不滅の言葉 1964年12号
人間人格の五重層 (其の1)
木村日記
人間は孤独でこの世に生存すること出来ず、常に家庭、社会、国家、世界等と不離の関係に於てのみ生存し得るのである。これは人類共通の生存律である。従って人間の人格には当然(一)人間個人の人格、(二)家庭人としての人格、(三)社会人としての人格、(四)国民としての人格、(五)世界人としての人格等が含まれている。吾人は上の人格の五重層に於て天地に恥じない如実の人格を具現せねばならない。それが正しく人間の本然の姿である。人間各自が「自己尊重しせねばならぬ根幹はここにある。それは「自己尊重」の精神の中には上の人間人格の五重層が自然含まれているからである、前号で小生は「人間の五重層」を述べその五重層の中で第五の「真理性の部分」が精神面の中心であることを述べたが、その「真理性の部分」の具現がここに述べんとする「人間人格の五重層」の精神を発露せしむるのである。してそれの発露は更に「真理性の部分」の具現を培養するのである。第一の「人間個人の人格」は前号で述べたからここでは第二の「家庭人としての人格」から述べることとする。人間は家庭に生れ家庭に育ちながら独身期には多少勝手な考え勝手な行為は許されるとしても、妻を迎え家長となれば、もはや自分勝手は許されない。妻に協力し、親の意志にも従い、先方姉妹とも譲り合い、子供の面倒をも見、奉公人の気分をも汲まねばならない。それは家庭それ自体が共同体であるからである。故に家長はじめ全員が共同精神を守り互に協力し互に支援し互が互に感謝すべきである。其処に明るい家庭、朗かな家庭が生れ、もはや家庭争議はその跡を絶つことになるのである。表面は立派に見え綺麗に見えながら内面を探ると家庭争議に苦しむような家庭も多いと思われるが、この点を十分反省する必要がある。家庭的共同精神の具現とそれによる感謝の念の現われこそ正しく家庭人としての人格である。