スワミ・ヴィヴェーカーナンダ生誕祝賀会の講話
一九八七年二月十五日
第1部
緒言
スワミ・ヴィヴェーカーナンダは聖者でした。しかし、彼は、特異な性格の聖者でした。彼の師、及び、他の偉大な聖者たちのように、彼は、人格的、及び、超人的両面からの、神の直接の悟りを得ていました。しかし、他の多くの聖者たちとは異なり、彼は、世を退き、沈黙の中で祈り、または瞑想し、選ばれた僅かの弟子たちにのみ霊的な指示を与えつつ霊的至福を楽しむ、というような生活はしませんでした。彼は自分の生涯を人類の物質的、心理的、道徳的、及び、霊的向上のために捧げたのです。
彼の心の生まれつきの傾向は、一切の世俗性を超えて高く飛翔し、神の瞑想に自分を忘れる、というものでした。しかし、彼の心のもう一つの部分が、人類の苦しみと悲しみの姿を見て深く動かされたのです。彼の心が神の瞑想と人類への奉仕という、この二つの願望の中間に、安定した一点を見いだし得たときは希であったように思われます。師の命令に従って、彼は人類への奉仕を、この世における彼の使命として選びました。このことが彼を、偉大な宗教教師に、偉大な愛国者に、そして、偉大なヒューマニストにしたのでした。
幼、少年時代
スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、カルカッタのある貴族の家に生まれました。彼の性格は、この両親から大きな影響を受けました。彼は、不可知論の信奉者であった父から、合理主義的な態度を受け継ぎました。彼の母は、ヒンドゥの伝統の宗教に深く帰依していました。彼女は、彼にその宗教的な性質を伝えました。少年時代から、彼は聡明であり、しかも、瞑想と祈りを好みました。
大学時代、彼はむさぼるように、歴史、文学、科学、及び、哲学の書物を読みました。西洋哲学の勉強は、彼をひどく混乱させました。彼は、自らの努力では、持って生まれた霊的渇仰心を満足させ得るふさわしい方法を見いだすことができませんでした。その時代の宗教団体であったブラフモ・サマージの会員ではありましたが、その理想と方法に満足することはできませんでした。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、誘惑と混乱のときに彼を導くことのできる人、自分自らの経験に基づいて、神の直接のヴィジョンを得るよう、彼を導くことのできる人を探していました。彼は、彼の疑い、懐疑主義を除くことのできる人、人生の目標に達し、心の平安を得るよう彼を助けることのできる人、即ちグルを探し求めていました。スワミジーは、書物を読むこと、説法を聞くことには飽き飽きしたのです。彼は、知的な知識は彼を霊性の開発には導かない、ということを理解しました。
霊的な衝動の目覚めは、もう一つのそれ自体が霊的な魂からやってきます。種子は生きた種子でなければならず、畑は十分に耕されていなければなりません。これら二つの条件が揃うと。そこに本物の宗教の驚くべき成長が起こるのです。カタ・ウパニシャッドはこう言っています、「このアートマンは、劣った人物によって教えられると、容易に理解することができない。なぜなら、論争者たちによってそれはさまざまに受け取られるからである。しかし、それがアートマンと一体になった人から教えられるなら、そこに疑いの余地はない。アートマンはもっとも精妙なものより精妙なものであって、議論によって知ることのできるものではない」と。
シュリ・ラーマクリシュナとの接触
この重大な時期に、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、ドッキネッショルの神に酔った聖者、として有名なシュリ・ラーマクリシュナに会いました。シュリ・ラーマクリシュナは時折、神的恍惚状態に入られ、常に神のことと、彼自身の霊的経験のことを話しておられました。
スワミジーは、カルカッタで始めたシュリ・ラーマクリシュナにまみえたとき、十九歳でした。「私は神を見た。しかも、あなたを見るのと同じようにはっきりと彼を見る」というシュリ・ラーマクリシュナの言葉は、彼を深く感動させました。後に彼はこう言いました、「それは直ちに私を感動させた。私は初めて、自分は神を見た、と言いきる人にあったのである。宗教は我々がこの世界を感じ取るより無限にもっと強烈に感じ取るものである、と言いきる人に会ったのである」と。
スワミジーは、シュリ・ラーマクリシュナの純粋さ、及び霊的偉大さを確信しました。さまざまのテストと批判的な観察の後にようやく彼を霊性の師として受け入れました。スワミジーは、彼の指導によってさまざまの霊的経験をしました。シュリ・ラーマクリシュナは初めからスワミジーを古代のリシ、すなわち予言者のように見ておられました。
生涯の使命
師が亡くなられた後、スワミジーは、兄弟弟子たちと共に出家の誓いを立てました。彼は遍歴僧として全インドを旅行しました。歴史、及び聖典を学び、文化的に興味のある土地土地を訪れ、あらゆる階級の人々と交わりました。彼は、インドの過去の栄光に誇りを感じ、その将来の復興を確信しました。彼は大衆の無知と貧しさと、健康状態の悪さを見て、悲しみに打たれました。
彼の生涯のこの時期に、三つの問題が昼も夜も彼の心を往来しました。深い洞察力によって、彼もまた、これらの問題の回答を見いだしました。長い外国支配にも関わらず、インドを生き続けさせ、根本においてその統一を保たせてきたものは何であるか。これが第一の問いでした。彼が見いだした答えは、宗教の基礎原理に対する人々の忠誠であるというものでした。
第二の問題は、インドはその霊性の宝庫から、世界の文化に何かを貢献することができるか、というものでした。答えは、西洋世界はインドの霊的助力を必要としている、インドは彼女の豊かで多様性に富むその宝庫から、惜しみなく援助を与えるべきである、というものでした。
最後の問題は、この世における彼の急務は何であるか、というものでした。彼は、インドは、西洋で開発されている科学や技術を学び、自らの物質的環境を改善すべきである、という、内なる声を聞きました。
彼はカンニヤクマリで、自分は祖国の人々に宗教の永遠の真理を説き聞かせる、という誓いを立てました。彼は一般大衆の物質的環境改善の仕事に自らを捧げました。後に、次のような手紙を書いて自分の思いを披歴しています、「実在するたった一つの神、私が信じるたった一つの神を礼拝するためには、私は繰り返し、繰り返し生れ変り、幾千の苦しみをも受けましょう――全ての魂の総計である神、そして特に、全ての種族、民族の中の、よこしまな人々として現れている我が神、惨めな者として現れている我が神、貧しい人々として現れている我が神、それが私の礼拝の特別の対象です」と。(一八八七年七月九日アルモラからヘイル夫人宛)
第2部
宗教の目的
彼は、インドでは宗教が非常な熱意をもって実践されている、宗教は民族の血の中を流れている、ということを見ました。ここでは人々が宗教のためには、神を悟るためには、一切のものを犠牲にするのでした。ヒンドゥイズムの意味と目的について、彼はこう言っています、
「ヒンドゥの宗教は、特定の教義を信仰しようとする努力から成り立ってはいません。信じることではなく、悟ること、あること、なること、から成り立っています。こういうわけで、ヒンドゥの教え全体の目的は、不断の努力によって完全になること、神的になること、神に達し、神を見ることにあります。そしてこの、神に達し、神を見ること、天にまします父のごとく完全になることが、ヒンドゥの宗教であります」(シカゴ講演) 彼は、西洋の人々に、彼の宗教のこの教えを伝えました。
彼はまたこうも言いました、「皆さんは、宗教はおしゃべりや、教義や、書物の中にあるのではなく、悟りである、ということを心にとめておかなければなりません。それは学問ではなく、あること、であります」(全集四−八五、バクティヨガ)
スワミジーが東西両洋において、自らの講演を通じて説いたのは、宗教についてのこの考えでした。宗教の目的は、人の霊性が次第に深く目覚めることによって、神を直接経験することです。これが宗教の試金石です。個人の霊的成長と言うべきものがあります。この成長は一歩一歩やってきます。我々はこの成長を、煉瓦が積み重ねられて、建物が次第に出来上がって行くのを見るように、経験することができます。宗教的な生活をするうちに、自分に力がつき、意識が拡大し、同情の心が深まり、広まってきます。自分がより良い人間に成長しつつある、と感じます。この努力を続けることによってついには完成に達するのです。
科学と技術の無制限の進歩は現代世界に危険をもたらしました。人々は重い経済の圧力に押しつぶされました。彼らには人生の高い理想が必要でした。彼らは恐怖、疑惑、競争、嫉妬の犠牲となりました。西洋は、切迫する危機に向かって突進しつつありました。スワミジーは、インドの霊性がこの危機の救済策であることを確信しました。後に、彼は言いました、「人類の円満完全な進歩のためには、ヒンドゥの静かな頭脳が自らの役割を果たさなければならない。インドからの世界への贈物は、霊性の光りである」と。(コロンボからアルモラへの講演集一八九七年一月十六日)
第3部
宗教の単一性
宗教という言葉は、宗教的なもののさまざまな外面的現れと、内なる霊的卓越性との両方を意味しています。本当のことを言えば、霊性は、宗教らしさが終ったところから始まるのです。スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、霊性、即ち、宗教の内なる確信と、形式上の宗教とをはっきり区別しました。霊性という言葉によって、彼は、人の中にすでにある神性の現れを意味しました。ですから、さまざまの宗教は、この隠されている神性を開発、表現するためのさまざまの方法であります。
現代の問題は、世界のさまざまの宗教の単一性を見いだすことです。さまざまの宗教の間の相違は、十分に長い間、強調されてきました。今、さまざまの宗教の単一性が強調されるべき時が来たのです。
諸宗教の単一性を語る場合には、我々は主として、それらが最初にその創始者によって説かれたときの形、または、それらの創始時代に書かれた書物に述べられている形を思い浮かべます。さまざまの宗教は、それらの全体を取り上げたときには、そんなに同じ姿をしてはいません。言葉も違うし、礼拝の形式もさまざまですから。それぞれの宗教が時代の変化、場所、文化の様式に、自らを適応させて行かなければならないのですから、この違いは避け難いものです。この問題を解決する道は、多様性を容認しながら、単一性に注目する、というものです。
私たちは、稲の実の一粒は、もみがらと米という二つの部分を持つ、ということを知っています。同様に、それぞれの宗教は、普通一般の人々に受け入れられ易いものとするために、その本質的な部分と、そうでない部分を持っています。私たちは、若い木の苗を守るために垣根が必要であるのと同様に、米を守るためにはもみがらが必要であるということを忘れてはなりません。
成長する心は、一歩ずつ上って行かなければなりません。さまざまの形式や儀式は、それの階段として役に立つのです。それが本質的な部分ではない、というだけの理由で、形式を無視してはなりません。形式や儀式は、初心者には絶対に必要なものです。それらなしに抽象的な哲学や宗教の内面の真理を理解することのできる人は希です。形式はゴールではありませんが、ゴールに達するための助けなのです。
さまざまの宗教の多様な形式の必要を念頭に置いて、スワミジーは言っています、「私は、さまざまの宗教が採用しているさまざまの言葉、儀式、書物などのことを言っているのではない、全ての宗教の内なる魂のことを言っているのだ。私は、さまざまの現れは互いに矛盾するものではなく、補い合うものであることを信じる」(全集三−三一五)
真の信仰者には二つの重要な心得が課せられています。その第一は、さまざまの宗教はその本質において一つであるということを心に留めておくこと。第二は、それらの相異なる部分についての争いを避けること。この世の中に、自分だけが正しい、といえる宗教は一つもないのです。それぞれの宗教が、浄らかさ、愛、及び、真理という同一のゴールに達するための一つの道なのです。スワミジーは、この、さまざまの宗教のゴールは一つである、ということを教え、うまずたゆまずそれを語りました。違いを誇張すると、宗派主義や独善主義が生まれてくるのです。
真の信仰者は、全ての宗教を真理として認めます。彼は、他の信仰を容認するだけでなく、積極的に、他の人々がそれらを説くのを助けます。全ての宗教が、何かの必要を満たすべく、この世界に存在の価値を持っているのです。真に宗教的な人の合言葉は、「多様の中の単一」です。この、「多様の中の単一」は、宇宙間に見られる自然の計画なのであります。
調和、兄弟愛、寛容及び助力――これらによってのみ、人類の将来は保証されるのです。寛容から始まり、それが同情に深まると、ついには、宗派主義、独善主義の真の解決を見いだすでありましょう。兄弟愛と相互援助は全ての宗教を認める態度に成長するでしょう。この考えをスワミジーは大胆に主張しました。
宗教の世界には、大ざっぱに言って、五つの異なる態度があります。(一)破壊と非難――人は自分の宗教だけが正しい良い宗教であって、他はことごとく正しくない、悪い宗教であるから、何としてでも破壊しなければならない、と考えます。(二)寛容−−自分の宗教が最も良い、正しい教えだと考えるけれど、他を非難することはせず、我慢します。(三)共存主義−−異なる信仰を持つ人々が「共存共栄、持ちつ持たれつ」の態度で共に暮らします。彼らは、相互の違いより共通点の方を強調します。(四)折衷主義――他の宗教の良いと思われる点を自分の宗教に組み入れようとする試みです。悪いと思われる点は退けます。(五)受容――この態度には否定的なところはまったくありません。全ての宗教は、同一のゴールに導く、同等に神聖な道であるとして敬われます。
さまざまの宗教の根底に存在する真理を認めて、過去における多くの改革者たちが、意図的に、それぞれの宗教の中に最善の要素を融合する、という方法を取りました。これは一般の人々から喜ばれませんでした。その上に、この方針に沿った試みは、根本的にある違いを解決することなく、新しい宗派を作り出しました。
この世界には、さまざまの宗派宗教が存続するでありましょう。なぜなら、人とその環境はこれぞれに異なるのですから。おのおのの宗教が、それ自身の倫理的霊的修行法、儀式と祭祀の方法、教義、神話、シンボル、神学及び哲学を持っています。これらは、その宗教が生まれた場所の歴史的環境と、その時代の人々の知的進歩の状態などによって形作られたものです。
しかし、宗派や宗教は、しばしばそれらが憎悪と暴力に発展しますけれど、決してそれらが紛争の真の原因ではありません。宗教の真の調和をもたらすためには、道徳の向上、真剣な霊的渇仰心、及び、知的な視野の拡大が必要です。利己的な態度、狭い見解、及び政治の介入が、紛争と暴力の原因なのであります。
全ての宗派の偉大な指導者たちは、愛と、慈善と、平等と、兄弟愛への衝動を感じます。彼は、誰に対しても悪意を抱くということはありません。ところが、無知で利己的な人々の手に落ちると、宗教は狂信主義と民族間の憎しみにまで堕落するのです。
私たちが、偉大な聖者たちから教えられた道徳的、霊的理想への道を踏み外すと、不一致や不調和が起こるのです。あらゆる宗教が、最高の階級に属する聖者たち、賢者たちを沢山輩出しました。それぞれの宗教の真の信仰者は、彼らの教えと道徳から、霊的滋養を吸収したのです。このことは、さまざまの宗教が存在することの意義を証明します。
スワミジーは折衷主義とか共存主義を説いたのではありません。彼は、自分自らの宗教のある面を斥けて、他から何かを借りて来た、というような、信仰の新しい体系が広く受け入れられるとは信じませんでした。むしろ、彼はおのおのの宗教をそのまま認めました。彼は、霊的見解をもっと包容的な、合理的なものにするよう教えました。そのことなしには、いかなる宗教も、科学が発達し、国際交流の盛んなこの現代に生き残ることは不可能なのです。
スワミジーは、全ての人に、彼ら自身の宗教をヴェーダーンタの合理的な哲学の光りに照らして、よりよく理解するよう、勧めました。彼は、意識的に同化に努めることに反対はしませんでしたが、模倣は強く非難しました。彼が説いた調和確立の方法は、自分の信仰を大切にし、神への道を真剣に歩みつつ、積極的に兄弟愛を養う、というものでした。シカゴの宗教会議で、彼はこう言いました、「私は、世界に寛容と、広く全てのものを認めるということを教えた宗教に属していることを、誇りとしています。私たちは、普遍的な寛容性を信じるだけでなく、全ての宗教を真理なりと認めるものです」と。
シュリ・ラーマクリシュナは、ヒンドゥイズム、イスラーム、及び、キリスト教の道を実践して、霊的経験の、同一のゴールに到達されました。彼の生涯は、宗教の単一性の生き証拠であります。スワミジーは、インドの歴史上の事実を引き合いに出して説明しました。インドのヒンドゥは、キリスト教徒のためには教会を、マホメット教徒のためにはモスクを作りました。パーシー教徒の避難民はこの国に落ち着くことを許されたのです。
あるサンスクリットの賛歌はこう歌っています、「さまざまの源から発した流れがすべて海に流れ込むように、おお、主よ、人々がさまざまの傾向に従ってたどるさまざまの道は、曲がっていたりまっすぐであったり、さまざまであるように見えますけれど、全てはあなたに到達いたします」と。
宗教は、いつとも知れぬ時代から存在し続け、これからも、人間の内なる自然の衝動として永久にありつづけるでしょう。自分の内にある神性を悟りたいというのは、魂のもって生まれた衝動です。宗教は、永遠の魂と永遠の神との間の、永遠の関係の経験なのであります。個々の宗教のすべては、霊的経験という同一のゴールに達するための道です。さまざまの宗教は、一つの中心に結びつく円の半径のようなものです。彼らは中心に近づくに従って、互いに近くなるのです。
私たちがもし、神を自分の主人、父、または母と思うなら、私たちは同時に、自分たちを同じ神の召使仲間、または子供たちと感じなければなりません。もし、神を全体と見、魂を部分と見るなら、私たちはすべて、自分たちを仲間の魂と感じなければなりません。私たちはすべて、至高霊の永遠の部分なのです。もし、究極実在は一つである、ということを考えるなら、自分と自分の隣人たちとは一つである、感じなければなりません。自分の仲間の生き物に対する私たちの愛は、この事実に基づいていなければなりません。私たちは、愛すると言うことは奉仕するということだ、ということに同意しなければなりません。
もし、私たちがこの一つという真理を悟ろうと欲するなら、私たちは自分が霊的でなければなりません。私たちが自分の生活を真摯に誠実に生きるとき、自分たちの内部に、この調和を見いだします。私たちは平安を楽しみ、自分の周囲に平安を放射します。