不滅の言葉 96年6号
ヴィヴェーカーナンダ、 愛と知識と力の象徴
清泉女子大学教授
奈良 毅
祝賀会当日の講演の速記
インド大使閣下、来賓の皆様、また会場にご来場の皆様、私がこれからお話しいたしますタイトルは、「スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、愛と知識と力の象徴」こういう題であります。
世界中のどの国におきましても、過去にも現在にも、また未来でも自分の国を、あるいは自分の国の人々を愛する、そして時にはその国の人々が危機に陥った場合、身を呈してでも救おうとする、そういうヒーロー、英雄が現われる。これは皆さんご存じのことと思います。しかし正直に申し上げまして、私はスワミ・ヴィヴェーカーナンダほど自分の国の人々を心から愛し、そのために全てを投げうって救おうと努力した、こういう人はなかなか見つからないのではないかというふうに考えます。
どうしてスワミ・ヴィヴェーカーナンダがこれほど自分の国の人々を愛したか、これは神のみぞ知るであります。スワミ・ヴィヴェーカーナンダに命を与え、そして十九世紀の後半にインドにおくった神のみが本当の理由を知っている、こういうふうに私は思います。しかし個人的に私の見解を申し上げますと、スワミ・ヴィヴェーカーナンダがこれほど自国の人々に愛と同情の気持ちを持った理由は、たぶん二つあるのではないか、そういうふうに考えます。
その一つは、もちろんスワミ・ヴィヴェーカーナンダの師匠であられますシュリ・ラーマクリシュナーの精神的な影響であろうと思います。スワミ・ヴィヴェーカーナンダがある時、三昧の状態にずうっと永遠に浸っていたいという希望を口にされました時、師匠であるシュリ・ラーマクリシュナーは、それを禁止いたしました。そしてその状態に入っているのではなくて、目を覚まし、そしてインドの人々、特に苦しんでいる人々のために尽くしなさいという指示を与えたわけであります。
師匠であるシュリ・ラーマクリシュナーが亡くなりまして、スワミ・ヴィヴェカーナンダは一人で何ものも持たずに、お金も一銭も持たずに約五年間インド全国を旅いたしました。
この旅の目的はいろいろありますけども、主な目的は自分の精神的な力を、それによって強化し、そしてどんな状況に置かれても決して挫けることがない、そういう力強い精神的な人間になりたいということであったと考えられます。そしてこの五年間の全インドの行脚、この間にスワミジはインド中のあらゆる階層の人々、上は王様、下はいわゆる不可触賎民とまで言われていた、その当時の社会の人々に至るまで、あらゆる階層の人々とじかに接したのであります。そしてそれによって、その当時のインド社会の実像をスワミジは自分の経験を通してつかみとったわけであります。スワミジは自分の目で自分の国の一般の人々、大衆がいかに貧しく、いかに無知であるかということを目撃いたしましたし、いわゆる高いカーストの人々が低いカーストの人々にどんな仕打ちをしたかということも、自分の目で見ましたし、またいわゆる知識人、あるいは上層階級と言われる人々の間に見られますヨーロッパ社会、特に英国の社会や文化に対する劣等感、これをまた見てとったわけであります。こういうものを実際に見聞いたしましたスワミジは、何度自分の国の人々の哀れな生活状況を見て涙を流したことでありましょう。また自分の国の文化、あるいは伝統というものに自信を持てない、そういう自己卑下をする哀れな姿、これに何度悔しい思いをしたとでありましょう。
ここで一つ面自いお話を紹介したいと思います。インドの方はもちろん皆さんご存じですので、繰り返す必要はないわけですが、日本の聴衆の方はたぶん初めてお聞きになるだろうと思いますので、このお話をご披露いたしたいと思います。スワミ・ヴィヴェーカーナンダがインドの中を旅行して歩いておりました時、ある国の王様にお会いいたしました。アルワールというところのマハラージャ、王様にお会いいたしました。この王様は非常に西洋かぶれの王様でありまして、いろいろ哲学的な議論をふっかけたわけであります。そしてヒンズー教の神様を拝む儀礼について批判を始めたわけですね。インドの人たちは無知でただ石ころ、神像の形をしたそういうものを拝んでいると。本当の神様を拝んでいないということを言ったわけですね。それをずっと聞いていましたスワミジは、壁を見ましてそこに王様の写真が飾ってあるのを見つけたわけです。そしてその王様の召し使いに、その写真をそこから降ろして、それに唾をひっかけて踏んづけなさいと言ったわけですね。びっくりして、「いや、そんなことできません」と言ったわけですね。「いや何でもない、それは紙に過ぎない。本当の王様はこっちにいるんだから、王様を傷つけるんじゃなくて、ただ写真を踏むだけだからなんでもないじゃないか」と、こういうふうにいって踏ませようとしたわけですね。そこで初めて王様は自分の議論の間遵いに気がついたわけであります。たとえそれが石や、紙や、あるいは土でできた銅像でありましても、それを通して我々は永遠なる実体、神というものを拝んでいるのだというふうに理解できたわけであります。こういう挿話が一つあります。
もう一つの挿話をお話しいたしますと、ほかの王様、ケトゥリというところの王様に招侍されまして、一晩泊っておられたわけですが、その時、王様が日本風でいいますと芸者を呼んで、そしてスワミジのために歌を歌わせたわけであります。スワミジはそういう女性と同席するのは自分には相応しくないと考えて、その席には行かなかったわけであります。そして部屋の中に篭っていたわけです。もちろんその女性はスワミジのために歌を歌うということで呼ばれたわけですから、主客がいないのを非常に残念、悲しがったわけであります。それでも歌を歌い始めました。どういう歌を歌ったかといいますと、鉄の一片はある時は聖なる神殿にも使われ、ある時は肉屋のナイフにも使われると。しかし神殿の鉄も、あるいは肉屋の使うナイフの鉄も、ひとたび聖者の手に触れればそれは金に変わると、そういう歌であったわけであります。それを部屋の中で聞いていたスワミジは、初めて自分が大変悪いことをしたということに気がつきまして、本当の価値というものを見極める前に、私は偏見を持ってこの女性に接したと。自分の間違いに気がつきまして部屋から出て、その女性に謝って、それからは決して偏見というものを持たずに、人間を正しく評価するべく務めたという、そういう逸話があります。こういうのも全てスワミジの全インドの旅行の間に、直接の経験から得た出来事であります。
スワミジは精神的な巨人と言われている方でありますから、自分の国の文化、伝統に高い誇りを持っていたと思います。したがって自分の国の人間が惨めな状態で生活しているのを見るのは、耐えられなかったろうと思います。そしてどういうふうにしたらインドの人々の生活水準を上げることができるか、どうしたらひとたび失った自国の文化、伝統に対する人々の自尊心、あるいは自信というものを取り戻せるかということを考えたに違いありません。
スワミジはアメリカのシカゴで開かれました宗教会議に出席なさいますけども、それを決意させた理由、これはたくさんの学者たちはインドの文化的な伝統、精神を世界中に広めるために出席したんだと、こういう言い方をいたします。もちろんそれは当たっていると思いますけれども、しかし私は同時に個人的にスワミジの本当の、この国際宗教者会議に出た理由は、実はインドの人々がヨーロッパの人、特に英国の人々に対して劣等感を持っていたわけですね。それを取り去るにはヨーロッパの人々がインドの文化、精神伝統を高く評価する、そういうことをもし実績として見せることができたならば、インド人は初めてそれによって自信を取り戻せるのではないかというふうに考えたと思うんです。そしてまたインドのそういう経済的、社会的にまだ進んでいない状態を、西側の国の人々の協力によって高めたいと、そういう気持ちもたぶんあったんだろうと思います。
これ以前にスワミジは、自分の国をまた改良するためにたくさん、インドの五分の一を占める王国の王様たちの力を利用してはどうかというふうに考えたことがあります。しかし少し後に、そういう方法は結局は成功しないということを理解したわけであります。それはどうしてそういうふうに理解したかというと、自分がインド中を廻って得た直接の経験から、そういう判断を下したわけであります。どんなに上のクラスが下の人々に力を持って、その態度や考えを変えなさいと言ったところで、それは決して成功するものではない。人々が一人一人自分自身の心の中で、自分の考えや態度を変えるという決意をしない限り、社会態様、精神復興というものはできないということを、スワミジは強く感じたに違いありません。それは大変な時間、長い時間、それから辛抱を要するとだと思います。
皆さん、よくご存じのように、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは世界宗教者会議において、大変な成功を収めました。そしてインドだけではなく世界中にたくさんの弟子、信者をつくることに成功いたしました。しかしわずか三十歳の全然世に知られていない、一人のインドの僧侶が、かくも大変なことを一人でやってのけたと、一体どこにその力があるのでありましょうか。もちろんそれは彼の持つ大変な精神力、霊的な力によるものと思います。そして彼本来が持っている精神的な力は、単に自分の名声のために使われたのではなく、また単に一つの宗教、自分の属する宗教の宣伝のために使われたのでもなく、世界中の、そしてインドのたくさんの悩める人々苦しめる人々の幸福のために使われたからこそ、それが偉大な力を発揮したのではないかと、こういうふうに私は思うわけであります。今日スワミ・ヴィヴェーカーナンダの百三十四回目の生誕祭を我々祝っておるわけでありますが、この偉人から、我々日本人が学ぶところ多大なるものがあると私は信じてお話を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。(拍手)