不滅の言葉 1964年5・6号

ラーマクリシュナの言葉(1)

 

ジャン・エルベール序、オネッゲル・デュラン編

まえがき

 今から約百二十年前(一八三六年)インド北部の小さな部落の土でかためられたわらぶきの貧しい小屋のなかで一人の子供が生れたが、こんにちこの人は幾百万の人々から神のように崇拝され、何百という寺院や礼拝堂がささげられている。

 ラーマクリシュナ(彼は後にこの名前を用いることになるが)はきわめて質朴で純一・善良な人だった。彼は書物から得る知識にはひきつけられなかったが、精神性、真理、神に対するいやしがたい渇望を抱いていた。彼の一生涯の大部分は神に近づき、神との交わりに達し、無限な愛をもって神と融けあうための死物狂いの飛躍にほかならなかった。長い年月のあいだに彼は、西欧では想像さえできないほどのきびしい精神鍛錬に従った。神の現存が実感できないで一日がすぎていくようなとき、彼はむせび泣いて、崇拝の対象を狂わばかりに呼び求めたほど、彼の《聖なる母》に一切をゆだねつくしていたのである。

 ヒンズーの神々に対する崇拝がますます浄化され、強烈になってゆき、ついには物質とエゴイズムへの奴隷状態から彼を離脱させ、真正なすべての宗教の目標である神との合一へ彼を導いても、また彼が聖者(インドのあらゆる教会がこのことばに与える全き承認において)に達しても、彼はまだ満足しなかった。いかなる人種、いかなる宗派に所属していようとも、ありとあらゆる同胞に対する彼の無限な愛は、人類の一部の人々だけが真の道を知ることができるように選ばれ、のこりのすべての人々は不公平な神によって無知と誤謬の闇のなかに見すてられているという考えを許さなかった。人間が真理、自己献身、神への愛にむかって努力するあらゆる道は同一の結果、同一の解脱へと導くにちがいないということを、深い直感が彼に理解させたのである。しかし、このようにして予感したことを表明する前に、彼は明白で確かなそのあかしを得たいとのぞんだ。

 そこで、しばらくの間、彼は自分のたどってきた道を決然と、遠慮なく見すてて、他の諸宗教を自ら体験することを決意した。キリストがかつて遍歴した道を自らの魂と肉体のなかで長い年月の間、追体験したのである。ついで彼は回教徒になって、マホメットがたどったすべての経験をへたのである。そして彼はいずれの場合でも、死物狂いで飛びこんだ帰依の道が彼を同一の結果に、すなわち永遠なるものについてのヒンズーの概念――ヴィシュヌ神、ラーマ神、カーリー神など――のいずれか一つの中に沈潜したときに彼がすでに見出していたのと同じ解脱に、導くものであることを確かめのである。

 そのとき彼は次のように主張する権利をもった――

 「もろもろの宗教は外から見れば異なっているが、その本質においては、同一のものである。あなたがたがたどる道がどのようなものであっても、その道はつねに最後にはあなたがたを彼(神)の面前に導くだろう。これこそが最終の結論である!」

 彼はガンジス河畔の小さな寺院の庭の奥に引きこもって生活していたが、彼の精神性は間もなく弟子や崇拝者たちを惹きつけ、その数は増え、彼らの熱烈さは深まっていった。これらの人々は彼のもとにやってきて指導を仰ぎ、祝福を求め、自分の生活を規正することばを求めた。

 彼の教えはつねにどんな聴き手にも理解できるものであって、晩年の聖ヨハネの教えと同じように、単純で愛情のこもったものであり、キリストの教えのように豊かなイメージと比喩をもち、また仏陀の教えと同じように、厳密に論理的なものとなっていた。彼は各人の心のうちに純粋なかけがえのない個人の特質を明確にさせるすべを心得ていたが、もしもこの特質をひき出し、陶冶するなら、そこから精神のいちじるしい発展があらわれるにちがいない。

 彼が五十才でこの世の肉体と別れをつげたとき、敬虔な弟子達の小さなグループが残った。このグループはなくなった師の教えをうけつぎひろめる任務に身をささげた。このようにして修道士の新しい教団が生れたが、こんにちではこの教団に、神と同胞への奉仕に情熱をもって献身する数百人の修道士がいる。厳格でいろいろと要求の多い規律をもったこの教団は、あらゆる宗教に属している色々なメンバーを区別することなくむかえるという特長(これは世界中で唯一のものだと思うが)を示している。そこでは、ヒンズー教徒、キリスト教徒、回教徒が一致した目標のもとで広い包摂性につつまれて、個々の信仰や礼拝を保持している。

 このような包摂性はわれわれ西欧人の最大の「寛容性」の限界をはるかに超えたものである。教団の礼拝堂のなかでは、クリシュナの生誕祭と同じような熟烈さと喜びをもって、キリスト降誕祭や、復活祭を祝い、ヒンズーの聖典バガヴァッド・ギーターに対するのと全く同じような敬意をもって、聖書を研究している。

 またラーマクリシュナは、「わたしが言語を知らないはるかな国々に生きている値の兄弟たち」のことも考えた。彼の数人の愛弟子はヨーロッパやアメリカに長期間滞在し、師ラーマクリシュナが重んじた普遍性と霊性という思想をひろめる小さなサークルをつくった。とくにヴィヴェーカーナンダは、英語でおこなったいくたの講演原稿を残している。その多くのものは現にフランスでも訳されている。

 しかし、ラーマクリシュナが述べたことばそのもの、弟子たちが敬虔な心をもってあつめた師のことばは、こんにちまでフランスでは一度も訳されなかった。この語録集によって、オネッゲル・デュラン女史は、われわれが残念に思っていたその空白を理めはじめたのである。彼女は原文を字義通りに翻訳しようとは思っていなかった。彼女がインドのこの巨匠の思想を、フランス語を使っている多くの人々にもっとも近づきやすいものにしようと考

えたのはもっともである。たとえ彼女がその字義を、われわれの通常の概念と思想の構成に少しばかり適合させているとしても。というのも、ラーマクリシュナがフランス人に語ったとすれば、彼自身そうしたにちがいないからである。

 このようにしてオネッゲル・デュラン女史は彼女がきわめて深く、そして鋭く洞察しえた思想に対して一段と大きな誠実さを示しえたのだとわたしは考える。偉大な人間が周期的に発見するこれら永遠な真理が、無残にかき乱されている現代の多くの同胞の魂に救いをもたらすという時代の欲求にふさわしい形で、人類に与えられることを心からねがうものである。

ジャン・エルベール

ラーマクリシュナの言葉

 純一な愛、学問研究、慈善行為、瞑想などを通じてわれわれを神に導く数多くの道があります。これらすべての道はそれぞれ異なっているけれども、究極の目標は同一のものであります。

*    *

 神に恵みを求めるために言葉と思念とが深い渇望において一つのものになるとき、神はこの祈りにこたえます。しかし最善の祈りとは、疲れを知らない愛と確乎不抜の信仰のほかには何ものも神にねがわぬ祈りのことであります。

*    *

 世界中を歩きまわっても、あなたが感じるまことの宗教は見出だせないかも知れません。あなたにとってまことの宗教はあなたの心の奥にしかありえないからです。

*    *

 金色に染った黎明は太陽がのぼる前に現われます。――また魂においては、清らかさと公正さが神の現存を告げ知らせます。

*    *

 この世で内面的な自由を所有したいとねがう人は、神が一切をなし、人間は何もなしえないということを心の真底から納得すべきです。

*    *

 あなたの言葉と思念を調和させなさい、それらが互いにこだましあうように。もしもあなたの精神が神の歓びと力をこの世のなかに探し求あるのであれば、神が至上の喜びであると言ったところで、あなたにとって何の役に立つでしょうか? こんな仕方では精神のどんな前進もあなたのものとはならないでしょう。

*    *

 子供たちは玩具があれば、母親が部屋に入ってくるときまで楽しく遊んでいます。ところが母親が入ってくると、子供たちは人形や独楽を打っちゃって、母の方へかけよって叫びます。「お母さん!」と。

 栄光と名声と富! あなたがたはこの世のこんな玩具で楽しんでいるのです。しかしあなたがたの魂に神が入ってくる目には、神の現存をはっきりと実感して、これらすべてのものを手放し、彼のもとにむかうでしょう。

*    *

 水と、水が生み出す泡とは同じものからできています。――泡は水から生じ、水面に浮びただよい、ついには水に変わります。

 このように普遍的な霊、すなわち神と、個々の魂、すなわち人間とは、同一の本質をもっています。相違といえば、後者は極小でまた限られていますが、前者は広大無辺で果知れないのです。人間は従属しているものであり、神は自由そのものなのです。

*    *

 蜜蜂は花のまわりを羽音を立てながら、騒々しく飛びめぐり、自分の糧である蜜を探し求めます。しかしうてなの中に入りこむと、蜜蜂はしづかに花の蜜をのみます。

 人が教義や学説ばがりをはげしく諭争しているかぎり、まだ神の本当の信価に達してはいません。蜜蜂のように、信仰の甘美さを味わうや否や、人は無口になるのです。

*    *

 欲望の風があなたの精神の上を吹いているかぎり、神の姿があなたのうちに反映することはありえません。神に近づくためには、清澄さと静けさが必要です。

*    *

 魂の中に神が実感されるのは、魂のうちに世俗的な権力に対するごくわずかな欲望すらなくなったときだけです。

  


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