の家を訪問なさったとき、その家の壁にイエズス・クリストと聖母マリアの絵がかかっていました。彼は、その絵を見て、喜びに我を忘れ、うっとりと立ちつくしていたそうです。そうすると、突然、心の中に非常に強くて、爽快な感じが生まれ、それがどんどん強くなって、三日ぐらいたったら、イエズス・クリストの体験に終わったそうです。つまり、スワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサが、イエズス・クリストを体験されました。それは非常に神秘的な、人間の想像を超越することです。しかし、彼は、はっきりとイエズス・クリストの顔を見たそうです。そして彼は、その体験で非常にうれしくなって、イエズス・クリストに「偉大なヨーギ」という名前をつけたそうです。ヨーギといえば、ご存じのように、普通ヨーガをやっている人のことですが、もっと深い意味があります。つまり、神様に近い人間はヨーギと呼ばれている。そういう意味もあります。だからスワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサは、イエズス・クリストのことを「人類の救いのために自分の血を流した偉大なヨーギ」と説明されました。

 クリスチャンと言えば、普通、正式にイエズス・クリストの弟子として、またはキリスト教の信者として認められた人間のことを言います。現在の世界では、キリスト教の宗派が、たくさんあります。どんな宗派でもかまいません、その宗派の人間が、一人の人を正式にキリスト教の信者、またはイエズス・クリストの弟子として認めてくれれば、その人はクリスチャンと呼ばれるようになります。正式に人をクリスチャンとして認めるとき、その人に宗教的な儀式を行います。つまり、水を使った儀式で、ちょっと水を注いで祈りを唱えるもので、洗礼式と呼ばれます。だからクリスチャンといえば、普通、洗礼を受けた人間のことなのです。洗礼を受けたとき、彼の今まで犯した罪は全部消え、新しい世界に入って、新しい人間になった、新しい人生が始まる。クリスチャンは、そう信じています。

 先程言ったように、キリスト教には宗派がいろいろあります。私自身はカトリック教会のメンバーで、ローマにいらっしゃる教皇様をリーダーとして認めています。カトリックの人達は、どんな信者でも他人に洗礼を授ける力があると信じています。私も、そんな権利があります。しかし時々、神様は、自分が選んだ人間に、直接洗礼を授けることがあります。こういう場合には、人間の協力など、必要ありません。こういう立場から見れば、スワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサの体験は、まちがいなく、すべてのクリスチャンにとって、非常に重要なことなのです。なぜなら、スワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサは、正式に洗礼を受けていないのにイエズス・クリストを体験されました。これは、正式にクリスチャンとして認められていない人間が、イエズス・クリストを体験した唯一の例なのです。キリスト教の歴史の中で、今までに起こったことのない初めてのことなのです。全然キリスト教と無関係の人間が、「私はイエズス・クリストを体験した」、こういうことは、以前に、ほとんどなかったことなので、非常に大切なことなのです。

 キリスト教の新約聖書の中に、イエズス・クリストのことを語る四つの章があります。それを私達は福音書と言います。その中にマタイによる福音書というのがあります。そのマタイによる福音書の中に次の文章があります。「すべての善い木は善い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。善い木が悪い実を結ぶことなく、悪い木が善い実を結ぶこともできない。あなた方は、その実で、それらを見分ける」。これはイエズス・クリストがおっしゃったことなのです。つまり木の場合には、善い木と悪い木があります。その実で、私達は分かります。たとえば、この実はおいしい、よくできている。だから木も大丈夫、問題はない。この実は、ちょっと問題がある。だから木の方にも、ちょっと問題がある。イエズス・クリストがこういうことをおっしゃって、人間の場合にも同じことだと指摘されました。つまり人間の場合には、人間のふるまいで、彼はどういう性質、人格を持っているか分かります。たとえば、この人は、やさしい人で、いつも正しいことをしている。だから性質、人格も善い。あの人は、いつも他人の悪口を言ったり、他人を侮辱したり、物を盗んだり、あまり正しい生活をしていない。だから彼の場合には、性質、人格に問題がある。こういう立場から見れば、スワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサとスワミ・ヴィヴェーカーナンダは、どちらも、二人の人生を見れば初めから終りまで愛情とか謙遜とか憐れみとか同情とか理解とか、こういう美徳に基づいています。そしてイエズス・クリストの場合にも、全く同じ美徳が大切でした。こういう美徳は、彼の特性を記述、描写するものなのです。もし、イエズス・クリストが、今、我々の世界にいらっしゃるならば、きっとこういうことをおっしゃるでしょう。「スワミ・ラーマクリシュナ・パラマハンサもスワミ・ヴィヴェーカーナンダも、善い実を結ぶ善い木だ」と。彼らは初めから終りまで、正しい人生、生活を送りましたので、きっとイエズス・クリストは、そうおっしゃったでしょう。

 今の世界では、キリスト教の信者はたくさんのグループに分かれています。たとえば、カトリック教会、バプティスト派、メソディスト派、英国国教会、長老教会、クウェーカー派、モルモン教などです。彼らは皆、同じ聖書を認めるのですが、その解釈は違います。聖書の中のいろいろな文章を違ったふうに解釈し、祈りと崇拝の儀式も、習慣も違います。しかしある点から見れば、彼らは実は、強く統一されています。皆、同じイエズス・クリストから自分達のエネルギーとインスピレーションをもらうのです。そういう点から見れば、皆統一されています。

 私達は毎年十二月二十五日にイエズス・クリストの誕生を祝いますが、具体的に、いつお生まれになったか、学者達もよく分かりません。歴史的な立場から見ても、イエズス・クリストについて、正直に言えば、私達はあまり分かりません。歴史的な証拠がないのです。今、私達が持っているのは、次のようなものだけです。第一に、四つの福音書、これはちゃんと残っています。その名前は、福音書を書いた人、イエズスの弟子の名前で、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。この四人が書いた福音書は、ちゃんと残っています。

 次にイエズス・クリストと同時代にいた有名な二人のローマ人の歴史家タキトゥスとスウェトーニアス、この二人も、イエズス・クリストのことを少し書きました。それから、有名なユダヤ人の歴史家ヨゼーフスもイエズス・クリストのことにちょっと触れました。そして、イエズス・クリストの最も有名な弟子パウロはイエズス・クリストが亡くなってから弟子になりましたが、あちこちで活動するとき、いろいろな人に手紙を書き、その中で、イエズス・クリストのことが時々出てきます。歴史的な証拠を持っているのはこれだけです。

 それでも二千年の間、イエズス・クリストの影響は非常に強く、世界中に広がりました。今、世界の人口の三分の一くらいの人がクリスチャンと呼ばれています。もちろん、その人達がどのくらい彼を信じているか、何人が教会に行くか、どの程度の信仰があるか、分かりません。名ばかりの人もいるでしょう。

 福音書によれば、イエズスは非常に貧しい牛小舎で生まれました。ベツレヘムの町から少し離れたところにあるナザレという貧しい村で生まれ育ったので、ナザレ人またはナザレのイエズスと呼ばれるようになりました。彼の子供の頃のことについて、私達はほとんど知りません。きっと普通のユダヤ人の子供のように、両親といっしょに暮らし、ユダヤ教の聖典を勉強し、寺院で祈り、両親の仕事を手伝っていたことでしょう。十二歳になったとき、ある事件が起きました。両親が彼を連れてエルサレムに行きました。そこには大きな寺院があって、ちょうど大きな祭りが行われていて、大勢の人達が集まってきていました。そのとき、群衆が多かったので、イエズス・クリストは突然、両親の前から消えてしまいました。両親は心配してあちこち探し回りましたが、見つからず、三日ぐらいたって、やっと見つかりました。彼は寺院の中で、いろいろな学者達に質問したり、質問に答えたりして議論をしていました。両親はとてもびっくりして、「なぜこんなことをしたんですか。あなたのために私達は心配して、あちこち歩き回りました」と息子に言いました。すると彼は、こんなふうに答えました。非常に神秘的な謎のような答えなのです。「なぜ私のことを捜していたんですか。分からないんですか。私は父の仕事をしなければならない」。その父とは神様のことなのです。そのとき、両親には、さっぱり分かりませんでした。

 この事件のあと、またナザレに戻ってから三十歳になるまで、イエズス・クリストについて、何も分かりません。十二歳から三十歳までイエズス・クリストがどうしておられたか誰にも分かりません。これは「イエズスの隠れた人生」と呼ばれています。もちろん、あちこちで、いろんな話は出てきます。たとえば、イスラム教の聖典コーランによれば、イエズス・クリストはインドにいらしたそうです。しかし証拠はないので、誰にも分かりません。

 福音書を読めば、これだけの文章は出てきます、「幼な子は、たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」..................... 


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