不滅の言葉 1964年5・6号
シャンティ(平和について)
木村日記
「シャンティ」という言葉は古代インドのサンスクリット語で「平和」という意味である。平和といってもこのごろよく政治的闘争の手段に利用し、かえって対立を激化しているような口先だけの平和ではない。真の平和は先ず人間の心の中に求めなければならぬ。神とともにある静けさ、永遠の至福に侵された心、それがシャンティである。人間はそれぞれ自分の義務をもっている。その義務を毎日忠実に果している人は心が平和である。その義務を怠っていると不満が生じ、心の平和が得られない。近頃の風潮は一般にあまりに個人主義、自己本位に傾き、他人の不幸や苦しみには無関心であったり、自己の権利だけ主張して義務をおろそかにするような人が多いようであるがとんだ考え違いである。先日千葉へ帰る途中汽車の中で、前の席に座った青年が不作法にも私の座っている席の横に足を伸ばしてきた。そこで私は厳しく青年に言ってやった「この足をひっこめ給え。君は自分の席があるではないか、ひとの席まで占領するのが間違っていないのか」と。こんなことではこれからオリンピックがひらかれて多ぜい外人がやってくるというのに、日本人は何と無作法な国民だろうといって皆の物笑いになる。西洋人はこういうことには実にきびしいところがあって、こんな無作法は決してゆるさない。そんなことをしていたらすぐに。"You seat properly !" とやられる。
日本人は近ごろあまりに自尊心を失い、無気力になっているのではないか。それは物質万能主義に陥り、自己の尊厳と霊性を忘れ、宗教を無視して来たからである。人間は万物の霊長である。動物とは違う。礼儀もあり、思いやりもあり、自尊心ももって品位を保っていなかったら人間とは言えない。人間の真の生き方に目ざめて先ず自己の徳性を磨き、自己の本分をつくし、そうして社会に奉仕する。それができてはじめて心の平和がえられ、社会の平和もえられるのである。