不滅の言葉 96年2号

スワミ・アドブターナンダ:その教えと回想(7)

スワミ・チェタナーナンダ

     

第六章 バラナゴル・マートにて

 シュリ・ラーマクリシュナと接した人はみな、神のさとりに向かって、強力な後押しを受けた。彼は霊性の巨人であった。言葉により、触れることにより、あるいはただそばにいただけでも、相手の心をたかめることができた。さらに、彼は信者の中から何人かの若者を選び出して特に、放棄の精神と神のヴィジョンへのあこがれを教え込んだ。これらの若者たちの多くが、彼の僧団のいしずえとなり、彼の高邁な教えの生きた模範となる運命にあった。ラトゥはこのグループの一人であった。

 シュリ・ラーマクリシュナの没後、これらの若い弟子たちの幾人かは、実家に戻って学業をおさめるか、あるいはただちに放棄の生活と霊性の修行に身を投じるかを選択しなければならなかった。しかし、ラトゥには家族はなく、彼をしばる他の義務はなかった。ターラクとゴパール・ダーダーもまた家を出ており、世間のしがらみはなかった。この三人は、賃貸の期限が切れるまでコシポルのガーデンハウスにとどまった。このころに、ラトゥはホーリー・マザーとともにブリンダーバンへの巡礼の旅に出たのだった。

 まもなく、師の信者たちが集うことができて、若い弟子たちが生活することのできる場所として、カルカッタ近郊のバラナゴルに一軒の家が賃借された。バラナゴルの家は、しだいに、世を放棄した師の若い弟子たちの家となり、バラナゴル・マート、すなわちバラナゴル僧院として知られるようになった。つづく数年間、これらの若者たちの多くは、遊行僧としての生活を始め、インドの隅から隅まで旅して、食物を乞い、苦行をおこなった。しかし、だれもが、マートでしばしの時を過ごした。彼らのうち少なくとも一人は常にそこにいたものである。とりわけ、シャシは聖廟での師の日々の礼拝の責任を持ち、また兄弟たちの身辺の世話をした。僧院での生活は、厳しい霊的修行と苦行と、聖典の学習とからなる生活であった。兄弟たちの各々が、シュリ・ラーマクリシュナから受けついだ神聖な遺産をわがものとしようと、奮闘していた。

 バラナゴル僧院の光景の面白い、しかも忠実な描写を、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの弟、マヘンドラナート・ダッタが残している。「僧院の家屋は、非常に古く、いたんでいます。一階の部屋は陥没していて――何箇所かは地面の下にまで――、ヘビとジャッカルのすみかです。二階への階段の踏み板はほとんど半分なくなっています。二階の床は、ある所もあり、ない所もあって、床下の粗石がむき出しです。戸口や窓のよろい戸は大部分が失われています。多くの(屋根の)垂る木は落ちており、屋根瓦は割った竹で支えられています。周囲はすべてイバラの茂みです。おまけに、この家にはまさにうわさのとおり、ほんとうに幽霊が出るのです。聖廟には師がコシポルのガーデンハウスで使っておいでだった品々が保存されています。僧院のメンバーはみな床に寝ており、簡易寝台を持つというぜいたくはもってのほかです。むしろのようなものを二、三枚縫いあわせたしろものが、『デモンのホール』をおおうカーペットです(弟子たち自身がその部屋をこう名づけていた。そして、おどけて自分たちを主シヴァに仕えるデモンたち、と呼んでいた)。このホールの一隅には巻いた敷物がありますが、これは安心して泥棒にあずけることもできるようなものです。その敷物のたて糸がこっちにあると、よこ糸はあっちにあって、その二つがときたま会釈しあう――要するに、海で大きな魚をとるための漁師の網のようなものなのです。枕ですか? それはもちろん、レンガです。石のようにやわらかで、『デモンのホール』に敷きつめられたそのむしろのようなしろものでおおわれています。これが、彼らの部屋とその造作です」

 一八八七年の一月か二月に、ラトゥはブリンダーバンからカルカッタにもどった。ラームチャンドラ・ダッタの娘が火事で受けたやけどがもとで急死し、その知らせがホーリー・マザーに届くと、彼女がラトゥをラームチャンドラ夫妻のもとに送ったのである。ラトゥはカルカッタに着くと、ラームチャンドラの家に直行した。三、四日、そこに滞在したあと、彼はバラナゴル僧院に行った。ラトゥがブリンダーバンに行っていた間に、他の若い弟子たちの多くは一緒に、正式にサンニヤーサをとっていた、すなわち最終的な出家の誓いを立てていた。そこで、ナレンがラトゥに彼もサンニヤーサをとるべきだ、と言うと、ラトゥはすぐに承諾した。実際に誓いを立てる儀式の前には、本人とその先祖のためにシュラーダ、すなわち葬儀がおこなわれる。これによって、僧となる前に世間とのつながりを断ち、そして自分の家族の救済を保証するのである。シュラーダの間のラトゥのふるまいは、変わっていた。この儀式の習慣であるサンスクリットのマントラの朗唱のかわりに、彼はただ別れた家族を彼なりのやり方で呼び出してしかるべき品々をささげ、「お父さん、来て下さい、おすわり下さい、私の礼拝をお受け下さい。食べ物と飲み物を召し上がって下さい」というふうに言ったのであった。

 ラトゥの生涯には、非凡なところがあった。彼のひたむきな神への近づきかたは、あらゆる点ですばらしく、彼はシュリ・ラーマクリシュナの弟子たちの中でもきわめて特殊で、独特でさえあった。だから、ナレンは彼に「スワミ・アドブターナンダ」という戒名を与えた。これは、「アートマンのすばらしい本性の中に至福を見出す者」という意味である。これからは、われわれは彼をラトゥと呼ぶかわりに、ラトゥ・マハラジと呼ぼう。「マハラジ」とは、出家僧への呼びかけに一般に用いられる敬語である。

 ある日、ラトゥ・マハラジをカルカッタに連れてきた叔父と思われるチャプラ地方の男がやって来て、彼に一度だけ生まれた村を訪ねてくれ、と頼んだ。彼は、彼特有のぶっきらぼうな返事をした。「あなたは自分のしたいようになさい。私は私の道を知っています」と。

 ラトゥ・マハラジは正式にサンニヤーシになったあと、一年半をバラナゴル・マートで過ごした。後年、彼は僧院の初期のころの多くの物語を語っている。「夕拝のときのシャシの動作は見ものでした。だれもが師の臨在をいきいきと感じることができました。ブラザー・カーリ(スワミ・アベダーナンダ)が師の礼拝のためのマントラを作ったので、それからは礼拝はこれらのマントラで行なわれました。そのころ、私たちは互いに心から愛しあっていたので、たまにだれかがだれかに対して怒っても、長続きはしませんでした。いつも、私たちの会話の話題は、師の卓越した愛のことになりました。だれかが、『彼は私を一番愛しておられた』と言うと、別の者がすぐに反駁して言うのです、『いや、彼は私を一番愛しておられた』ある日、そのような議論の最中に、私は彼らに言いました、『師は、財産をいっさいお残しにならなかったのに、それでも君たちの口論は果てしがないようだ。もし、彼が少しでも財産を残しておられたなら、君たちは訴訟を起こしていたかどうか、知れたものではない』私の言葉に一同どっと笑いました。

 私は、僧院でだれもが一生懸命勉強していることに気づきました。ある日、私はブラザー・シャラトにたずねました、『どうしてそんなにたくさんの本を読むのか。君たちはみな学校を出たのに、そんなに一生懸命勉強している! 試験でも受けようというのか?』ブラザー・シャラトは答えました、『ブラザー、真剣に勉強しないで、どうして宗教の深遠なことがらを理解することができるか』私は、師はそのような深遠なことがらについてずいぶんたくさん話して下さったが、彼が本を読んでいらっしゃるところを見たことがない、と答えました。シャラトは言いました、『彼の場合はまったくちがう。彼自身、母なる神がいつも知識を山ほどくださると言っておいでだった。私たちがその境地に達しているのかね、またそうなれると思えるのかね。私たちは、そのような知識を得るために本を読まなければならないのだ』私はそこであきらめず、答えました、『師は、私たちは、真理の一つの概念を書物の勉強から得、まったく別の概念を霊性の体験から得る、とおっしゃった』すると、シャラトは言いました、『しかし、彼は、教師になろうとする者は、聖典の勉強もしなければならない、とおっしゃったのではないか?』 それで、私は、人びとは彼らの心の素質に応じてさまざまの形で理解する、ということ、そして、師は各人に彼の性質にふさわしい教えを与えられたのだ、ということを悟りました。それで、それ以後私は何も言いませんでした。ブラザー・カーリは、聖典やその他の本を勉強するのに忙しいことがしばしばでした。たまにひまがあると、彼はブラザー・ロレン(訳注=ナレン)と議論していたものでした。ロレンはいつも、彼をごく簡単に黙らせたものですが、ある日、カーリはロレンを議論でとても上手にやりこめたので、ロレンは応酬することができませんでした。すると、ロレンは言いました、『きょうはここまでとしよう。あす、ぴったりこの点から再開しよう』ブラザー・カーリは、しばらく非常に満足していました。しかし、翌日には、ロレンはカーリの論点をくつがえす新たな議論を持ちだしたので、カーリは敗北を認めざるをえませんでした。『私はただの一日も、ロレンを負かすことができなかった!』と、彼はがっかりして言いました。けれども、私は彼に言いました、『ブラザー、そういうものなんだよ。ブラザー・ロレンは私たちの指導者なのだ。どうして君に、彼を追い越すことができようか』あるとき、ブラザー・ヴィヴェーカーナンダと同じぐらい偉大にならなければならない、という思いが私の心に浮かびました。そのときは、彼がどれほど私より前進しているか(霊的な進歩の意)をほとんど理解していなかったのです。私はやり始めてみましたが、何を見出したでしょうか? やればやるほど、彼はさらにはるか前方にいるように見えるのです。一度、ほとんど彼をつかまえたかに思えたのですが、そのとき私には彼が全速力で進んで行くのが見えました。私のまずしい努力がいったい何の役に立ったでしょうか? 主の恩寵は確実に彼の上にあったのです。私はすでに最大限の力をふりしぼってしまっていたので、それ以上努力することはとてもできませんでした。そのうえ、ブラザー・ヴィヴェーカーナンダは私をおさえようとしていたわけではないのです。私が彼と肩を並べることなど、できたはずがありません。またあるとき、聖廟をめぐって、兄弟弟子たちの間で白熱した言葉のやりとりがありました。それは、ある在家の信者が、『この連中、まるで昔ながらの神主がシタラー(ヒンドゥーの女神)の石像の前でやっているように、師のお写真の前で香を焚き、灯明ふる以外、何もしてはいない』と言ったことから始まったのです。この言葉を聞いて、ブラザー・シャシは非常に心を乱され、激しい調子で言いました、『あんな信者の金なんか、棒の先でだってさわるわけにはいかない! のろわれている』ブラザー・ロレンはブラザー・シャシが怒るのを見るといつも面白がりました。彼は、ブラザー・シャシに言いました、『よしわかった、では、君の師の召し上がりものは君が乞いに行け』ブラザー・シャシは答えました、『いいとも、そして、私は君の金にもびた一文さわるものか! 私の師にさし上げるために、私は乞食をする』なおもほほえみながら、ロレンは言いました、『では、乞食で得たルチ(高価な揚げパン)を彼に捧げるのだろうね』ひるまず、シャシは答えました、『そうだ、私は彼にルチをささげよう。それから、おさがりを君にやるから、あとでがつがつと食いたまえ』すると、ロレンは怒ったふりをしました。『いや、われわれに食べ物がないときに、ルチなどを師にささげさせてなるものか! そんな師はほうり出してしまうべきだ。君がしないなら、私が自分でほうり出そう!』こう言うと、彼ははじかれたように立って、聖廟に向かって行きました。シャシは英語で何か言いながら彼を追いました。起きたことを見て、私は間に入ろうとしました。私はロレンに言いました、『ブラザー、どうしてあなたは師にルチをお供えしたいというシャシの望みに反対するのですか。彼には彼が好むようにさせ、あなたはあなたがすきなようになさい』ロレンは言い返しました、『だまれ、ばかもの』激しい反撃が私の口をついて出そうになりました。そのとき、ブラザー・ロレンがおなかをかかえて笑い、シャシも笑いだしました。数分後、私たちはいっしょにすわって、師の礼拝の準備について話し合っていました。ある日、ブラザー・シャシは、年とったスワミ(スワミ・サッチダーナンダ)に、朝早く、葉と樹皮を除いた新しい小枝を聖廟にささげてくれと頼みました。師が歯ブラシとしてお使いになるものです。このスワミは、小枝の一端をそっと打って繊維をやわらかにし、ブラシのようにしなければならない、ということを知りませんでした。彼は、一般の人がしているように、小枝をまるごと、打たないままで持ってきました。朝食をお供えするときにシャシはこれを見て、このスワミの所にとんでいって彼をこっぴどく叱りました。『ろくでなし、きょう君は師の歯茎を血だらけにした。よく教えてやろう』と。私はこのスワミに向かって叫びました、『そんな所にただ立って彼を見ていてはいけない、ブラザー。逃げろ!』それで彼は逃げて、その場はすぐにおさまりました。シャシは、よく打って繊維をやわらかにした別の小枝を持ってきて、最初の小枝は投げ捨てました。ブラザー・シャシが師にお仕えする態度がどれほどのものだったか、見て下さい!」

 バラナゴル・マートでの日々を思い返して、スワミ・ラーマクリシュナーナンダはラトゥ・マハラジの瞑想の熱意について語った。「私たちは、しばしばラトゥを通常の意識に呼びもどし、ほんとうに無理に食物を食べさせなければなりませんでした。何度彼を呼んでも返事がないので、食べ物を彼の部屋に置いて立ち去ることがしばしばでした。日が暮れていきます。そして、私たちが彼を夕食に呼びに行くと、昼食が手つかずで腐りかけて置きっぱなしになっていて、ラトゥが、前と同じまっすぐな姿勢で、厚い木綿のチャドルにすっぽりとくるまって横たわっているのを見つけるのでした。私たちは、彼にわずかな食べ物を無理に呑みこませるのに、多くの策略を講じなければなりませんでした。

 スワミ・サラダーナンダはあるとき、マヘンドラナート・ダッタに言った。「ご存知でしょう、夜、レトときたらまったく眠らないのです。夜の前半、彼は眠っているふりをして、いびきすらかきます。でも彼は数珠を離しません。そして、他の者が眠ると、彼は起き上がって数珠を繰りはじめるのです。ある夜、数珠のカチャカチャ鳴る音が聞こえたので、私はネズミが部屋に入ってきたのだろうと思いました。私がこつこつと音をたてると、その音はやみました。少しあと、カチャカチャいう音がまた始まりました。今度はしばらくつづいたので、私はネズミではないらしいとうすうす気づきはじめました。次の夜、私は起きていて非常に注意深くしていました。最初のカチャリという音が聞こえた瞬間、私はマッチをすりました。すると、レトが起き上がって数珠を繰っているのがわかりました。それで私は笑いました、『ああ、君は私たちみなを追い越そうとしているのだね! 私たちが寝ている間に、君は数珠を繰っている!』」

 スワミ・トゥリヤーナンダが語った次の物語から、彼がラトゥ・マハラジを尊敬していたことがはっきりとわかる。「兄弟僧の多くは、タパシヤーをおこなうためにバラナゴルの僧院を離れようとしていました。私もまた、インドの各地の修行者たちに会いたいという思いに駆りたてられました。私が考えている、内側からひとつの声が言いました、『彼ほどのサードゥをどこで見つけられるだろう』はっとあたりを見まわすと、ラトゥ・マハラジが厚い布にくるまって、深い瞑想に入って横たわっているのが見えました。即座に、つぎの思いが浮かびました、『まったくだ、どこで彼のようなサードゥを見つけられるだろう』まさにその瞬間、ラトゥが話し出しました、『君はどこに行くのか。ここでタパシヤーにはげむほうがよい』そのときは、私は僧院にとどまりました。「またある日、霊性の問題についての会話の中で、私は述べました、『主は、不公平とか、無慈悲とかいうような欠点はお持ちではない』ラトゥ・マハラジはそのときは何も言わなかったのですが、私が話していた紳士が去ると、言いました、『君は何ということを言ったのか! 主は小さな子供のようなもので、君が母親のように「彼」の弁護にまわらなければならないとでもいうのか』私は釈明しようとして言いました、『もし、「彼」が「彼」の御心に浮かぶことを何でも実行しておられたら、「彼」は気まぐれな専制君主になってしまう。「彼」はロシアのツァー(訳注=皇帝)のようなものだろうか。「彼」は、やさしくて慈悲深いのだ』ラトゥ・マハラジは目をぱちくりさせて言いました、『君の主を非難から救うのは結構だ! ただ、君は専制的なツァーですら「彼」に導かれているのだということは、認めないのか』彼はこの問題に何というすばらしい光を投げかけたものか! 彼の言葉は、まるで、石に永久に刻みつけられたかのように私の心に残りました」


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