シュリ・ラーマクリシュナ生誕祝賀会の講話
一九九二年三月十五日
緒言
シュリ・ラーマクリシュナは、比類のない人格であられました。実に多面的な性格を持っておられましたので、彼は一つの肉体の中に、人類が今日までに生みだしたかぎりの完成された人びとの生命を生きておられた、と言ってもまちがいではないでしょう。彼は過去から現代にわたってあらわれた最高の霊的理想のすべてを、一つのガーランドにつなぐひもであられました。
彼は、彼がおはなしになったことばと教えの生きた権化であられました。物質主義の時代に生きておられましたが、それの悪影響とは無縁でした。彼のたましいは、最高境地に向かっておのずから成長しました。彼の生涯は、真理をもとめる人びと、感覚への勝利を、神のさとりを求める人びとに、独特の教えを提供します。人生をシュリ・ラーマクリシュナの型にならって形成しようとする人はまちがいなく、成功し、平安を得、最高の境地に達するでありましょう。
無類の識別と修行
彼はすばらしい少年でした。おさないときから、ふかく宗教的で、宗教上の儀式や慣例をまもることにきちょうめんでした。識別力は、彼の性格のもっともつよい特色の一つでした。
七歳のとき、彼は教育のために、村の小学校に送られました。彼は知性的な知識の究極の目的をふかく考え、教育は生活の資を得るための手段にすぎない、とはっきりと結論しました。ハゲタカは空たかくまい上がるが、彼らの注意は、地上の腐肉を見いだすことに集中されています。それとおなじように、いわゆる教育のある人びとは、十分な知識を持ちながら、その心は、金とパンだけに向けています。彼がひとたびこの結論に達すると、問題は永久にきまりました。
学校生活はとつぜんおわりましたけれど、彼はなまけはしませんでした。彼は、無知を破壊する知識を、心のやみを消散させる光を得ようと心に決めました。彼は、古代のリシたちによっておしえられたような、それを知ることによって、他のいっさいのことがわかるという、その知識を得たいと思いました。ウパニシャッドは、一つの土のかたまりを知ることによって、土でできたすべてのものを知ることができる、とおしえているのです。
識別の精神が、目標に到達するまではもどらない、という断固とした意志とむすびついて、全生涯における彼の成功の秘訣となりました。彼はその分析的な心によって、神のヴィジョンの最大のさまたげは、ハートのこの世への執着である、ということをはっきりと見ました。それで、この最大の敵を征服することに全心をたかむけました。
彼は、世間への執着のあらわれである無数の形を、色欲と金銭欲の二つに大別されました。識別というするどいつるぎによって、それらを一つ、また一つと克服されました。片手に土のかたまりを、もう一つの手に一枚の銀貨を持って、瞑想にすわりました。
心に向かって彼は言いました、「これは銀、これは土である。その一つによっておまえは巨大な聖堂や宮殿をたて、馬車にのり、肉体のすべての要求をみたすことができる。もう一つによって、おまえはレンガやタイルや、みごとは像や、その他さまざまのものをつくることができる。しかしどちらも、感覚の楽しみ以外の何をもたらすことができよう。どちらも物質だから、人をそれ以上のところにつれて行くことはできない。みずからが有限のものであるから、人を無限者にまでみちびくことはできない。おまえはどうして、むなしくもそのようなものをほしがるのか。それらは両方とも、おまえにとってはおなじものだと思え」
このことをくりかえし瞑想して、彼の心は、両者はおなじものだ、という思いにつよく印象づけられました。彼は最後に、この二つをガンガーの水中になげこみました。これは単なる知的確信ではなかったのだ、ということを忘れてはなりません。全心全霊をあげての、真の放棄だったのです。放棄は、彼の性格の支配的な特徴でした。それ以後、貨幣にふれればかならず、彼のゆびは硬直するか、麻痺するのでした。あるとき、彼が出かけている間に誰かが、彼の寝台のマットレスの下に一枚の貨幣を入れておきました。帰ってきたとき、彼はその上にすわることができませんでした。それがとりのぞかれるまで、寝台は彼にとってイバラのねどこのようだったのです。
霊性の道の途上に彼が見たもう一つの障害は、性の観念でした。明知を得るためには、この動物的本能は心からのぞかれなければなりません。綿密な識別によって、彼はそれらを、骨と肉のたばと見ました。
すべての人間関係にともなう感情の中で、子供の母親に対する感情ほど純粋でけだかいもの、きよらかで私心のないものはありません。ですからそこには、人が肉欲を脱するたった一つの道があり、それはすべての女性を母として ― 神聖な母性にあらわれとして見ることです。彼はきびしい修行をつづけることによって、みずからをこの知識と経験に定住させました。彼は彼みずからの妻をさえ、ほかの光で見ることはできませんでした。
エゴイズムの征服
彼は、エゴイズムを征服することをはじめました。脱却することがもっともむずかしいものです。エゴイズムはバンヤンの木のように、何回切られても、あとからあとからと芽を出します。彼は、このエゴイズムが自分をふとらせて、彼の信仰にくいこむのを見ました。
彼はみずからに問いました、「この『私にと、私の』という思いは何か。誰がつねにほこらしげに、私は誰それの息子であるとか、私がこれをするとか、あれをするとか、私はこんなに信仰がふかい、私にならぶような人がいるものか、彼らは私をしらないのかとか、これは私の土地だ、私の家だ、私の財産だ、などと言うのだろう。この『私にと、私の』というわるいやまいは、つねにわれわれをなやませ、心のおちつきと平安をみだしている。これは根絶されなければならない」と。
彼は努力に努力をかさねました。しかしこの想念は、たやすくはのぞかれませんでした。彼は、この想念は無知のゆえにのみ存在するものだ、ということを知りました。知識がめざめたときにはじめて、「私にと、私の」は「あなたにと、あなたの」にところをゆずるのです。すなわち、「私」という観念は、そのせまいあなをでて、不変の私、つまり自己にひろがるのです。そのときには、そこに「私」以外には何もありません。私がすべて、つねにいたるところに私があります。これが知識の「私」です。彼が未熟の「私」、無知の「私」とくらべてつねに言われたように、熟した「私」なのです。
ついに彼はせまい自己を実に完全に克服されたので、自分のことをはなされる場合には、一人称単数または一人称単数の所有格をつかうことができなくなられました。私のからだ、と言うかわりに、いつも、このからだ、とおっしゃるのでした。「私はこれこれをしたい」と言うかわりに、「母がそう思し召す」と、「ぜひ私のところのおいで」と言うかわりに、「ぜひここにおいで」とおっしゃいました。「私」という観念があたまをもたげるたびに、彼はそれにつよい一撃をあたえられるのでした。
あるとき、金持ちの弟子が師に上等のショールを上げ、自分でそれを彼の肩にかけました。数分後に、彼がおどろいたことに、シュリ・ラーマクリシュナはそれを泥の中になげすて、彼自身に向かって、「これでおまえ、たしかに奉仕を受けただろう。エゴイズムのおろか者よ」とおっしゃいました。
真の教師
彼は決して、自分では人びとの教師という姿勢はとられませんでした。それでも彼は、世界のもっとも偉大な教師たちの一人でした。彼は決して、人びとが教えをうけようとして彼のもとに来たとは思っておられませんでした。もし誰かに、教えることをしいられると、まるで子供のように、「私が何を知っているか。私はただ、私の母がいらっしゃるということと、私は彼女の子供だ、ということを知っているだけだ」とおっしゃるのでした。もし誰かが何かを言うとすれば、「私の母がこうおっしゃる」とおっしゃいました。もし誰かが彼の前で、師とかグルとか呼ぶと、彼は非常に当惑なさいました。そのような人びとをせめ、「誰が誰のグルなのか。主がすべての人のグルであられるのに」とおっしゃいました。
説法する人は、まったく教師意識を持っていない人でなければなりません。人を堕落させるのは、プライドとうぬぼれです。シュリ・ラーマクリシュナが強調されたもう一つの点は、教師は説法をこころみる前に、主から委託を受けなければならない、ということでした。彼は、自分の背後に完全な信任状を持っていなければならない。そうでないと、彼の教えは永続的な結果をもたらさない、言葉の浪費となる、とおっしゃいました。
彼はいつもおっしゃいました、「たった一人の警官が、やすやすと暴動をしずめることができる。政府からあたえられた、権威のあるバッジをつけているからだ。そのように、教師は神からあたえられた権威のバッジを持っていなければならない。それではじめて、彼は抵抗なくうけいれられるのだ。彼は決して、説法がたねぎれとなることはない。彼の知識のたくわえは、つきることがない。彼は知識の無限のみなもとからインスピレーションを引き出すのだから」と。
彼は自己宣伝をおきらいになりました。それについてよくこうおっしゃいました、「一人分しか用意していないのに百人を招待するようなものだ。花は満開になってもハチをよびにには行かない。ハチは自然にやってくる。真の教師は、きき手をさがしにはゆかない。きき手は自然に彼のまわりにあつまってきて、教えをこうのである」と。これが真の説法であり、このことはシュリ・ラーマクリシュナの生涯の中で十分に例証されました。
シュリ・ラーマクリシュナは、人がヴィシュヌの信奉者であろうあ、ラーマ、カーリ、または、キリストの信奉者であろうが、そのようなことは意に介されませんでした。彼は人を、ハートの誠実さの程度によって判定なさるのでした。彼は人が何を信じていようと、または信じていまいとにかかわらず、また彼が罪びととして見くだされている人であってもそのようなことにはかかわりなく、ただ、彼が誠実であるかいなかだけをごらんになりました。
彼は決して、罪びとを罪ありときめつけるようなことはなさいませんでした。また、彼にわるい習慣をただちにやめよと命じるようなこともなさいませんでした。彼には、すぐにはそんなことはできない、ということを知っておられたからです。ただ、ときどきここにこい、とすすめられました。きよいまじわりの影響によって彼もやがてはあらためるであろうからです。
彼は、他者の意見は、わらくずほども気にはなさいませんでした。真実、単純な真実を、彼はかたられるのでした。彼は、勢力のある人または有名な人のあやまちでも、好む好まれぬにかかわらず、指摘なさいました。利己的な動機をまったく持っておられなかったからです。自分の弱点とたたかっているまじめな人は、それを指摘されてもけっしておこりません。それをおこるのは、うぬぼれと高慢に欺かれている人びとだけです。彼が何にもまして賞賛なさったのは、誠実さでした。誠実であれ、これがただ一つの、弟子になるための資格です。
彼のもとに来た人びとに対する彼の関係は、この上も上もなく甘美なものでした。ひとりひとりに対する、彼の、すべてを抱擁する愛は、ほんとうに神的なものでした。彼の目には、あらゆるものが生命と意識にみちているのでした。ときどき、彼は花をつむことさえおできになりませんでした。そして誰かが草をふんであるいているのを見て、いたみを感じられました。
彼は謙遜の権化であられました。彼はこの徳を毎日のように、始終彼をおたずねしていた人びとすべてに教えられました。師がごあいさつを下さる前に自分の方からごあいさつをした、と言って自慢することのできた人はひとりもいませんでした。あるとき、カルカッタのある有名な医師が、病人を往診するようたのまれてドッキネッショルに来ました。かえりみち、彼はラーニ・ラーシュマニの寺院の境内をぬけて、ガンガーのほとりを散歩しました。
すずしい夕方の空気の中にさまざまの花がさいていました。医師は近くをあるいておられるシュリ・ラーマクリシュナを見ました。そこの園丁だと思って、彼は師に、いくらかの花をつむよう命じ、師はただちにその命令にしたがわれました。何年かののち、この医師がシュリ・ラーマクリシュナののどのやまいを診察すべくまねかれたとき、彼はどんなにおどろいたことでしょう。かれはおどろいてさけびました、「私にわざわいあれ! 何ということをしたものだろう! このお方に花をつんでくれと命令したとは」と。
スワミ・ヴィヴェーカーナンダのことば
シュリ・ラーマクリシュナの教えについて、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは言います、「これが、現代世界に対するシュリ・ラーマクリシュナの教えである、『教理などを気にするな。教義とか、宗派とか、教会とか、寺院などを気にするな。それらは、各人の存在の本質、すなわち霊性とくらべたらとるにとらないものである。そして人の内部でこれが成長すればするほど、その人は永久にもっと強力になるのだ。まず、それを獲得するようにせよ。そして、他を批判してはいけない。すべての教義、すべての信条が、何かはよいところを持っているのだから。
あなたの生き方によって、宗教はことばでも名前でも宗派でもない、それは霊性のさとりである、ということを示せ。感じた人びとだけが、理解する。霊性に達した人びとだけが、それを他につたえることができる。人類の偉大な師となることができる。彼らだけが光の天使である』
「一国にこのような人が多く生まれれば生まれるほど、その国はもっと向上するであろう。そのような人がひとりもいないような国は破滅するにきまっている。なにものもそれを救うことはできない。それゆえ、私の師が人類に与えたメッセージは、『霊的であれ。そしてみずから真理をさとれ』というものであった。……放棄とさとりのときはきた。そうすれば、あなたは世界のすべての宗教の間に調和を見いだすであろう。あらそう必要はまったくないことを知るだろう。そうしてはじめて、あなたは人類をたすけることができるだろう。すべての宗教は、その根底において一つである、ということを宣言し、それをはっきりさせるのが、私の師の使命であった。他の教師たちは彼らの名のつけられた特定の宗教をおしえた。しかし、十九世紀のこの偉大な教師は、彼みずからのためには何の主張もしなかった。彼はどの宗教も、かきみだすことはしなかった。彼はそれらをさとっていたからである。実は、それらはすべて、唯一永遠の宗教の重要部分なのである」
シュリ・ラーマクリシュナの教え
「ある父親が、二人の息子をつれて野原をよこぎっていた。一人は父親の腕にだかれ、もう一人は父親の片手をにぎって、彼といっしょにあるいていた。彼らはたこが上がっているのを見た。あるいていた子はよろこんで父親の手をはなし、『お父さん、ごらんなさい、たこが上がっています』と言いながら、手をたたいた。
「しかし、父親からはなれたのでつまずいてころび、けがをした。父親にだかれていた子供も手をたたいたが、父親がささえていたから無事であった。前者は自力ですすもうとする宗教生活をしめし、後者はおまかせ、つまり帰依の態度を示している」
ある信仰ふかい男が、何年間もじゅずをくってイシュタのおん名を心の中でとなえていた。師は彼におっしゃった、「おまえはなぜ、一カ所にしがみついているのか。まえにすすみなさい」と。信仰ふかい男はこたえた、「彼の恩寵がなければそれはできません」師はおっしゃった、「彼の恩寵は、夜ひるおまえのあたまの上をふいている。もし、人生の大海をよぎってはやくすすみたいとおもうなら、自分の船の帆をあげなさい」と。
「ある弟子が、彼のグルの無限の力を信じて、ただ彼の名をとなえただけで、河をあるいてわたっていた。グルはこれを見て、『なんと、私の名前にはこんな力があるのか。私はたいそう偉大な者であるにちがいない』と思った。翌日、彼みずから、『私、私、私』ととなえながら、その河をわたろうとしたが、水中に足をふみ込むやいなや沈んで、おぼれてしまった。信仰は奇跡をとげるが、見栄とうぬぼれは、人の死である」
「神の愛の海ふかくとびこめ。あおそれるな。それは不死の海である。私はあるとき、ナレンドラに言った、『神は甘露水の海のようなものだ。おまえはその海にふかくとびこむか。私の子供よ。もしそこに砂糖水をたたえた鉢があり、おめはそれをのみたいと思っているハエであるとしたら、どこにとまってそれをのむか』
「ナレンドラは、自分はふちにとまってのむ、もし中におちたら、おぼれて死ぬにきかっているから、とこたえた。それで私は彼に言った、『私の子供よ、おまえは、もし神の海にとびこんでも、あぶないことも死ぬこともない、ということを忘れている。サチダーナンダの海は不死の海であって、永遠につづくいのちの水にみたされているのだ、ということをおぼえておいで。一部のおろかな人びとのように、神を愛してゆきすぎることがある、などとおそれるではない』と」
「バクティは、貞淑な妻が夫にささげるような、神への全心をかたむけた帰依の心があってはじめて生まれるものである。純粋なバクティは容易には得られない者だ。バクティでは、心もたましいも神に没入しなければならない。それから、バーヴァがくる。バクティのもっと高い境地である。バーヴァでは、人はことばをうしなう。呼吸はしずまる。クンバカ、すなわち吸ったいきがそのままたもたれる、ヨーガの一境地――がおのずから生まれる。人が的に向かって矢をつがえたとき、口がきけなくなるほど、いきがとまる。ちょどそのような状態である」
「彼自身の思いのぬすびとでない人、そのような人だけが、天の王国に入ることができる。言い替えれば、まっ正直と、素朴な信仰が、その王国への道である」
「この世界は神のもの、あなたのものではない、ということをよく知れ。あなたは、彼の思し召しを実行するために来た、彼の召使いであるにすぎない」