NIPPON VEDANTA KYOKAI
Vedanta Society of Japan

不滅の言葉
1996年4号
読者の欄
意識の図式
三橋剛

   「心は全く形をもたないもの、全く抽象的なものを把握することはできない。心は働くために常に何か具体的なものを必要とする」(註1)数千年前に発見された真理が今日未だ正しいことは一つの驚異であるが、ヒンズーの秘密はこの心の深い洞察にあるように思える。心が働くために何か具体的なものを必要とするという事は、心が意識するものはすべて具体的なもの即ち個別的なもの、時間的なもの、変化するもの、相対的なものであることを示している。例えば我々が愛そのもの或いは「属性をも持たず形ももたないパラブラマン」(註2)の如きものの意識は如何にして可能なのであろうか。愛そのもの(証3)ある意味では最も抽象的な概念またある意味では最も理想的な存在の意識の図式はどのようなものであろうか。我々が愛そのものを考える時は先ず考え得る一切の愛を考える。低次な自己保存欲から始まり肉親、夫婦恋人間の愛、友人間の愛、人類愛、神への帰依等を考え、恐らく次に始まる作業はこれらの具体的な愛をつぎつぎと否定することである。それはパラブラマンの例を考えれば一層明瞭であろう。我々が活動する場は極めて多くの時間的、有限的な事物が複雑にからみあう歴史的社会である。我々はこれらの歴史的社会の事物をつぎつぎと否定し次第々々にその実体に近づこうとする。無数に近い否定の繰返しにより否定されたものに代るものを定立させようとする。(註4)これらは仏教の空思想の方法に近いといえよう。
 然し乍ら問題はこの否定或いはそれらの否定を内包した直観により把握されたいわゆる抽象的なもの、理想的なものが果して現実的、個物的なものを内に含んでいないだろうか? 換言すれば、それらは全く抽象的なもの、理想的なものとして措定されたものではないだろうか? この方法の弱点は無限に対象を否定することは可能であろうが、否定する主体が時間的、有限的存在者であるという点にある。
 我々が通常完全に抽象的、理想的存在と考えているものは有限なものが無限なるものを理解しようとする時可能な唯一の方法、即ち現実的・時間的・個別的なものの現実面・時間面・個別面が捨象され極小化されたものであり完全な論理的な抽象性或いは論理的措定の及びえない理想的存在そのものとは異なる、いわば意識は抽象化、理想化に於ては前面に具体的存在者を見、背後に抽象的、理想的存在の像を作り出す。そして復元の場合はこの逆に働くものと思われる。(註5)即ち我々が抽象的、理想的存在を意識しようとする時、我々はまた不可避的にそれらの存在に具体性を帯びさせてしまう。(註6)この意識のメカニズムは我々が意識即ち反省を、知覚を媒介として行わなければならないという人間の構造に基づくものと思われる。我々には目で見る以外見ることができず、耳で聞くより聞くことが出来ず、同様に鼻、舌、身を媒介とせる体験以外意識できず、それに対応する体験以外の記憶をもつことができない。かくして我々が抽象的、理想曲或いは絶対的存在を思考-我々にとり殆ど唯一の可能な方法、修道に於ては全人的行動で志向されなければならない-しても、それが遂にその映像に終る運命にある。恐らく人間が完全な或いは絶対の存在に達するのは幾多のサムーラの後、肉体を完全に無に帰した時であろう。
 (意識が働くために具体的な内容が必要なことは科学(広義)的思考のすべてが認みている。自然科学は勿論現象学、存在論も例外ではない、また意識の構造の研究はただ意識内容間の関係づけを示すに止まり、具体的内容自体を決定するものでない。ここから我々は他の根拠から。パラブラマンの存在を認識しなければならないが後日にゆっくり、ここでは単なる意識の科学的研究は宗教の準備段階にすぎず、宗教の再るものは殆どない、科学の終るところから宗教は始まる、ということを指摘したいと思う)
(三橋剛)

(註1) 会報三月号、原著一〇八頁二五-二八行参照
(註2) 会報三月号、原著一〇八頁四六行参照
(註3) 言語は存在を一語で説明しきるほどの語数がないために、一の存在を種々な方向から限定しようとするため、時には相反するような限定が生じたようにみえるが、それは見る方向、立場の差より生じるものである。共にその存在の属性である。
(註4) 否定は単に論理的操作にかぎらず現実には人間自体で行われる。そこに種々の価値的なもの即ち真、善美、愛等の理想像が生じる。 
(註5)このように考える時顕現されたものとしての人間と神との無差別的同一視及びそれに伴う多くの誹謗の論拠は極めて薄弱であると考えられる。
(註6) ここに神の誕生、或いはパラブラマンが非人格神、人格神として顕現する一の可能性がある。
 



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