最高をめざして 注釈
一九八五年十一月十七日
十一 ジャパと瞑想をたえず行うことによって心が静かに浄らかになると、そのときには心自らがあなたのグル、すなわち指導者になる。あなたはあらゆることを正しく理解できるようになり、霊性に関する疑いや問題には、内部から解答が与えられるようになるだろう。心が次から次へとあなたのなすべきことを告げ、また、どのようにふるまうべきかも告げてくれるだろう。
完成の成就と助け
あらゆる魂は、完全になるべく運命づけられているのであって、あらゆる生きものは、やがては完成の境地に達するのであります。人の心の状態は彼の過去の行為と過去の思いの結果であります。心の状態は変化するものです。将来の心の状態は現在の行為と思いとの結果であります。
われわれの運命の形成はわれわれ自身の努力と働きにかかっています。しかし、霊的生活の方針を決めるには、われわれは、霊的の問題や経験において先輩である他の人々から助けを受けることができます。まず、大方の場合、このような助けは絶対に必要です。そのような助けが、真に霊性の高い人からやって来ると、心の力と可能性は刺激を受け、霊的生命がめざめます。それを受けた人の霊性の成長は早められ、また確実になります。彼は浄められ、ついには完成するのです。
グルとシシャ
霊性の助けを与える人は師、またはグルと呼ばれ、そのような助けを受ける人は弟子、またはシシャと呼ばれます。精妙な霊性の力が、師から弟子に伝えられるのです。グルもまた過去にこの力を彼のグルから受けたのであって、この霊性の力は、切れることのない鎖のように次々に継承されて流れ続けるのであります。
師は弟子の霊性のガイドです。弟子は彼の指示のもとに宗教の道をたどり、徐々に進歩をとげるのです。真の教師は決して金や名声を求めるような、下心をもって教えるようなことはしません。彼は愛から、人類への純粋な愛から弟子を助けます。真の弟子は、神への真摯な愛と、教師への深い尊敬の心を持つべきです。
問題と困難
宗教生活を送るに当たっては、弟子の心にはさまざまの疑惑が起こるでしょうし、また彼は、修行に関してある困難に直面することもあるでしょう。このようなときには、彼は、しかるべき尊敬の念をもって師のもとに行き、彼の指導を乞うのです。弟子の言うことをきき、師は賢明な助言と敬虔とによって彼の問題を解決し、疑いを除きます。グルの指示によって弟子は進歩をとげます。師の教えへの堅い信仰が弟子をゴールに導くのです。
人間のグルと内なるグル
人間のグルは絶えずそばにいるというわけには行きません。弟子が会いたい、そして疑問を解いて貰いたい、と思うときにも、会えないかも知れません。弟子よりさきに師がなくなり、弟子はひとり残されるということもあるでしょう。そのようなとき、弟子はどうしたらよいのでしょうか。どのようにして問題を解決すべきでしょうか。
このような場合にも、弟子は力を落とす必要はありません。あらゆる求道者の内部に内なる教師、彼を正しい方向に導く内なるガイド、案内者がいるのです。祈り、ジャパ、瞑想の実践および聖典を読むことによって浄化された弟子の心は彼自身の教師として働くのであります。憎しみ、ねたみ、怒り、貪欲、色欲、うぬぼれ、および執着を脱した心は彼のグルとなって、彼を正しい道にそって導きます。
浄まった心は求道者の内なる教師となり、求道者は内部から霊的指示を受けるようになります。心が浄まると、それは内なるグルとなり、ゴールに到達するまでその求道者を助けるのです。そのような心は、求道者が日常の務めを行う場合にも指示を与えます。
最高の教師
神はあらゆる人のハートに宿っておられます。神は最高の霊です。すべての教師たちの教師であり、すべての知識の源泉であります。霊性の修行によって心が浄まると、その心はハートに宿っておられる神に触れます。浄まった心は、神の知識、神の叡知の流れる通路になるのです。それはすべての教師たちの師であられる神から直接に指導を受けます。浄い心はまたさまざまのものから教えを受けます。
アヴァドゥタ
シュリマド・バーガヴァタムは、さまざまの深い霊的教訓を自然界のさまざまの対象から得た、一人のアヴァドゥタ、すなわち遍歴の苦行僧のことを語っています。彼はそれらの対象を自分のウパグル、すなわち補助的なグルと仰ぎました。アヴァドゥタの心は浄らかで自惚れがなかったので彼はさまざまのものから学ぶことができたのです。ここに彼が各地を遍歴する間に、木や空気や月から学んだもののことが書いてあります。
一、樹木は暑さに焼き焦がされ、疲れきった旅人に涼しい蔭を与える。旅人たちはその下に座って、心身を生き返らせるのである。樹木はその持ち主に果実を与え、その葉は動物の餌になる。きこりに枝を切り取られても、木は彼にそのような恩恵を与えることを止めない。木はすべての者に善を与え続けるのだ。そのように賢者は、たとえ人々からむごく扱われても、常に彼らに向かって善事を行うべきである。木は果実がたくさんなると、その重みで枝は低く垂れる。そのように賢い人はその知恵の豊かさにもかかわらず、謙虚でつつましやかである。
二、空気は、良い匂いにも悪い匂いにも影響されない。そのように賢い人は、さまざまの性質の感覚対象の中を動きまわっても、善にも悪にも影響されない。心を自己(アートマン)に集中し、静かで平衡を得て、不動である。
三、ときの移るに従って月の姿は変化する。しかしそのような変化は、実は、月そのものには何の関係もない。そのように、肉体に関わる生死はアートマンには何の影響も与えてはいないのだ。
ブラザー・ローレンス
ブラザー・ローレンスは、十七世紀に生きたフランスの聖者です。彼はその生涯を僧院の台所で過ごしました。葉の枯れ落ちた樹木の姿が、彼を内観的にしました。この枝にもやがて新しい葉が芽ぶき、花が咲き、果実もなるのだという思いが彼の心を動かしました。このことが彼に、すべての被造物の中に隠れている神と、その力を示しました。そのときに彼が経験した霊性のめざめは彼の全生涯を支えたのです。われわれすべての内部に、神の力が隠れておいでになり、目のさめるのを待っているのです。われわれはこの神聖な源を発見し、自分の内部から神の力を呼び出さなければなりません。
ブッダの説法
ブッダは彼の弟子たちに、自分の死後、彼ら自ら自分のグルになれ、内なるグルに頼れと教えました。彼の説法は、「あなた自信の灯火であれ」というものでした。
スワミ・トゥリヤーナンダ
スワミ・トゥリヤーナンダは彼の教えの中でこう言っています。「まず第一に自分を直すよう、絶えず、努力せよ。やがて、あなた自身の心が自らの勧告者になったことを知るだろう。人々は、いますぐにそうなりたいと思う。あなたの内部の浄らかな部分は神ご自身である。不純な部分があなた自身である。あなたが『私』と言うとき、あなたは実は、その不純な部分をさしているのだ。彼のことを思えば思うほど、彼はあなたの内部で拡大し、そして、ついには、不純な部分は完全に消えてしまうだろう」
永遠の伴侶(二五一頁)
あなた自身の心ほどに偉大なグルはいない。祈りと瞑想によって心が浄められると、それが内部からあなたを導くのだ。日々の務めに関してさえも、この内なるグルがあなたを導き、ゴールに達するまで、あなたを助け続けるであろう。神を深く愛しなさい。そうすれば心は、常に静かで浄らかでいる。
警告
われわれは、浄められた心だけが、指導者、すなわちグルの働きををするのだ、ということを覚えていなければなりません。普通の心と、神の臨在を感じている浄らかな心との間には大きな差異があります。
われわれは、自らを欺かないよう、用心しなければいけません。自分の心がグルになったとか、周囲のあらゆる対象から教えを受けることができるとか思うかも知れません。そこには常に、自分自身の願望や思いを、神からのインスピレーション、または天の声、と取り違える危険がひそんであるのです。
霊的に進歩していて視野の開けている生きたグルから指示を受ける場合には、そのような危険はありません。霊性の教師は弟子の限界を知っていて、彼をふさわしい方向に導きます。生きたグルはその弟子に、道徳的訓練の実践と、礼拝の精神で自分の務めを果たすことによって自分の心を淨めることを教えます。弟子が間違ったことをすると、グルはそれを見て正しい道に戻します。幸いにも人間のグルの導きを得ることのできる人々は迷うことはないでありましょう。
グルの恩寵と彼自らの努力とによって、弟子の内部に隠れていた直観の能力は次第に目覚めて行くでしょう。弟子の浄まった直観力は彼のグルとして働き、生涯にわたって彼を導くでありましょう。