不滅の言葉 96年5号

スワミ・ブラマーナンダの思い出(2)

スワミ・ヴィジャヤーナンダ
   

 私のうぬぼれへの第二の打撃は、直接の形でやってきた。僧院に入る前に私は、化学者として非凡な能力を開発していた。ただ匂いをかぐだけで、知らない溶液の成分を正確に言いあてることができたのだ。私はこの能力を非常に誇らしく思っていた。ある日、若いスワミが一個のフラスコを持ってきて、マハラージがこの中身を知りたいと思っていらっしゃる、と言った。私はふたをとって溶液の匂いをかぎ、成分とその割合を紙に書いて渡した。若いスワミはそれを持って去った。二日の後に同じスワミが別のフラスコを持って私のところに来、私は、大変によい香水であるにせよ、マハラージがなぜその成分を知りたいなどと思われるのか、深く考えもせずに、同じことをして渡した。しかし三度目にマハラージが別のフラスコを持たせてよこされたとき、私の心に、彼は私のうぬぼれをためしておいでになるのだ、という思いが浮かんだ。それで私はフラスコを持ってマハラージのところに行き、「化学者という、私のうぬぼれの泡をつぶそうとしておいでになるので?」と言った。ほほえみつつ、彼は英語でお答えになった、「やっと分かったのか。わたしの息子よ」ぼうっとしてお前を去り、その日から半年以上、私は、この能力を養わぬよう、非常な努力をした。そしてやがて、それを失った。

 所有の観念について、またそれがどのように私の内部ではたらくかについて教えるために、マハラージはあるとき私を、シュリ・ラーマクリシュナの古い聖堂の前の広い地域にあるバラ園のなかを散歩なさった。さまざまの種類の花を見せ、それらの世話の仕方を教えながら、彼は一本の、満開または半開、みごとな花々を咲かせている木の前に立たれた。そしておっしゃった、「この花を見て君が感じることを全部、遠慮なしに言ってごらん」私は言いはじめた、「何という美しい花でしょう!何という姿!何というすばらしい香り!私は手にとり、そばに持ってきてその香りを楽しみたいと思います!」即座に、マハラージはこうおっしゃった、「それをしてはいけない、園丁がお前を叱るから。この花はタクール(シュリ・ラーマクリシュナ)のさし上げるためのものだ。君はその美しさを評価するだけの才能を恵まれている。よい眼を持っており、(そしてそのあとの言葉には特に力をこめられた)また、遠くからもこの花の美しさと香りを十分に楽しめるだけの、自分にすぐれた嗅覚を持っている。何でそれを持ちたがって、園丁から叱られるような結果を招く必要があるのか。いっさいはタクールのもの、と知る者は、彼の現われをもっと良い方法で楽しみ、執着や所有欲の結果に苦しむようなことをしないものだ」何と彼の教えの生きいきとして完全であったことか。

 ある日、マハラージが私におっしゃった、「植物学を学んだ君は、(私は決して、彼にそれをお話ししたことはなかった)植物に水をやる一番の時刻は日の出の直前と日没の直後だということを知っているだろう。君、ここにモクレンがあるだろう。これに、日に二回、バケツに二杯ずつの水をやってもらいたいのだ」私は命令にしたがった。しかしある日、用事があってカルカッタに行かなければならなかった。夜、帰ってきたときに思い出して、水をやった。翌日、見まわっておられるときに、マハラージはどうしてか、小さなモクレンが定められた時に水を受けていなかったことを知り、きびしい様子でおっしゃった、「きのうの午後、木に水をやったか」「いいえ、マハラージ、夜、帰りましたので。でも帰るとすぐ、いつものようにやりました」「なぜ、誰かに頼んで行かなかったのか。私、君のグルが頼んだたった一つのことを、君はなおざりにした。いまは君のブラマチャーリヤはどこにあるのだ。君はそれを失ったね。グルが頼むことに注意を払わないのは大きな間違いだ!私は非常に残念に思う!君がそんなに無思慮だとは思わなかった!」これは私がマハラージからはじめて受けたお叱りだったが、私にとって非常につらいものだった。私は泣きながら許しを乞うた。マハラージはただ、こう言われた、「よしよし、これを覚えておきなさい。そして二度とはくり返すな。私がどれほど君を愛しているか、君は知っているはずだ。もし私の頼むことに注意を払わなかったら、君は馬鹿になってしまうよ!ブラマチャーリは常に、心をはっきりとさせていなければならない」

 マハラージの教え方の特徴の一つは、きびしく叱ったときにも力を与えて下さる、というものだった。私は決して、落胆はしなかった。決して、自分は無価値な人間だ、とは考えなかった。彼は私にとってじつに親しいお方であったから、彼に服従するのは少しもむずかしいことではなかった。私にとって、彼の言葉は常に愛の表現として来た。この組織のなかで、彼の言葉は尊敬され、守られていた。しかし前に言ったように、まさに最初の会見のとき以来、僧団の長としての彼に対する恐れは、私からまったく消えていた。私は、自分は彼のもの、と感じていた。時に、ごくまれにではあるが、何かの問題について彼と議論をした。しかしいつも、彼の教え、または命令が理解できるようにもっと詳しく説明して下さい、とお願いした。一度か二度、私は恐れ気もなく最初、従うことを拒んだ。しかし彼はじきに要点をはっきりと説明し、仕事をするに必要な力を与えてくださった。

 一九二〇年三月のある午後、年長のスワミたちの会議のあと、スワミ・シヴァーナンダが部屋から出てくると私に、「君はこの都市に行ってタクールについて講話をしなければならない」とおっしゃった。私は彼やマハラージのそばを離れたくなかったので、「私は行きたくありません。それに、シュリ・ラーマクリシュナについてどう話すのか、私には分かりません」と言った。ほほえみつつ、スワミ・シヴァーナンダはおっしゃった、「君はマハラージからの命令を拒むわけには行かない。誰も、われわれさえ、彼にそむくことはしないのだ。それに君は、われわれが君はタクールについて何もかも知っている、と思うほど馬鹿だ、と思っているのか。われわれは、君が人びとに、君が何も知らないことを話すよう、彼らのところに送るのだよ」当惑して、私は抗弁しようとした、「ではなぜ私をお送りになるのですか」しかしその瞬間にマハラージは部屋から出てこられるのが見え、彼が私におっしゃった、「これ、私の息子、この話をすることは君にとって、ごくたやすいことなのだよ」しかし私は答えた、「マハラージ、私はほんとうに、タクールについて何も知らないのでございます。それに、私をあなたからお離しにならいよう、お願いいたします」マハラージはお答えになった、「いっしょにおいで、どのようにこの話をすべきか、私が教えてあげる。集会の長が講話を、と呼びかけて来たら、君は席を立ち、まず彼にそれから聴衆にあいさつをする。それから彼ら全部をタクールの現われと見て、一瞬彼に、心を集中するのだ。タクールがどのように、君の口を通じてお話しになるか、分かるだろう。少しもむずかしいことはない。必ず何もかもうまく行く、と思うよ」私は何も言うことができなかった。まさに仰せのとおりになるだろう、と感じ、翌日彼にご挨拶してその祝福を受け、スワミ・シヴァーナンダをはじめとする他の年長のスワミたちの祝福を受けて、僧院を出発、この都市に行った。このときに話した主な講話および他の二、三はたいそうほめられたが、私は大きな間違いをした。マハラージに到着の知らせもせず、講話についての何の報告も送らなかったのだ。思慮のない若者のように、私はいっさいを忘れ、そして病気になった。日がたち、それでも彼に便りはしなかった。僧院に帰ってきたとき、マハラージは遠くのセンターに行かれておるすだった。スワミ・シヴァーナンダがおっしゃった。彼は私から便りが来ないものだから幾日間か大変ご心配の様子だったのだが、やがて立腹なさったそうである。これを聞いて私は非常に苦しみ、ゆるしを乞うまで二、三ヶ月間待たなければならぬと知ってもっと苦しんだ。彼のお手紙にはこう書いてあった、「二度と私を苦しめるではないぞ、便りを待たせて」グルの足下への献身は私にとっては骨の折れる仕事ではなかったのだ、ということを読者の皆さんに理解していただけるだろうか。

 一九二〇年、私は他の三人とともにベナレスのセンターに送られた。そこで私は、図書館係という役を与えられた。ここにわれわれは病院その他の施設を持っている。私たちが到着すると間もなく、ここにいる古い働き手との間に問題がおこった。彼らはよい人たちだったけれど、僧の生活の重要さを評価しなかった。年長の僧たちとベルル僧院からおくられてきた若者たちとの間の誤解は非常につよくなり、マハラージとスワミ・サラダーナンダ(組織の事務長)とが事件を収めるために来られなければならなくなった。この時期にマハラージは私にさまざまのことを教えて下さり、私の愛と帰依心はいっそう堅固なものになった。ある朝、彼は私をわきによんで、おっしゃった、「そう、君は『王様の役所』から来ているのだね」私は答えた、「誰がそれを申し上げたので?」(古い奉仕者たちが私をセンターから追い出そうとしたとき、私は彼らに、「あなた方は、私に向かってそれをすることはできない。私は『王様(注、マハラージは王の意)の役所』から来ているのだから、マハラージの正式の命令がなければ、私はここからは動かない」と言ったのだ。)ほほえみつつ、マハラージはおっしゃった、「ニュースは全部、私のところに来るのだ。恥ずかしがらなくてもいい。私が君に、私のスタンプを捺して上げる。しかしここに、君が心得ておかなければならないことがある。王子は、父の王国の広さを知っていなければならない。そうでないと、ただ『私は王子だ』と言っているだけでは、人びとは満足しないし服従もしない。それだからわたしの息子よ、霊性の馬にまたがって、君の父の王国を検分せよ」自分の務めについての、自分の修行についての新しい概念によって、私は新しい光を見た。私は、彼が私を認めて下さったのだから、私の務めは自分の生命を彼にふさわしいものとすることだ、と感じた。私は、彼に正式のイニシエーションをお願いした。すると彼はおっしゃった、「タクールの聖き御名をくり返せ、と言ったではないか」これは前置きの儀式などがあって受けたものではないから十分であるとは思われなかったので、私は、「でもこれはマントラムではありません!」と言った。マハラージは非常にまじめなご様子になられ、ただ、「君は私が言ったことを実践しつづけよ」とだけおっしゃった。公園のなかを歩きながら、彼は突然おっしゃった、「あることを知っているかね。限定された、または条件つきの忍耐は、狭量だ。忍耐には、限界があってはならない。忍耐を実践する者は、彼のエゴイズムをすてる。そしてエゴイズムがある間は、神はハートにお現われにはならないのだ。実践せよ、わたしの息子。私が君に言うことはすべて、君のためになることばかりだ、という確信が持てるまで、熱意をこめて実践しなさい」マハラージは深いやさしさをこめてじっと私の目を見つめ、何も言わないでほほえまれた。

 彼への愛と信仰は深まり、タクールの誕生日の朝、何人かにサンニヤーサの戒を与えられるときいたとき私は、自分にも完全放棄のこの印をお与え下さるよう、彼にお願いした。彼はおっしゃった、「わたしの息子よ、このことについては君は僧団のある規則を守らなければならないのであって、シュディル(スワミ・シュッダーナンダ)がいっさいをとりしきっている。もし彼がゆるせば、君をイニシエートしよう」私は走ってスワミ・シュッダーナンダのもとに行き、マハラージがおっしゃったことを伝えると、彼は答えられた、「いや、君はやっとのことでブラマチャーリヤの一年間をすごしたのだ。それでサンニヤーサを願うとは!あと二年は待たなければいけないよ」たいそう悲しんでこのことをお伝えすると、マハラージはじつにやさしく、「そんなに悲しむな。われわれは規則には従わなければならないのだ。だが、私が君にゲルア(われわれの僧団および他の多くの僧たちが着る黄土色の衣)を上げよう。正式の儀式は後に行なわれよう」こうして私は彼の浄き御手から僧の衣を受け、何日かの後に彼は私に、ベルル僧院に帰ってそこで彼をお待ちするよう、求められた。いとまを乞いに彼のもとに行くと、彼はおっしゃった、「われわれが別の仕事をあげるまで、もっともっと、献身(お任せ)の修行に専念せよ」

 タクールのお誕生の公式の祝日の何日か前に、マハラージはベルル僧院に帰って来られた。このたびは私は、少しのおそれもなく非常に幸福な気持で、もっと自信をもって彼に近づいた。彼の御足のもとにひれ伏したとき、あの神々しい微笑をたたえて彼はお尋ねになった、「元気かね、わたしの息子、何もかもうまく行っているか」私は、「はい、マハラージ」と申し上げた。またうまく行かないはずがないではないか。今は私は、彼の存在をしばしば自分の内に感じ、またそれを内にも外にも感じていたのだ。私は、幸福の大波に呑まれていることを感じた。

 タクールの信仰者たち讃仰者たちにとっての重要な日がついに来た。僧院は人でいっぱいであった。四時には約三万人の人びとがいた。この日には私は、主たる建物の番をすることを命じられた。私の役は、偉いスワミたち、ことにスワミ・ブラマーナンダに会いに来たのだと分かっている人びとだけ、二階に上がることを許す、というものだった。多くの人びとの入ることをとめなければならなかった。他の、私が知らなくてもマハラージがよく知っていらっしゃる人びとは私に注意を払わず、とめられても上がって行った。午後五時ごろだった。他の人びとをつれた一人の年輩の婦人が、私に、「私の子供、何某の母が会いたがっている、とどうぞ、ラカールに伝えて下さい」と言った。彼をこの名で呼ぶのだから親しい人びとであろうと思い、私は、「どうぞお通り下さい」と言った。好奇心から、私は彼女について行った。マハラージが椅子にすわっておられるベランダに着くと、彼女は「ご機嫌はいかが、ラカール」と言った。マハラージはそれには返事をせず、「あれを持って来ましたか」と言いながら子供のように急いで彼女に近寄り、サリーのはしの結び目をといて肩から下がっていた包みをお取りになった。包みをあけると、ココナッツと砂糖キビのジュースでできた菓子をとり出し、まるで天国のご馳走でも食べるように召しがった。私は仰天した。そこに偉大なスワミではなく、一人の子供を見たのである。のちに、この婦人はタクールの偉大な信者であって、彼のご生前、彼女はよくこの菓子を持ってきて差し上げていたのだ、ということを知った。彼のヴィジョンが彼女の前に現われて、この菓子をマハラージのところに持って行け、それは私のところに持ってくるのと同じことである、とおっしゃった、と言うのである。この時以来、真摯な信者たちの前に現われるタクールのヴィジョンについての私の疑いは、心から除かれた。私はなお、もう一つのできごとをおぼえている。マハラージが菓子をたべていらっしゃるときにスワミ・シヴァーナンダが部屋から出て来られて、彼に向かって、「ラージャ、ラージャ、僕にも少し残しておいてくれたまえ」とおっしゃった。その理由は恵まれた人びとだけが知っておられるものごとがあるものだ。肯定にせよ否定にせよ、われわれの説明はほとんど意味がない。

 前に、マハラージが私に英語のニックネームをつけられたことは話した。しばしば、他の人のいないところでその名で呼ばれた。そして私が西洋人だから英語ではなすのだと言って、こうおっしゃった、「君は、西洋人が寛容の概念を非常に重要視するのを知っているか。彼らにしたがえば、寛容は偉大な徳なのだ。それはたしかにそうだ。しかし、私は君に、それを超えるように頼む。君に助言を求めて来る人びとに対しては、寛容ではなく、同情の精神がなければならない。ね、寛容の概念はそれといっしょに悲しみの感じと、ある程度の優越感を持ってくる。このような思いを心に抱いていたら、決して相手のハートに触れることはできない。同情によってはじめて、われわれは人びとに奉仕し、彼らを助けることができるのだ。その上に、多くの人が一つの非常に重要なことを知らない。それをいま話そう。寛容だけを実践する人びとは、無意識のうちにうぬぼれを増長させつづける。実は彼らは誰をも助けることができず、間もなくみなが離れて行きはじめる。なぜなら誰も、絶えず自分は無知な、悪い、役立たずの罪びとだ、などとは思いたくないのだから。他方、同情によって、君は助けたいと思う人と肩を並べ、彼に力を与える。君は相手の感情を傷つけることなしに、彼を高め、決して彼に、自分は低い、などという思いは起こさせない。もしわれわれが自分を離れたところに置いたなら、人を真に助けることは不可能だ。これはわれわれが寛容を実践したらしばしば起こることである。その上に、一つのことをおぼえておきたまえ、わたしの息子よ、僧という君の立場は、奉仕するものであって、慈善を行なうものではないのだよ」このすばらしい助言は私の無知というベールの多くをとり除き、それは今もなお、私の上にはたらきかけているのである。(つづき)
 


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