最高をめざして 注釈
一九八五年
一〇 家住者があまりプラーナーヤマすなわちヨガをやるのはよろしくない。それをしたいと思う人たちは、生活のあらあらゆる面で規律と節度を守らなければいけない。滋養のあるサトワ的な(純粋な)食物を適当な時間にとり、規律のある活動をし、悩みのない生活を送り、空気が清浄で気候穏和な、健康的で人里はなれた場所に住んで、言葉をつつしまなければいけない。とりわけ不可欠なのは、ブラフマチャーリヤ、すなわち完全な純潔を守ることである。これらの戒めを破ると、ハートもしくは頭脳に病を引き起こす恐れがある。
プラーナーヤマ
われわれの肉体の、そして精神の健康は、神経と頭脳の正しいはたらきに大きく依存しています。もしそれらが清浄でないと、われわれは病気にかかり、人生の普通の活動をすることができません。病気は、人生を不幸にします。より高い知識、精妙な感情や霊的ムードの感覚は健康な心身によってのみ、獲得が可能なのであります。
霊性の生活においては、われわれは精妙な知覚、感情および想念と取り組まなければなりません。それらは健康かつ強靭な神経と頭脳を必要とします。ジャパ、瞑想およびその他の霊性の修行の長期にわたる実践によって、神経と頭脳は徐々に、適当に、改造されます。それらは、精妙な事柄を理解し、霊的な感情を抱き得る特別な力を発達させます。このような力は、速やかに、または霊性の修行の実践なしに得られるものではありません。
プラーナーヤマの実践によって、高い霊的知覚が突然やって来ることがあります。それに耐え得る能力がないのに不意にやって来る知覚は、神経組織と頭脳に大きな害を与えます。それだから、プラーナーヤマの実践は余りすすめられないのです。その上に、プラーナーヤマはもし間違った方法で行われると、神経と頭脳を破壊してしまう危険が実に大きいのです。
潜在する悪い傾向
プラーナーヤマによって、われわれは心中に眠っている思いを呼び覚まします。心は数多の高貴な、純粋な思いを内蔵しています。また同時に、多くの悪い傾向も潜在した形で蓄えています。悪い傾向は、常にわれわれの目に見えているというわけではありません。われわれはそれらを十分に知らないでいるでしょう。それらは潜在状態で心中に存在しているのです。不純な、内部の思いと傾向が意識のレベルに押し出されると、それらは非常に大きな混乱を引き起こします。もし心の力がそれらを制御し得るほど強くないと、求道者は、悪い、不健康な行為を犯す誘惑に負けるでありましょう。不健康な思いも行為も、霊的生活には堕落をもたらします。われわれは、プラーナーヤマは潜在意識にある純粋な思いと不純な思いの両方を、それを実行する前に心中に呼び覚ますということを覚えている必要があります。
プラーナーヤマは、求道者の性格が堅固であり、低い本能や欲望や傾向に縛られていない場合には、行なって利益があります。浄らかな心と高い道徳的意識とが、精妙な想念と感情を抱くためには必要です。霊性の生活にあっては、純粋でない思いは、不純な行為と同じように悪いのです。
オージャス
プラーナーヤマを規則的に行うためには、人は禁欲の誓いを立てなければなりません。ヨギはこう言っています。人間のエネルギーの一部は性欲として現れている。このエネルギーが抑えられ、生命の、より高い理想によって制御されるなら、それは精妙な霊的エネルギーに変容されると。その霊的エネルギーはオージャスと呼ばれています。それは頭脳に蓄えられ、精妙な新しい神経を作りだします。このオージャスによって、求道者は知的にも道徳的にも、霊的にも強くなるのです。彼は、精妙な、霊的思いや感情を知覚することが出来ます。思いと言葉と行いにおいて純潔である求道者は、頭脳の中にオージャスを生ぜしめ、そこにそれを蓄えることができます。(全集一、一六九ー七〇)
警告
書物の中に繰り返し述べられているのは、プラーナーヤマは熟達した師の指導のもとでなければ行なってはならないということです。プラーナーヤマは徐々に、心身の健康に留意しつつ行われるべきです。もし瞑想をぬきにして行われるなら、それは心を更に一層不安定にするでしょう。だから、しばしばそれは狂気の原因となるのです。
食事について
食物についてのある程度の規制が必要です。正規の修行としてプラーナーヤマを行いたいと思う人は、浄らかな心をもたらすような、純粋でサートウィックであると考えられているような食物をとるべきです。
腐敗した、臭気を発するような食物や、アルコール性のものやその他の興奮性の材料を含む食物は不純と見なされています。酔わせる飲物は決して心を安定させません。瞑想中は、心は制御されなければなりません。酒類を取ると、心は制御に応じなくなります。だからそれらは求道者には有害なのです。
食餌、仕事、その他日常生活の全般に十分な注意が払われなければなりません。食べ過ぎ、運動のしすぎ、心の使いすぎは何れもプラーナーヤマおよび瞑想における進歩を妨げます。軽い食事をとり、胃の一部を空にしておくというのが食物の節制です。含水炭素を含む食物を取るべきです。油や脂肪は取り過ぎないようにしなければなりません。ヨギはプラーナーヤマの修行を長年月にわたって実践する場合には、脂肪の摂取は完全にやめなければならないのです。
マハーバーラタは言っています。「ヨギは、脂肪を加えない米と、胡麻と大麦のかゆをとることによって能力(心と身体と、より精妙な知性の力)を得る」 ミルクを混ぜた水を飲むことも、マハーバーラタにすすめられています。最初は少量の脂肪はとるべきで、徐々にそれを減らして行くのです。
病気にかかったら、瞑想やプラーナーヤマに全力を注ぐよりも、まず、身体の養生に努めなければなりません。前に食べた食物が消化してから次の食物を取らなければなりません。
度の過ぎた苦行はいけません。断食すると、まず体が弱り、次に記憶力が、次に思考力が衰えます。真剣にプラーナーヤマを実践しようとする人は、食物の質と量に注意しなければなりません。
俗を離れた環境
「俗を離れた環境」とは、騒がしくなく、邪な人のいないところという意味です。霊的生活では邪な人々との交わりは避けなければなりません。そうでないと、徐々にその悪影響を受けて、人生の目標を忘れ、破滅に導かれます。それは気のつかない間にやってきて、気がついたときにはもう遅いのです。
悪い傾向は最初は小波のようなものですが、やがて恐ろしい大波となって、求道者の自制心をさらい、その心を世俗性で満たすようになります。そうなると、心の浄らかさと安定を取り戻すためには、莫大な努力が必要となります。これは時間とエネルギーの大きな浪費です。シュリ・ラーマクリシュナは言っておられます。「神はあらゆる生きものに内在している。だが、誰も神の現れとしてトラを抱くことはしない。貴重な人命を守るためには虎を避けるのが常識である」
またこうも言っておられます。「水は生を保つに絶対必要なものだ。しかし、どの水を飲んでもよいというわけではない。ある水は足を洗うのに適している。ある水は布を洗うのに適している。そして、第三の水が飲用に適している。中には触れるのもよくない水もある」
霊性の求道者はどんな人と交わってもよいというわけではありません。社会に暮し、仕事をしている間は、注意して仲間を選ぶ必要があります。
低い感情を刺激する対象、出来事、または場所は注意して避けなければなりません。
修行は、野獣のいるところ、火のあるところ、邪な人のいるところの近くではしないようにと言われています。 また、汚い場所は瞑想にふさわしくありません。静かで、気持ちのよい場所を選ばなければなりません。公衆の前で瞑想してはなりません。
おしゃべりを慎むこと。
空しいおしゃべりや、不必要な議論にふけってはなりません。論争は避けなさい。決して満足すべき結論はでないものです。議論は決して神の存在を決定的に証明するものではありません。ある学者たちは、自分は神の存在を証明することが出来ると信じています。しかし、神は存在しないという反論をして得意になっている学者もいるのです。
議論によってわれわれはどこにも到着はしません。神を求め、神を愛することを願う本当の霊性の探求者は、空しい議論などはしません。神の存在の唯一の証拠は直接の認識だけです。この経験より良い証拠はありません。信仰者は神を悟ることに全心全霊を傾けます。全エネルギーを目的達成のために使います。
無用の議論は心の平静を乱すから、避けなけれわれわればなりません。しかし、霊性の真理、修行、神への信仰等を論じている聖典については話し合うべきです。そのような話合いは、より明確な概念、より強い確信を得させてくれます。聖典についての話合いは疑いと誤解を除き、信仰を深めます。
ホーリーマザーは、「プラーナーヤマの実践は超能力をもたらし、そのような力は求道者を迷わせます。求道者は、力を獲得するよりも、放棄と神への愛を深めようとすることに心を用います。プラーナーヤマは少しはしてはよいが、し過ぎてはなりません。心がジャパや瞑想によって自ずから静かになれば、プラーナーヤマの必要はありません」と言っておられます。
スワミ・ブラマーナンダは、「プラーナーヤマやその他のヨガの実修は現代の環境にふさわしくない」と言っています。
食物について
瞑想は、食べ過ぎる人、食べ物の少なすぎる人はうまくできません。眠りすぎる人、眠りの足りない人もそうです。
食物もリクリエイションも適度にする人、仕事も適度にし、寝起きも適度にする人は瞑想もよくできます。