不滅の言葉 96年4号特別号
スワミ・ブラマーナンダ の思い出(1)
スワミ・ヴィジャヤーナンダ
スワミ・ブラマーナンダ
スワミ・ヴィジャヤーナンダはスワミ・ブラマーナンダの弟子。アルゼンチンに派遣されて現在のブエノスアイレスのセンターを創立、そこで生涯を終えられた。これは、スペイン語訳「永遠の伴侶」の序文として師がかかれたものである。
神の化身シュリ・ラーマクリシュナの霊の息子、私の偉大なグルに敬意を表しつつ、私の兄弟たちに、私の記憶に深く刻まれている、事実のいくつかを物語ろう。
私は一九一六年にはじめて、スワミ・ブラマーナンダにお目にかかった。それはある午後だった。さまざまのスワミたちが、ベルル僧院内の、ガンガーのほとりの草原を歩いておられた。私は若い大学生、わが国を助けるものであるかどうかもあまりはっきりとしないような、ロマンティックな愛国心その他の思想に胸をふくらませていた。スワミ・ヴィヴェーカーナンダはわれわれの国民的英雄であった。
そのときは私は霊的生活については何の理解も持たず、それに心をひかれているわけでもなかった。若い、思い上がった学生たちの間にたいそうはやっていた、ある種の傲慢な不可知論を主張していた。それにもかかわらず、私はラーマクリシュナ・ミッションの本部に行ったのだった。この組織は政治に立ち入ることなく、貧しい同国人への奉仕に、病める人びと、貧しい人びと、無学の人びとへの奉仕にみずからをささげるよう、インドの若者たちを導いていたからである。
私はよくおぼえている。当時は神の存在非存在など私には問題ではなかった。自分の勉強とスポーツ以外に私がもっとも知りたいと、しかも知的に、知りたいと思ったのは、自分たちはいつ、イギリスの政治支配から解放されるだろうか、ということであった。
その思いと、そしてラーマクリシュナ・ミッションのスワミたちへのある種の尊敬と賛嘆から、私はその午後、ベルル僧院を訪れたのだった。
スワミたちは散歩していた。じきに、私は彼らがみなシュリ・ラーマクリシュナの弟子たちであることを知った。ブラマーナンダ、トゥリヤーナンダ、およびスボダーナンダである。私は遠くから彼らを眺めていた。私は彼らの歩き方に注意をひかれた。それぞれのスワミが独特の歩き方をしていた。しかし全部が、私がかつて見たことのない、軽い足どりで歩いていた。その上に、スワミ・ブラマーナンダの歩き方はいつまでも私の心に焼きついた。スワミは背が高く、そのものごしは王者の風格をそなえており、一〇〇メートルほど離れている私には足が草原についていて同時についていないように見えたのである。
この歩き方を説明するのはまことに難しい。今日に至るまで、私はまだ、そのような姿で歩いている人にはあったことがない。最初のロマンティックな時期であったあのころ、チャーミングなものは何でも若者の心をひく、あの時期、美しいものであれば価値や効用を問題にしなかった、あのころ、スワミ・ブラマーナンダは彼の美しい、威厳のある歩き方だけで私をひきつけたのだ。そのときには私は彼に近づく必要を感ぜず、彼と話もしなかった。
つぎに彼に会ったのはやはりベルル僧院で、しかし、はるかに身近な形で、であった。私はすでに僧団に加わり、ブラマチャリヤの誓いを立てて、聖典の勉強とともに、精神集中と瞑想の修行をしていた。そのときには私は、霊性とは何であるか知らなかったが、この場所には純粋な愛がある、ということだけは、疑いの余地なく感じることができた。当時この組織の副プレジデントであられたスワミ・シヴァーナンダが、ベルル僧院の院長の席についておられた。プレジデントのスワミ・ブラマーナンダはブワネシュワル(いまオリッサ州の首都)に住み、あちらこちらのセンターを訪ねておられた。
ある日われわれは、スワミ・ブラマーナンダが間もなくベルル僧院に来られる、という大きなニュースを受けた。お着きの前日から、センターは変容した。正門の上に歓迎の音楽を奏する楽師の席が設けられた。さまざまの花の輪、いろとりどりの旗、バナナの木などが道ばたに、また水がいっぱい入った新しい瓶、そしてそれらの上にグリーンココナッツやマンゴーの木の葉。スワミたち、ブラマチャーリたちはみな、ドーティとチャダルをまとっていた。彼らの顔は幸福に輝き、みな、待ちこがれる表情を見せていた。僧院全体がその王さま、マハラージャを待っていたのだ。車の警笛が聞こえると、大勢が出迎えに走った。ただちに、僧院は、「ジャイ、シュリ・グル・マハラージ・キー・ジャイ」という叫びでみたされた。
スワミ・ブラマーナンダとスワミ・シヴァーナンダとがクーチベハールのマハラジャの大きな車から降り、そのまま、用意されたベンチの方に進まれた。これが、私が私のグル、霊性の師に近しくまみえた始めであった。
何という静けさ、何という善良さ! 何というやさしさが、彼のお顔から放射されていたことか! 一人また一人が彼のみ足のもとにひれ伏した。全部が前に彼にお目にかかっていた。私のひれ伏す番が来たとき、私はスワミ・シヴァーナンダがこうおっしゃるのを聞いた、「ラージャ、これが私が前に君に書いてやった男の子だ」私が彼の聖きみ足に触れたとき、マハラージは私におっしゃった、「たしかに君は、前に会ったときにはもっと肥っていた」このお言葉が私の感じていたおそれをいっぺんに消散させ、私はまるで生まれたときから彼を知っていたかのように自然に、答えた、「いいえマハラージ、あべこべに、あなたがあのとき、もっと肥っていらっしゃいました」と答えた。マハラージも他の人びとも笑い、これで私のグルへの紹介はおわって、霊性の世界における、私の服従、信仰、苦闘、理解、および感得の生活が始まった。
私はすでに、スワミ・ブラマーナンダはシュリ・ラーマクリシュナの霊の息子である、ということ、スワミ・ヴィヴェーカーナンダも常に、スワミ・ブラマーナンダの悟りは実に深く、量りがたいと言っておられたということ、そして彼は常に、「アーナンダ・サマーディ」、不断の至福、の境地に生きておられるということをきいていた。私は、シヴァーナンダ、サラダーナンダその他の偉大なスワミたちがどんなに深い愛と尊敬をこめて彼を見ておられるか、を見た。しかし当時は私は霊性の悟りの意味を知らなかったし、また、彼の神的な性質によって彼を好いたり判定したりはしなかった。私はただ、私の彼への愛が深まったこと、そしてまたスワミが私を愛して下さることを感じた。私はこの感じの理由が分からなかったし、またそれを知ろうともしなった。私は、特別な何かを感じたのだ。僧院に住む人びと全部が、普通ではない歓びを感じていたのである。
スワミ・ブラマーナンダがベルル僧院におられる間、毎朝非常に速く、四時半に、大勢のスワミたちブラマチャーリたちが彼の部屋に行ってそこで瞑想し、全部がすわれるだけの場所がなかったのである者たちはベランダにすわっていた。この無言の会見は約三時間つづいた。それから四十五分間、賛歌がうたわれた。私は新参者だから、部屋にはよう入れず、いつもドアの近くのどこかにすわっていた。私は瞑想の仕方は知らなかった。好奇にみちた私の心は、静かでいることを欲しなかった。それにもかかわらず、自分がかつて経験したことのない平安を、そしてそのために同時に幸福を、感じたことを私はよくおぼえている。しかし、毎日その至福にみちた状態を楽しむかわりに、このまれな静寂の理由を知りたいという好奇心と、外部からの影響には屈したくない、といううぬぼれとが、私の心中につぎのような思いをおこさせた、「この、集団の祈りと瞑想の最中にもし自分がわざとかき乱すような思いをおこしたらどうなるか見たい」と。するとその結果、やがて二つのことが起こった。両足にむずむずする感じがおこり、やがてそれが大変つよくなって私は席を立たざるを得なくなった。そうしないでも、いくら努力しても私の心は遊びをつづけることはできなかった。ある力、奇妙な圧力が、それを静かにさせたのである。
すべてをご存じのスワミ・ブラマーナンダに、この遊びを隠しきることはできなかったのである。三日間のこの実験の後、私は彼の部屋に呼ばれた。実にやさしく、彼は私におっしゃった、「これ、私の息子よ、もし君が私について何か実験をしたいと思うなら、私がひとりのときにしなさい。このように朝早く、みなが瞑想をしているときには、それをしないようお願いする。君が反対の思いの流れをおこしていると知ったら、みなが怒って君を叱るだろうからね」彼のお言葉をきいて私は深く恥じ入り、スワミは私の内で起こったことを全部ご存じだ、また私たちの心を静め、得も言わぬ至福で私たちのハートを満たしていたのは、彼の慈悲心の不断の流れだったのだ、ということをさとった。
午後には外から人びとが来た。社会のあらゆる階層の人びとが来た。農夫、科学者、医師、弁護士、著述家、小説家、芸術家、若い大学生、雇い人、召使い。あらゆる種類の人びとが差別なしに彼のまわりに集まり、スワミとこの人びととの間の会話は喜びのムードの中で行なわれた。主題は話す人びとの生活、仕事、および職業によってさまざまであった。たとえば、ある日スワミが偉大な科学者ジャガディシュ・チャンドラ・ボースにおたずねになった、「あなたはいつまで、植物王国の生命のさまざまの現われを観察しつづけていらっしゃるのですか。鉱物たちもあなたをお待ちしているのを、ご存じないのですか。彼らはあなたに、自分たちもやはり同じ神の生命をやどしているのだ、ということを世間に示していただきたいと、思っているのですよ。あらゆるものが、あの生きた神性のあらわれなのです」教授は、彼の仕事に対するこの非凡な認識を非常に喜び、謙虚にこう言った、「もしなたが私を祝福して下さるなら、いつかそれを、することができますでしょう」
ある有名な舞踏家に、彼はおっしゃった、「若いシュリ・クリシュナを表わす何という見事なわざを、君は見せてくれたことだろう! しかしもし許してくれるなら、一つ助言をしたいと思う。踊っているとき、またほかの何かをしているときにも、シュリ・クリシュナは決して、自分が神の化身であることを忘れなかった。それだから、クリシュナを表現するときにはこれを忘れないようになさい」舞踏家は答えた、「マハラージ、それは不可能です! どうして私が、自分をそのような神的な高さにまで挙げることができましょう」マハラージは彼におっしゃった、「踊りをはじめる前に、しばらくシュリ・クリシュナを瞑想なさい。そうすると君は、シュリ・クリシュナ自らが君のからだにのりうつるのを感じる、すると君の舞踏は変わってくるだろう」
このように話はつづくのだった。マハラージはある婦人に、「何々のお母さん、(このように婦人によびかけるのがベンガルの習慣であった)先週のあなたの料理は何とおいしかったこと! だがもしこの香料(名前をおっしゃった)を加え、そしてそれから家の祭神にお供えしたら、自分がどんなに幸福を感じるか、分かるでしょう。あなたはいつも、家族のために料理をしてきた。これからは神のためにそれをなさい。すると息子たちも、おさがりをいただいてもっとよい気持になるでしょう」
大きいベランダの一カ所からこのような非凡な会合を眺めていて、私は、みなが深い喜びを感じているのに気づいた。会合がおわって一同が階段を降りて行くとき、彼らは言うのだった、「マハラージはほかの誰よりも私を愛しておられる!」と。私は心中、「この人たちは気ちがいだ。マハラージも人間だもの、誰かより誰かをもっと愛しておられるにちがない。全部が彼の最愛の人だなどということがあるものか」と思った。その上に、霊性の自己中心の誤った解釈から、私はこう思った、「これは何という集まりだ。祈りや離欲や、瞑想の仕方についての、何の助言もなかったではないか。マハラージは誰にも、苦行のことや、どのような修行をせよ、というようなことはおっしゃらなかった。それでもここではみなが、彼は霊性の海だ、と言う。さっぱり分からない」しかし私の彼への愛は深まるばかりだった。私は、どんなに彼の愛が私を高め、私に過去のことすべてを忘れさせるか、を感じた。
何の努力もせずに、次第に深く、私は自分が完全に僧院に属していることを、そしてマハラージおよびその他が自分の親密な友、自分の家族であることを感じた。
ある日、午後二時、私は彼の部屋に呼ばれ、そこで初めて、私は真の霊性の一つの面について学んだ。マハラージはすでに、私にあるニックネームをつけておられ、彼はそれを二人きりのときだけ、お使いになった。それは西洋風の名前だった。ほほえみつつ、幾分か冗談めかして、彼はおっしゃった、「私の息子よ、君が私を観察しているときには私も君を観察している。あることを知っているか。人びとは、霊性とは何か、ということを知らない。この世界で、彼らの大部分は、純粋の愛とは何か、ということを知らない。どのように愛するか、ということを知らない。にもかかわらず、みなが、他の人びとに愛されることを期待する。彼らは、私が彼らの難問を解決することを期待して、私に会いにくる。私は彼らに、いっさいを神にお話しせよ、彼が苦痛を除いて下さる、と話してやる。みなが苦しんでいる。しかしみなが、何か良いものを持っている。彼らは多分それを知らないのだろう。私は、彼らが持っているこの良い面を開発するよう、彼らをはげます。すると彼らは自分を信じるようになる。彼らは私の愛を感じ、彼らのハートは溶け、それで私を愛しつづけるようになり、彼ら自身への信念と私への愛を育てることによって霊的生活への準備ができる。やがて、神のお慈悲によって浄化と永続的な幸福への願望が彼らの内部にわくと、私は言うのだ、『これをせよ』と。そのとき、きれいでよく耕された土地に、霊性の種子が芽生えるだろう。だがもし最初から霊的助言を与えはじめたなら、大方、彼らは言うだろう、『何ひとつ新しいものはない。スワミの言うことは全部、知っている。書物に書いてあるもの』と。その上に、君にある秘密を話そう。この世界は、善いものと悪いものとでできている。程度だけのちがいだ。利己的な思いにおおわれて、人びとは真の愛の存在を知らない。この利己主義があまりに増長すると、「純粋の愛」の偉大な探求者たちが、来て苦しむ人類をお救い下さい、と神に祈る。彼らの祈りをきいて、「純粋の愛」すなわち神が、化身する。これが、「神の化身」の秘密なのである。人びとは何もかも持っているのだが、無知とうぬぼれとエゴイズムにまぎれて、神の現前を感じることの必要を忘れている。純粋の愛が、すべての病の療法である。真剣で浄らかな愛によって、あなたは他者を助けることができるのだ。この神の愛がなければ、すべての霊性の修行は無益である。エゴイズムのない愛だけが、人のすべての不純性を浄める。分かるか、私の息子。それを実践するよう、努めなさい」
その日、私はこの教えの深さは理解しなかったが、力にみち、自分が新しくなった感じがした。自分が真の洗礼を受けたように思われた。
私のグルと私
ヒンドゥにとって、グル(霊性の師)と弟子との関係は永遠である。それだからヒンドゥは、彼のグルを永遠の友と見る。グルと弟子との関係は、互いの尊敬と愛の上に成り立っている。弟子は自分の師を、自分の指導者と仰ぐだけではなく、最良の友、父、そして自分の理想の表われと見る。そしてグルは彼の弟子を自分の息子、友および自分の霊性の悟りの相続者と見るのだ。各人の心の状態は過去に記録されたもろもろの印象の結果であるから、霊性の生活についての概念は、個々非常に独特である。心理的、道徳的傾向がその人の性格をつくり、この性格が、彼の判断能力に色調を与える。人の性格の莫大な多様性が、神、至高者、信仰者の愛しい御方、純粋なる知性の原理に至る、無数の道の存在の理由である。いかなる機械的方法も教条も、まちがって理解されたどんなおきても、弟子の進歩を助けることはできない。弟子は従順でなければならない、グルから言われたことはすべて実行すべきである、グルが与えた(強いたのではない)おきてには完全に服従すべきだ、すべての利己的な愛、すべてのうぬぼれをすててこの新しい生命、霊的生命を理解するよう努めなければならない、というのはほんとうである。しかし、グルは彼の弟子への限りない愛をもって、真の霊性という強力な種子を受けるべく土壌を用意するために、彼自らの能力に、無私と献身というこの新しい道徳生活の価値の理解に、信念を持つよう彼を助けなければならない。それだから弟子は、彼の見解に応じて師から特別の教えを受けるのであって、これは非常に重要なことなのである。ヒンドゥの求道者はそれぞれ、彼のイシュタムを持つ。神性の一つの面であって、彼が自分で、またはグルと相談して選ぶ、彼の理想である。
そのとき、私はまだイニシエイションを受けていなかったから、イシュタムを持っていなかった。私の神の概念は、他者の意見により、つまり読書や、この問題については自分よりよく知っていると思われる年長者の意見によって形成された、純粋に知的なものだった。私の宗教的信仰は、非常に表面的なもので、それを受け容れてはいたが、それは自分の確信の結果としてではなく、直接の認識の、不断の確実な感情の結果でもなかった。
スワミ・ブラマーナンダのベルルへの到着の前、シュリ・ラーマクリシュナのもう一人の偉大な霊性の息子、スワミ・シヴァーナンダの指導に従って、つぎのきまった言葉をとなえていた、「おお神よ! 多くの人びとがあなたは存在なさると言い、他の人びとはあなたはいらっしゃらないと言います。多くの人びとがあなたは人格であられると言い、また他の人びとは、あなたは超人格的であられると言います。私は何も知りません。あなたは何であられるか、あなただけがご存じです。どうぞ私のハートの中にご自身をお示し下され、私にあなたの現前を感じさせて下さい」私には非常にもっともで論理的だと思われた、このきまった言葉のくり返しにより、また何かを感じたいという切望に助けられ導かれた正しい思いによって、たとえただ客観的にではあっても、私はある結果、神の現前のある種の感じを得た。しかし、私の心は揺れた。それほど疑ったからではなく、私の感じが長くつづかなかったからである。私には、私の霊的感情はすべて私の自己暗示の結果であると思われ、その思いが非常にいやだった。私の内にいるかつての化学の学生が、確実な、しかも目に見える証拠を欲したのである。当時私は、神は一個の対象であって、われわれが彼は架空の存在またはおばけではないと知ることができるよう、自らの存在を証明する義務を持つ、と考えていた。彼は永遠の主体である、不変の、実在の、至高の真理、至高の愛である、ということを知らなかった。変化し、形を変え、良くなったり悪くなったりするのは私自身にすぎないのだ。それはエゴ、知力、心、および肉体の結合であって、それが、実在、神、私の愛しい存在、私のすべて、私の生命の理由、私の意識、および私のイシュタムを隠す、厚い無知のカバーをつくっているのだ。私の心理状態と師が私に与えられた配慮のはっきりとした概念を示すために、当時の一つの経験を物語ろう。
私はまだイニシエイションをお願いしていなかったから、私の修行法はさまざまであった。私はスワミやブラマチャーリたちが瞑想したり、心の中で彼のイシュタムにつながる「神の聖き御名」をくり返したりしているのを観察した。この聖き御名はグルから各人に与えられ、マントラムと呼ばれている。弟子はこのマントラムを、人にはもらさないことになっている。ヒンドゥにとって、宗教は団体のものではなく、非常に個人的なものである。すべてが一つの神を崇めているのだが、各人がそれの特定の面を選ぶ。ヒンドゥは、彼の霊的進歩は彼自身、選ばれた道、および彼のグルの恵みによる、と考えている。環境、彼が属する宗派は、彼が受ける神の恩寵に対してほとんど、あるいは、まったく、重要性を持たない。神の恩寵だけが、彼のエゴイズム、彼の無知を破壊し、すべての苦しみから彼を解放する唯一の道なのである。
私は実験の段階を通過しつつあったのだ。前に言ったように、私は神または神の化身シュリ・ラーマクリシュナが、他の人びとが言っているように彼の存在の確固とした証拠を見せて下さることを欲した。私はさまざまの僧たちから、スワミ・ヴィヴェーカーナンダが、シュリ・ラーマクリシュナは今でも、真摯な信者たちの前には人の姿でお現われになる、と言われた、ときかされた。これを、私は信じることができなかった。あの僧たちは愛深く、利己的ではなく、たいそう善い人たちであるけれど、自分の想像力の犠牲者なのだ、と思った。そのご遺骨の壺を私もすでに見ているシュリ・ラーマクリシュナが、どうして人の姿をお見せになるなどということがあり得よう。しかし、私の推理は僧たちが言うことに反論することができるほど、強くはなかった。
ある朝、私はスワミ・ブラマーナンダの部屋に行く代わりに聖堂に行った。他の人びとのまん中にすわって、強く心に思った、「シュリ・ラーマクリシュナの出現についてすべてのスワミたちが言うことがもしほんとうなら、どうぞ彼が私にシュリ・クリシュナの足輪の鈴の音をきかせて下さいますように」と。驚いたことに、私は直ちにこの音をきいた。恥ずかしくなって、私は立ち上がり聖堂を出た。しかし一瞬の後に推理をはじめ、あの音は私の強い自己暗示の結果であった、と結論した。そこで二日間を、疑いとまよいとに過ごした。三日目に私は、シュリ・ラーマクリシュナに彼の生きた存在を、他の人びとにも分かるような客観的な事柄で証明して下さいとお願いしよう、と思って聖堂に行った。そしてこう思った、「もしこの早朝に、漁師の女が来て大声で魚の名を叫んだら、私はあなたがほんとうにおいでになることを信じましょう」私がこのようにお願いしおわるや否や、われわれは漁師の女が叫ぶのをきいた。食事係のスワミはおこって、この哀れな婦人を叱るべく階段を降りて行った。瞑想の時間であるこの早朝に静けさを破った、と言うのだ。私はたいそう恥ずかしく思い、叫びつつ急いで階段を降りようとした。そのとき、スワミ・ブラマーナンダがそこに立っておられるのを見た。私がご挨拶しようとすると彼は私をきびしくお叱りになった、「こんなテストはもうたくさんだぞ、分かったか、二度としてはならない」泣きながら、私は答えた、「二度といたしません」そしてこれで、私の客観的な神の探求は終わった。しかし私は尚、神は常にすべての生きものの中に存在するという、彼の化身は最高の善である、また化身は、われわれを相対的な目に見えるものにしばりつけているすべての束縛の破壊者である、という、主観的な知識の意味を知らなかった。私にとっては尚、実在は感覚にもとづいたもの、心理的な、しかし個別の生きものも認識することができるような何ものか、なのであった。
われわれの偏見の中に、せまい道徳観にもとづいて、その上に、すぐれた、直接の知識に導くすべての扉を閉じてしまうあのうぬぼれのをもって、思想を形成することにどれほど大きな害があるか、大方の人びとが気づいていない。私はこれらすべての欠点を持っていた。特に、自分の道徳的価値を非常に重視していた。いま、どのようにして私のグルの恩寵により、これらの価値の一つが引き抜かれたか、皆さんに話そう。
ある午後、いまホーリーマザーの聖堂が立っている所にあった木の下に、私はカルカッタで最高の女優が立っているのを見た。私は、彼女の並々ならずすぐれた芸を非常に高く評価していた。彼女が演じるどの役も実に見事で観衆は常に拍手を送っていた。当時はすでに引退していて、舞台にはほとんど出ていなかった。ベルル僧院で彼女を見て、私はちょっと驚いた。ほんとうは根拠のない、ある先入観を持っていたからだ。劇場で働くような人びとは不道徳だ、と思っていたのである。たびたび彼女に拍手を送っていたにもかかわらず、彼女の表現によって深い感動を覚えたことがあるにもかかわらず、私の内部の道徳家は、他の女性たちにするのと同じように彼女に挨拶することを、私に許さなかったのだ。しかし、神の恩寵は、それの神秘的な、不可解な形ではたらいている。その芸術家は私に挨拶をし、マハラージにお目にかかれるか、と尋ねた。自分の感情はおし隠して、私は答えた、「マハラージは今はお会いになれないと思います。ご休息の時間ですから」そして行ってしまおうとした。しかし彼女は、偉大な魂だけが持つ、あるやさしさをこめて、「マハラージがもうお目ざめかどうか見て、伺ってもよいかどうか、お尋ねしてみては下さいませんか」と言った。不承不承、私は行った。彼の部屋の前のベランダに行きついたとき、私はマハラージがそこに、誰かを待つような姿で立っておられるのを見た。彼はお尋ねになった、「何かね、わたしの息子」私は、女優がお目にかかりたいと言っていることを申し上げた。マハラージはおっしゃった、「行け、走って、そして彼女をつれておいで」私は、「マハラージがこの女にこんなにあいたがっていらっしゃるとは、実に奇妙なことだ!」と思いながら階段を降りた。しかしこの感情は隠して、立って待っておられるマハラージのもとに彼女をつれてきた。彼女は彼のみ足のもとにひれ伏し、マハラージはおっしゃった、「さあ、お母さん、おいで、ここにおすわり」と。それから私に、「すぐに良いお茶とトーストを用意し、聖所に供えた果物と菓子とを持っておいで」とおっしゃった。さらに大きな驚きとともに、私はそれをしに行った。盆を持って戻ってきたとき、私は、永久に私の心に刻みつけられた光景を見た。女優はスワミのみ足の上に頭をおいてひれ伏し、み足を涙でぬらしていた。彼は例の威厳にみちた姿で立ち、彼女は言っていた、「父よ、あなたは私の生涯のすべてをご存じでいらっしゃいます。何ひとつ、あなたにはお隠し申すことはございません。おきかせて下さいませ。私にも救いの望みはあるのでございますか」マハラージはお答えになった、「あなたは私を父と呼んだ。それだから今日からずっとこの世で、私の娘としてお暮らしなさい。スワミ・ブラマーナンダの娘として。さあ、もうおき上がれ、私の娘よ、おなかがすいているにちがいない。何かをたべてこのお茶を飲みなさい。これはうまくできているに違いない」女優は、マハラージの浄きみ足を自分の長い髪の毛で拭い、ほほえみつつ私の手から盆を受けとった。言いようのない感情にふるえながら、幸福の涙とともに、私は階段を降りた。のちに、我らの偉大なグルのおかくれになった後、彼を祀る聖堂の献堂式の日、私は完全に変容した、あの偉大な女優、ミセス・ターラーに会った。彼女は私のところに来て言った、「いとしい兄弟、いまは私たちのお父様と、ハートの中でお目にかからなければならない、そうではありませんか」と。涙をおさえて、私は「そうです」としか言うことができなかった。
ターラーとマハラージとのあの会見から、私は多くのことを学び、かつ感じた。あの午後、私の内部の道徳家は強い打撃を受けた。マハラージの恩寵により、今日私は、すべての悪い行為はただ、あの永遠に「浄き者」をおおうだけだ、ということを知っている。それらは決して、「彼」を滅ぼすことはできない。そしてたった一べつが、慈悲深いたった一語が、真剣に自分を神にお任せした者たちのハートを、完全に浄めることができるのである。