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不滅の言葉　1964年５・6号

インド人の人生観（２）
――執着と無執着――

ニティヤスワルパーナンダ

　マーヤーと同様に、放棄（Renunciation）という言葉の意味もひろく誤解され誤訳されている。これ等二つの言葉は相互に密接に関与しあっているからである。放棄は普通想像されている様に富、肉体的要求または快楽を拒否し否定することではない。インド思想における放棄の概念は、単なる肉体的節制より遙かに意味の深いものである。放棄はマーヤーという言葉が示す事実のもう一つの表現形式である。マーヤーが「あってまたない」のが事物の本質であるという哲理を示しているように、放棄はこの哲理を可能ならしめる霊的認識の確固とした承認（つまりその実践）を意味している。放棄はマーヤーと同様に主張であって拒否ではない。積極的であって否定的ではない。それは書物の本然の姿の主張である。事物を一時的な姿においてのみならず、未然の姿において見極める能力の主張である。このようにして放棄は事物の背後にある霊的実在性を把握するために仮りの姿を「すてる」こ
とを意味する。この放棄を、一切の財を持つ事を拒む修道僧の生活の形で表現することを期待されるのは、霊的にそれに適わしい条件を具えている人々だけである。これは万人の理想ではあるが決して万人のとるべき生き方ではない。そうする事を必要とする人々にとっては、人生は充分に生活されるべきである。富もよし、快楽もよし、あらゆる物質的要求は満たされるがよい��ただ同時に次のことを知るべきである。即ち「物質的な姿はこれ等のものの《真の》姿ではない。真の姿を知るためにはものの物質的表現を超えてその背後にある霊的基盤に到達しなければならない。」
　このように、放棄は単なる形の上の放棄ではなく、感覚で経験され、心で考えられるすべてのものに対するこのような心の態度を現すために用いられる言葉である。
　放棄の概念を詳述し、その根拠となる心理にもう一歩すすんだ説明を加えるため、他の二つの言葉が用いられる。それは執着と無執着である。これ等二つの言葉もマーヤーや放棄と同様、誤解誤用されてインド哲学の意味を誤解する原因となって来た。
　「執着の人」というのは、ものの物質的な姿をそのものの本性と思い込んでいる人である。彼は、ものを自分の所有とみなす時、彼自身を物質的なものと同一視しようとしているのである。無執着の人とはものの物質的な姿をすてることができ、自分を霊的なもの（分かち難き唯一の実在）とみることのできる人である。実際生活においては我々が日常経験するように、執着と無執着との両方を実践する力を持たなければならない。無執着は無関心を意味するのではない。またそれは単なる執着の否定または非在を意味するのでもない。無執着のない執着は物質主義に終わる。然しだから、無執着の力は執着の力と結びついて働かなければならない。正常に生きるためには、たべるとか歩くとか手紙を書くとかいう最も単純な行為を行うためにさえも執着の力は必要である。その行為以前にすでにものを物質の次元で見なければならないのである。もっとも「ほんの僅かの間」だけである。同時に執着に打克つ力が働いて執着の力に匹敵する。放棄する地下力があっていつでも必要な時に用いられるのである。そのとき即座にものの物質的相貌はその威力を失い、霊的相貌がそのもの自身であるという事を証明するであろう。
　さてそこでこの宇宙の本質に対するこれ等の基質的な考え方かど様にして人間の行動に影響を与えると考えられるかという質問が出るであろう。この中のどの部分に倫理が働くのか？インド人の精神では、この問題には決して中途半ばや妥協はあり得ない。究極なるものの実現ということから離れては道徳はあり得ない。すべての道徳的努力は究極なるものの実現への道程の一段階とみなされるのである。なぜなら、究極なるものそれ自身すべての道徳の根底なのだから。我々は愛すべきか慈悲深くあるべきか奉仕すべきか？何故これ故の事をなすべきであるかというようなことを我々に教えるのは究極の存在である。究極の存在はすべては一つであると教える。他人を傷つける人は自分を傷つけるのだ。他人を愛する人は自分を愛しているのだ。インドにとってはこれが究極のものである。究極のものが実現される時には道徳的態度はおのずからついてくるのである。インド人の精神にとって、道徳は決してあわれみの概念に局限されるべきものではない。またあわれみはそれ自体が目的とはなり得ない。あわれみと同情はすべてのものは霊的に一体であるというあの一つの根本理想から当然出て来る結果にすぎないと見られ、世の中を変える運動に使われるような独立した価値とは見られていないのである。
　したがってインド人の見方によれば、人間に求められるのは、隔離の感覚から生まれて来る憐びんではなく、一体感から生まれてくる奉仕である。この世界は霊性開発のための学校である。あらゆる形の自己放棄は霊的開発への道である。それ故、祈願者は与える人であって受ける人ではない。実に「受けるより与えることこそより多く恵まれている」のである。無数の方法で自分を人にささげる機会を持つことは一つの特権であり、これが仲間への「奉仕」である。何人の自己放棄が完全になって彼が「多数者」と一体であることを感じるに到った時、はじめて彼は「多数者」への奉仕の理想を達成したと認められるであろう。なぜなら、「奉仕」の理念は一切の物は霊的に一つであるという根本理念から出発しているからである。多数者に奉仕するにあたって人は自分を「唯一者」に使われている道具と感じるのである。

　さてこれ等がインド人の生活様式の背後にある「基礎」を形成する根本概念である。これ等の概念は世界中で人がそれを把握するに必要なだけの霊的体験を獲得したところならば到るところで知られ、経験され、そして教えられて来た普遍的な真理である。これ等はここインドで使われて来たもの以外の言葉でも表現することはできる。心の深いキリスト教徒、仏教徒、老荘学者または回教スーフィ派の人々などは各自自分になじみの深い言葉でそれ等を表現する事ができるであろう。
　然しだからインド人達にとってはこれ等の概念は特別の意味を持つ。それ等は彼等の民族意識の中で最高の地位を与えられて来たものである。それ等は他の民族的関心事に従属せしめられたことがなかった。民族思想の主流から離れたこともなかった。それ等みずからが常に主流となり、民族的関心事となって来たのである。インド人の考えでは最大の名誉は力または指導性を象徴する人に与えられるものではなく、富を象徴する人に与えられるものでもなく、それはここに述べた概念から生まれた価値を象徴する人に与えられるのである。
　独立達成の際に制定された新しい憲法の下で、インドは非宗教の国と宣言された。これは言うまでもなく、ヒンズー、マホメット両教徒の何れの宗教的信仰にも真の関係はないのに、名目は宗教上の、ということになったあの痛ましい闘争によってひきおこされた感情的圧力の下でなされたことである。もしこの「非宗教の」という言葉を「神の世界を排し、現世のことのみにかかわる世俗的な」という意味に取るなら、インドは決して非宗教国であってはならない。国家が特定の宗教宗派と結びついてはならないことは事実であるが、すべての宗教に共通であってインド国内のみならず、世界中に普遍する根本概念と結びつくことはゆるされる。インド人は人間の社会生活のデパートメント化を認めることはできない。「ビジネスはビジネス」とか「政治と宗教の分離」とかいう文句はインド人の生活態度にとっては意味のないものである。万物は霊的に一体であるという根本概念は全生活に浸透している。近代的発展に必要な生活力を得るためにインドが今日なさねばならぬことは、国民に彼等自身の民族思想の構造を知らしめ、彼等の業績を民族精神の確固とした基礎の上に打ち立てるよう導くことである。

(中井はる訳)

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