スワミ・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会の講話
一九九〇年二月十八日
第一部
緒言
有史以前から、人はこの世で宗教を実践して来ました。宗教は、私たちを神の方に導く人生の道です。それは私たちが自分の本性を発見することを助けます。さまざまの宗教が、より高い霊的生活を示す霊感の、不滅の源泉となってきました。
宗教のコースは、常になめらかでたやすい、というわけにな行きませんでした。ときにはそれは高潮としてよせて来、また他のときには引潮のように流れました。人類の歴史のさまざまの時期に、それは遮断されたり、ひどく妨げられたりしましたが、しかし宗教の流れは決して失われたことはありません。それが低く弱くなると、ある力づよい霊的な魂が社会に現れます。すると宗教の流れは偉大な勢いを集め、より大きな活力をもって流れるのです。
シュリ・ラーマクリシュナとナレンドラナート
そのような霊性の巨人は、宗教の正しい道を示して人類を導きます。彼らは人類を、独断的教条主義や詭弁から、また不信や不正から救います。もっと重要なことは、彼らはその時代の要求に応えるのです。
前世紀に、強力な霊性の波がインドに起こり、その頂に、シュリ・ラーマクリシュナがおられました。彼の生涯はごく短いものでしたが、強烈に霊的でした。長い期間にわたる広い範囲の修行と最高の悟りの後、力にみちた若者たちの一団を、自分のまわりに集められました。そして彼らを自分のたいまつ持ち、すなわち教えを伝える人びととしてえらび、肉体を去る前に、彼らを一つの兄弟団として結成させました。
彼は、後の世界的に有名なスワミ・ヴィヴェーカーナンダ、ナレンドラナートを、その兄弟団の指導者に指名しました。彼は、静かで瞑想的な生活を好んだナレンドラナートの傾向とはまったく反対に、人類の霊的要求に貢献するよう命じました。シュリ・ラーマクリシュナは、特にこの目的にかなうよう、彼を訓練したのです。
ナレンドラの訓練
シュリ・ラーマクリシュナは、彼のもとに来た求道者の過去現在未来を見透す、非凡な霊力を持っておられました。彼の神的なヴィジョンは、ナレンドラは誰であってどのような使命をもってこの世に生まれて来たのであるか、ということを彼に示していました。彼はナレンドラが三度目にドッキネッショルに来たとき、これらのヴィジョンと自分の結論が正しかったことを確認しました。シュリ・ラーマクリシュナはそのとき彼を、近くにあるジャドゥ・マリックの庭園につれて行きました。話をしているうちに、シュリ・ラーマクリシュナはトランス状態に入られました。
その状態で、師はナレンドラに触れました。師の影響を受けまい、との必死の努力にもかかわらず、ナレンドラナートはたちまち、前のときと同じように完全に外界の意識を失いました。彼がこの状態にあるときにシュリ・ラーマクリシュナはいくつかの質問をしました。彼はさまざまのことを知り、彼の前生について知り得たことが正しいという確信を得られました。それ以後、シュリ・ラーマクリシュナは、彼をアドワイタ・ヴェーダーンタの道に沿って訓練されました。
しかしナレンドラは、簡単には服従しませんでした。彼のせんさくずきで分析的な知性は、自分がそれを経験するか、またはそれが理性のテストにたえたのでなければ、何ごとも真理として受け入れることはできませんでした。師は彼をヴェーダーンタの哲学になじませたい、と思いました。
師は彼に、アシュターヴァクラ・サムヒターという本を読め、と命ぜられました。サンスクリットで書かれた、ヴェーダーンタ哲学の手引です。しかしナレンドラは反抗して、こう言いました、「これは冒涜です。このような哲学は無神論と同じです。この世の中に、自分は創造者である、と考えるより大きな罪はありません。‥‥こんなことを書いた賢者たちは気が狂っていたに違いありません」と。
シュリ・ラーマクリシュナは、ナレンドラほどの知性を具えた若者から、このような言葉をきかされても驚きはなさいませんでした。彼は弟子のこのようにあけすけな言葉をおもしろかられただけで、むしろ評価なさいました。彼に反論して、誰も神様に限界を置くことはできないのだ、と言われました。神の性質は無限です。それゆえ、神はこういうもの、それ以外のものではない、などと言うことはできないのです。このような議論は意味がなかったのです。ナレンドラはさらにしばらくの間、ヴェーダーンタの哲学を批判しつづけました。
議論は彼の弟子をこの心理に承伏させることができないので、シュリ・ラーマクリシュナはある日、法悦状態の中で彼に触れられました。この弟子の見る世界はたちまち変わりました。彼は目を開いたままで、宇宙間にある生ある、生なき一切のものに遍満して、神以外の何ものも存在しないことを見ました。ナレンは、そのヴィジョンがいつまでつづくものか見ようと、そのままでいました。
家に帰って食事にすわると、彼は、皿から食物から給仕する者まで、すべて神であるのを見ました。通りを走る車も、馬も、彼自身も、すべて同じ実質からできていることを感じました。この経験は、幾日間かつづきました。
いまや彼は、アドワイタ哲学の真理についての直接の確信を得たのです。どれほど議論をしても、この霊的真理を彼に確信させることはできなかったでしょう。これがシュリ・ラーマクリシュナの、訓練と教育のやり方でした。
シュリ・ラーマクリシュナは非常に注意深く、他の信仰や道についてのこの弟子の考えをひろげられました。最も俗悪な、粗野な教えと思われている宗教でも、もしそこに神を求める真実のつよいねがいがあるなら、それは一つの道である、とおっしゃいました。
ある日、ナレンドラナートがある宗派のある修行方法を悪いと決めつけていました。シュリ・ラーマクリシュナはやさしくおっしゃいました、「私の子供よ、一つの邸宅は幾つもの入口を持っている。それらの中のどれかは、掃除人のための出入口のようにたしかに汚い。ほんとうに、正面の入口から入ることが望ましいのだ」と。
師のこの話をきいてからは、ナレンドラが他の宗派をきめつけるのは決して見られませんでした。シュリ・ラーマクリシュナは、この弟子の心から頑迷、独善的教条趣致、宗派主義、および清教徒気質が拭い去られるよう、助けられたのです。
シュリ・ラーマクリシュナはかつて、自分の見解を弟子におしつけようとされたことはありませんでした。彼は、彼らが自然に成長することを許し、彼らが自分の道を進むのを助けられました。ナレンはあるとき、肉体の観念を超えることに困難を感じ、師に助けを求めました。師がどのようにして、ナレンがこの障害をのりこえるのを助けたか、ナレンドラの言葉を通してそれを学びましょう。
「またあるとき、私は、瞑想のときに、まったく肉体のことを忘れて心を完全に理想に集中することに非常な困難を感じ、師に助けを求めた。師は、自分がヴェーダーンタの修行をしておられたときにサマーディの実践中、トータープリから受けられたその教えを、私にお授けになった。彼は私の眉間を指の爪で鋭くおし、こうおっしゃったのだ――
『さあ、心をこの痛みの感覚に集中しなさい!』 その結果、私はすきな時間だけ、自分がその痛みの感覚にたやすく心を集中し得ることを知った。その間中、自分の肉体の他の部分を意識することを忘れていた。それが瞑想のじゃまをする、などということは考えもしなかった」
ナレンドラは彼の鋭い知性によって、師の言葉を、いわば、はかりにかけました。彼の教えを受けいれる前には、それらを批判したりテストしたりしました。同時に、彼はそれらの深い意味を考えたのです。ナレンドラは、師が法悦的ムードの中で、人は決して、他者に向かって同情を示すことはできない。正しい態度は、同情を示す代わりに、人をまぎれもない神の現れと見て彼に奉仕することである、と言われたとき、彼はその言葉を実に深く、理解しました。
師のこの言葉は、ただちに彼の心の底をうちました。部屋を出ると、彼は若い友人たちに向かって言いました、「私は、師のこのすばらしいお言葉の中に不思議な光を見いだした。何と見事に、彼はバクティの理想をヴェーダーンタの知識と和解させなさったものだろう。ヴェーダーンタは一般には、人間の感情にとってむずかしく厳しく、融和できにくいものと解されているのに!」と。
長い間、彼は師のこれらのお言葉の深い意味を説明しました。最後にこう言いました、「もしそれが神の思召しであるなら、まもなく、私がこの壮大な真理をひろく世界に宣布するときが来るだろう。私はそれを、すべての人の共有のものにするだろう」と。このように、シュリ・ラーマクリシュナは彼の弟子を、ヴェーダーンタをひろめるために教え、かつ訓練されたのです。
第2部 僧院の設立と遍歴の生活
師が亡くなられたあとしばらくの間は、一切が終ったように見えました。しかし、師によってまかれた放棄の種子と彼が若い人びとのハートにつちかわれた神の悟りへの熱望は、そう簡単には消えませんでした。ナレンドラは青年たちを集めて僧院を開きました。僧たたちは、霊性の修行と聖典の学習に身を投じました。
スワミジー自身は、家庭内で困難の竜巻にまき込まれていました。彼はまず、家庭の問題を片付けた上で僧院を確固として土台の上にのせました。それから、神に一切を託して、一人で放浪したい、という願いにかられました。
宗教会議
七年間、彼は祖国のすみからすみまでを遍歴し、聖地を訪れ、厳しい霊性の修行をしました。この国の大衆の貧しさと教育の程度の低さとが、ひどく彼を苦しめました。大衆の向上のために何かをしようという、厳しい決意が昼も夜も彼をうながしつづけました。重い心を抱いて、何の用意もするでもなく、宗教会議に参加すべく、アメリカに出立しました。
ここで彼は、名士として、かっさいを博しました。彼はヒンドゥの宗教の栄光について語り、それは古代以来寛容を示し、他のもろもろの宗教を認めて来た、世界にただ一つの宗教である、ということを指摘しました。彼は、すべての宗教は、唯一の存在である神に至るためのさまざまの道であるにほかならない、という、師の悟りを述べました。ヴェーダーンタを説きつつ、ひろくアメリカの各地を歩きまわりました。ここで彼は、多くの友人たちや弟子たちをつくりました。この人びとが、彼の将来の仕事を大きく助けたのです。
第三部
ヴェーダーンタの適用
三年半を西洋ですごした後、彼はインドに帰って来ました。この間中、神として人に仕える、というあの教えが、彼の心の響きつづけていたのです。彼は、師の教えは完全にヴェーダーンタの教えと符合する、ということを知りました。シュウェターシュワタラ・ウパニシャッドはこう言っているのです、「あなたは女、あなたは男、あなたは少年、あなたは少女、あなたは杖をついてよろめく老人。あなたは実にさまざまの形に現れておられるお方です」(四−三)
スワミジーは、ヴェーダーンタの原理をわれわれの日々の活動と社会生活に適用しよう、と決意しました。ヴェーダーンタは、実在はひとつである、と教えます。それは、「心によって、決して多数のものはない、ということを、見よ、多者を見る者は死から死へと行く」と言います。(カタ・ウパニシャッド、二、1、1)
ヴェーダーンタが教える一者のみが、私たちを平等に愛させます。まずはじめには少なくとも知的に、すべての生きものは一つである、ということを認めるのでなければ、ヴェーダーンタの実践は不可能です。この愛をわがものとするには、われわれの感情、われわれのハートだけが、われわれを助けることができるのです。実践的ヴェーダーンタについて、スワミジーはつぎのように言っています。
「主に会うことができるのは、知性を通してではない、ハートを通してである。知性は、われわれのために道をきよめてくれる、道路掃除人にすぎない。つぎなる働き手、警官である。しかし、警官は、社会のはたらきに直接必要なものではない、ただ混乱をとめ、間違った行為を制止するためだけのもの、そしてそれが、知性に要求されるはたらきのすべてである。‥‥
「はたらくのは感情、電気をその他より無限にすぐれたスピードをもって動くのは、感情である。あなたは感じるか――それが問いである。もし感じるなら、あなたは主を見るだろう。それが一切物を感じるようになるまで、一切のものの中の一者を感じるようになるまで、それ自身の中にも他者の中にも神を感じるようになるまで、強化され、神聖化され、最高段階にまであげられるであろうものは、あなたが今日持っている感情である。知性は決して、それをすることはできない。『言葉を話すためのさまざまの方法、原点を説明するためのさまざまの方法、これらは学者たちの楽しみのためにあるので、魂の救いのためのものではない』‥‥
「知性は必要である。それがないと粗雑な誤りを犯し、あらゆる種類のまちがをするから。知性はこれらを防ぐ。それ以上は、それの上に何かを築くようなことはするな。それは非流動的な、二義的な助けである。真の助けは感情である、愛である。
「生命であり、強さであり、活力であるのは感情であって、それなしにはどれほど知的活動がつみ重ねられても、神に達することはできない。知性は働く力のない四肢のようなもの、そこに感情が入り、それらに働きを与えたときに初めて、それらは働き、他者にはたらきかけるのだ」
結論として彼は言っています、「世界中どこに行ってもそうである。これはあなたが常におぼえていなければならないことである。これは、ヴェーダーンタの道徳の中で最も実践的なものの中の一つである。なぜなら、あなた方はすべて予言者であり、すべてが予言者でなければならない、というのが、ヴェーダーンタの教えなのであるから。書物はあなた方の行為の証ではない。あなた方が書物の証である。書物が真理を教えている、ということを、あなた方はどうして知るのか。あなた方が真理であってそれを感じるからだ。それがヴェーダーンタの教える所である。(全集2/三〇六ページ)