不滅の言葉 1964年9号
「ヒンズー思想研究の手びき」その四
願望成就の道(プラヴリッティマールガ)下
ニルヴェーダナンダ
現状
我々は古代のヒンズー教徒が現世及び未来世の幸福を獲得する為にどのように努力してきたかを見た、その主な意図は徐々にする自己統制、犠牲供養奉仕及び神への信仰によって心を浄化する事であった。古代のヒンズー教徒は現世及び未来世で快楽をえる為にこのような訓練を通過したのである。
或る程度の道徳的及び霊的訓練が現世及び未来世の快楽に貢献するということは、古代のリシ達によって発見された不滅の真理である。そしてプラヴリッティ、マールガすなわち「願望成就の道」は実にこの真理に基いている。この真理は古代と同じく現代に於ても有効である。これについて疑う必要はない。
然し一つの事に注意しなければならない。長い年月がヒンズー教の細部の全体にわたって大きな変化を与えていることである。「願望成就の道」の中心の真理は不変であるが、修業の形式は根本的に変ってきている。
例をデヴァ・ヤジュナにとって見よう。音は人々は神々に向ってバター、ヨーグルト等の供物を(火中に)奉投するのが常であった。この儀式を行い乍ら彼等はそれらの神々を讃嘆する祈りを誦し、定められたマントラ(呪文)をとなえたのである。これらの神々をたたえる章句やマントラは儀式の全次第と同様にヴェーダーから引用されるのがふつうであった。
現代では、我々は多くの場合燈明、香、花、果物菓子やその他の品々を供え、別種のマントラと讃美歌を唱えて神々を礼拝する。その上我々は神々の像或いはその象徴を安置して、その前に供物をそなえる。ヴェーダー時代の我々の祖先達はそのようなものは持たなかった。朗誦されるマントラは儀式全体の手続と同様に後世の聖典(主としてタントリック)から引用されている。供養としてのヤジュナは単に儀礼的な礼拝の儀式の一部分として存続しているにすぎない。............................