不滅の言葉 96年6号


スワミ・アドブターナンダ

スワミ・アドブターナンダ その教えと回想(11)

スワミ・チェタナーナンダ

   

第九章 晩年――カルカッタおよびヴァラナシ

 一九〇三年のあるとき、バララーム・ボースの家族は、カルカッタのバグバザール地区にある彼らの家に住むようにとラトゥ・マハラージを招いた。彼らは、宿と食物を必要とする僧たちが使えるように一階に一部屋を用意しており、シュリ・ラーマクリシュナの出家弟子たちの幾人かは時折そこに滞在していた。はじめ、ラトゥ・マハラージは、時間が非常に不規則なので一家に迷惑をかけるだろうと言って辞退した。しかし一家は、彼を家に住まわせることは祝福にこそなれ迷惑になるわけがない、彼の暮らし方に合わせて都合をつけることができる、と言い張った。ついにラトゥ・マハラージは同意した。結局彼は、バララームの家につづけて九年間、住んだのである。

 信者の家に住んではいたが、彼は前と同じように、きびしい生活を送りつづけていた。バララームの居宅にラトゥ・マハラージを訪ねた西洋人の弟子シスター・デーヴァマータによると、彼の住んでいた部屋には、小さな寝台と、薄い床マットと、茶を作る囲炉裏以外には何もなかったそうだ。彼は一日のほとんどを一人で過ごしていたが、朝方と夕方のちょっとの時間は、人びとが彼に会いに行くことができ、彼は人びとと霊的なことがらについて語りあった。

 明知の人の気分を察するのはむずかしい。ラトゥ・マハラージのふるまいは、ときに他の人びとにとっては奇妙なものに映るかもしれないが、彼の為すことにはおそらく深い意味がかくされているのである。ラトゥ・マハラージは、ときどき気まぐれに見えたものである。彼の気分は予告なしによく変わった。ある日、彼は、ダクシネシュワルのシュリ・ラーマクリシュナの部屋にまだ置いてあったシュリ・ラーマクリシュナの木製の簡易寝台を真鍮でおおうことを思いついた。彼がこの考えをある信者に話すと、信者はその計画に資金を提供することに同意した。数日後、その信者は計画を確認しに来たが、ラトゥ・マハラージは考えを変えていた。彼は言った。「私たちの師は金属に触れることがおできにならなかった。簡易寝台を真鍮でおおうのはよくない。だからやめよう」

 ラトゥ・マハラージは、修行上の習慣では大体金銭を軽蔑していたが、ある日、彼は自分の白内障の手術代をいくらか送ってほしいという手紙を、当時アメリカにいたスワミ・アベダーナンダに書いてくれ、とある信者に頼んだ。信者はそのように書いた。すると、スワミ・アベダーナンダのアメリカ人の弟子の一人が彼にお金を送った。

 またあるとき、彼は腕時計を手に入れようと決めて、スワミ・アベダーナンダに送ってくれと手紙を書いた。しばらくしてから、彼はスワミ・アベダーナンダからの小包を受け取ったが、中にはガラガラヘビのしっぽが入っていた〔このしっぽを振ると、子供のおもちゃのようなガラガラという音が出る〕。ラトゥ・マハラージは、スワミ・アベダーナンダへの返事で子供のように駄々をこねた。「僕は腕時計がほしかったのに、君はガラガラヘビのしっぽを送ってくれた!」

 高度に進化した人の資質の一つに純真さがある。そして純真さは、まねるのが最もむずかしいものの一つである。それは自然に起こるものだからである。ラトゥ・マハラージの場合は、他の修行者たちの場合と同じように、彼が何と答えるか、彼が何と言うか、決して知ることはできなかった。しかし、その言葉はいつも、要点をついていた。あるとき、ある信者が、ベルル僧院で催されたシュリ・ラーマクリシュナの例年の誕生記念式典に出席したあとに、カルカッタのラトゥ・マハラージを訪ねて来た。彼は何人かの友人を連れていた。ラトゥ・マハラージは彼に尋ねた。「聖堂においでになる主にお供えをいくら捧げたか?」 信者は捧げたものを言った。すると、ラトゥ・マハラージは、彼の友人について尋ねた。彼らは何も捧げなかったということを聞いて、彼はほほえんだ。「あなたの友人たちは、着払いで信仰を手に入れたいのだね」 その信者は意味がわからなかった。スワミは、切手を貼らずに手紙が目的地に届くことを望む、すると、受取人が郵送料を払わなければならないということだと説明した。信者は言った。「マハラージ、すばらしい言いまわしを考えつかれました」

 ラトゥ・マハラージはつづけた。「非常に多くの人びと(その信者の報告によれば五千人)がベルル僧院でプラサードをいただいたのに、そのほとんどが何も寄進しなかった。主に何かを捧げないでプラサードをいただくのは良いことか? 僧たちはまったくお金を持っていない。信者たちが主に捧げたものは、何であれ、ふたたび信者たちのために使われるのだ。数人の僧たちを食べさせるために、そのうちのいくらが使われるというのだ?師はよく言っていらっしゃったものだ、聖地をおとずれるときには、捧げものをしなければならない、と」

 あるサンスクリット詩人は、理想の人間像をたたえて、それは雷電のように強く、花のようにやさしくあらねばならないと書いている。おもてにあらわれたラトゥ・マハラージの態度は厳格であり、ときに近づきがたくすらあったが、そんなぶっきらぼうな外面を通り過ぎることをひとたび許されると、内面では、彼が柔和とやさしさそのものであることがわかった。実際、話す気分にあるときは、彼はとても自由でつきあいやすかった。子供たちでさえ彼と一緒にいたがって、彼の肩にのぼって遊んでいた。あるとき、スワミ・プレマーナンダは、親しい信者の一人に語った。「こわがることはない。あなたはラトゥ・マハラージの恩寵を受けている。あれほど情け深い僧はめったにいない。彼と同じ空気に触れるだけでも、あなたはきよめられ祝福されるだろう」

 ラトゥ・マハラージは、本当に苦しんでいる人びとにはとりわけやさしかった。ある晩、真夜中に酔っ払いがラトゥ・マハラージのところに来て、あとで自分自身がプラサードとしてもらえるように、スワミに食物を捧げたい、と酔っ払ったまま主張した。男はどちらかというと喧嘩腰だったが、ラトゥ・マハラージが黙って食物を受け取ると満足して立ち去った。ラトゥ・マハラージは説明した。「あのような人びとはわずかな同情がほしいのだ。同情してよいではないか」

 ある日、一人の信者が服を雨でびしょぬれにしてラトゥ・マハラージを訪ねて来た。ラトゥ・マハラージは自分の着衣のどれかを着るようにすすめた。信者は、スワミの服を着ると思うとうろたえたが、それはラトゥ・マハラージを尊敬していたからであるばかりでなく、スワミの服はサンニヤーシの黄土色の服だからでもあった。しかし、ラトゥ・マハラージは、もし着るものがなくて病気にでもなったら、職場で働くことができず、もっと困ることになるだろう、と指摘して、着るように主張した。

 ラトゥ・マハラージに接することで多くの人の人生が変わったが、彼は意識的に弟子を一人も持たなかった。ラトゥ・マハラージ自身、よく言っていた。「一人の男がもう一人の耳にマントラをささやくと、彼がグルになってもう一人の奴が彼の弟子になると思うか? そして、弟子はすぐにさとるか? そんなにたやすいことかね? グルはたくさん忠告することはできるが、すべては神の御手にあるのだ。ちょうど弁護士が、私はできるかぎりこの事件の弁護をしました、今はすべては裁判長の御手にあります、と言うのと同じだ」

 またあるとき、彼は言った。「僧は、毎日あなたの代わりにあなたの心を掃除しつづける掃除人だと思うのか? 彼は、一度はあなたの心をきよめるかもしれない。そのあと、よごさないようにつとめるのはあなたの仕事だ。あなたにちっともやる気がなければ、僧に何ができるか? 修行者に、あなたの過去の痕跡をぬぐい去ることができるか? あるいは、彼があなたを肩にのせて主のところに運んでくれると思うか? 彼はあなたに道を示すだろう。しかし、あなたはあなた自身で歩いて行かなければならない。それが、神に到達するただ一つの方法だ」

 彼は、冗談や物語を通じて教えを与えるときもあれば、叱責や沈黙を通じて教えを与えるときもあった。ある日、一人の信者が彼に言った。「マハラージ、あなたのお叱りは、銃剣の形をしたチョコレートのようです。とてもやさしく、情愛があります。親は子供によかれと思って叱りますが、あなたのお叱りはなお甘いのです。それというのも、親はそれほどの愛を私たちに与えてくれることはできませんから」

        *   *    *

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダの求めで、スワミ・ラーマクリシュナーナンダは一八九七年、センターの設立のためマドラスに向かった。何年もの激務の果てに、彼は病にたおれ、一九一一年六月にカルカッタに戻った。ラトゥ・マハラージは毎日のように彼を訪ね、訪ねることのできない日には誰かをつかわして彼を見舞った。ラトゥ・マハラージは、この兄弟弟子のことをいつも非常にほめていた。スワミ・ラーマクリシュナーナンダは、その年の八月に亡くなった。

 この後まもなく、ラトゥ・マハラージはヴァラナシに行き、余生をそこで過ごしたいと言い出した。彼がこの考えをギリシュ・ゴーシュに話すと、ギリシュは反対した。「おお、サドゥーよ、君はカルカッタを去ろうとする、だが誰が君を行かせるものか」 ラトゥ・マハラージはこの考えを捨てたが、ギリシュが一九一二年に亡くなったあと、ふたたび取り上げた。

 一九一二年一〇月、ラトゥ・マハラージは、カルカッタのバララーム・ボースの家を去って、ヴァラナシに行き、カルカッタには二度と戻らなかった。出発の前夜、列車に乗る直前に、彼は実に長い年月を過ごした部屋を余念なく見つめた。そして、「マーヤー、マーヤー、マーヤー」と言い、主に敬礼した。

 カルカッタの駅で、彼の出発にひどく沈んだ一人の信者が彼を迎えた。ラトゥ・マハラージは、彼をなぐさめた。「さあ、おまえ、私の出発を悲しむな。あちらのほうに母なるガンガーが流れている。母なるガンガーは、悲しみに沈んだよるべない魂を救って下さる。できるかぎりひんぱんにガンガーの土手にすわりなさい。修行者のそばにいればきよめられるという。母なるガンガーのそばにいるのも同じことだ。あそこで瞑想しなさい。祈り、数珠を繰りなさい。そうすれば、心と肉体がきよめられるだろう。不安におそわれたときは、いつもあそこに行って静かにすわりなさい。そうすれば心が落ち着いてゆくのがわかるだろう。ガンガーの波を見つめているうちに、あなたの心の波もしずまるだろう」

 ラトゥ・マハラージは、生涯最後の八年間をヴァラナシにおいて、この神聖な町のあちこちに滞在しながら過ごした。彼らしいことだが、彼はあまりにしばしば瞑想に没入していたので、決まった時間に食事をとることはめったになかった。カルカッタの地方裁判官ビハリラール・サルカルは、ラトゥ・マハラージに心から帰依していて、ヴァラナシに彼をしげしげと訪ねていたが、彼は書いている。「彼の日常生活はあまりにも不規則なので、彼が市外に住んでいるのか、森に住んでいるのか、誰も知らなかった。今日は午後十時に食事をしたかと思うと、翌日は真夜中の十二時に、その翌日は午前三時に食事をする。彼の日課は非常に気まぐれであった。つきそい人は、彼が瞑想から立って食事の用意を求める時機を、常にうかがっていなければならなかった。ことによると午前一時に、まったくだしぬけに、彼は、これといった理由もなく誰をというわけでもなく叱りはじめていたものだった。他の人ならば驚いただろうが、彼と共に暮らしている人びとは、彼が心を高い霊的な境地からひきおろそうと奮闘しているのだとわかっていた」

 ヴァラナシでこのような霊性の修行をおこなっていたラトゥ・マハラージに会った一人の信者が、あるとき彼に言った。「マハラージ、あなたはシュリ・ラーマクリシュナにお会いになって、長いあいだ彼にお仕えになりました。カルカッタのガンガーの土手でそれはたくさんの修行を積まれました。老境に入られたいま、どうしてこれほどの厳しい修行を重ねなければならないでしょうか?」

 ラトゥ・マハラージは答えた。「彼に会い、お仕えしただけでは至高に到達するのに十分ではない。それほど容易ではない。霊性の修行は不可欠だ。彼の恩寵によって人は真理に到達するだろうが、霊性の修行をおこなわなければ恩寵を受け取ることはできないのだ。たとえ小さな恩寵のためであっても懸命に努力しなければならない。主の恩寵をいただきつづけることはたやすいことだろうか? それには多大の努力と強さとが必要なのだ。恩寵とは、信者がひとたびつかまえたらその後ずっと満足していられる、というようなちょっとしたことだと思うか? 恩寵は、無限なのだ。どれほど多くの方法によって彼が恩寵を与えて下さるか、それは誰にもわかるまい」
  


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