シュリ・ラーマクリシュナ生誕祝賀会の講話
シュリ・ラーマクリシュナの生涯
一九八五年二月二十四日
第一部
誕生と少年時代
シュリ・ラーマクリシュナは一八三六年二月十八日、インド西ベンガル州フーグリー地方にあるカマルプクルという一寒村に生まれました。彼の父シュリ・クディラーム・チャットパッダーは非常に信仰が深く、かつて誠の道を踏み外したことのない人でした。彼は村の暴君的な地主から一小作人に不利な証言をするよう頼まれたのを断わったために、祖先伝来の家と土地とを捨てて、そこを去らなければならなかったのです。自分の宗教のきびしい戒律のすべてをよく守り、大方の時を祈りと瞑想に費やしていました。母親のシュリマティ・チャンドラマニ・デヴィは心の温かい正直な人でした。クディラームはあるとき聖地ガヤを訪れ、そこで不思議な夢を見ました。主ヴィシュヌが彼の前に現れ、彼の子として生まれることを約束されたのです。彼の母もやはり神の子の誕生を告げるヴィジョンを得ました。その夢を記念して、子供はヴィシュヌ神の一つの呼び名であるガダーダルと名付けられました。ガダーダルはシュリ・ラーマクリシュナの幼名でした。
ガダーダルは健康で少しもじっとしてはいず、陽気でかわいいいたずらっ子に成長しました。彼は聡明で、非凡な記憶力に恵まれていました。村の学校で読み書きを習ったのですが、彼の学業はあまり進歩しませんでした。彼の喜びは、ヒンドゥの神話や叙事詩の物語の朗読に耳を傾けることでした。絵を描くことが好きで、また村の陶工たちから、神々や女神たちの像を造ることを学びました。
六歳か七歳の時、シュリ・ラーマクリシュナは霊的恍惚状態の最初の経験をしました。ある日、彼は、ふくらし米を食べながらたんぼ道をひとりで歩いていました。空を見上げると、美しい真っ黒い雷雲が急速に立ちこめ、やがて真っ白な鶴の群れが過ぎて行きました。そのコントラストの美しさに少年は圧倒され、意識を失って地に倒れたのです。彼は後に、自分はその状態の中で、言葉に尽くし得ぬ喜びを経験した、と言っておられます。
九歳の時にシュリ・ラーマクリシュナは父を失いました。この出来事は家全体に暗い影を投げ、少年を考え深くまじめな子にしました。初めて、地上の生命ははかないものである、ということを悟ったのです。彼はよく人知れず、たったひとりで近くのマンゴー林や火葬場に行き、いつまでも思いにふけっていました。前よりも一層つよく母を慕い、家事を手伝ったり、家の礼拝堂での祭祀を助けたりしたりしました。母の悲しみを少しでも軽くし、その憂鬱な生活にできる限り喜びと慰めを吹き込むことを自分の義務と思っていました。前よりももっと心を入れて宗教的な物語を読んだり聞いたりしました。この村に宿を求める遍歴僧たちや巡礼たちに興味を持つようになりました。彼らから、神話の中の物語や予言者たちの話や彼ら自身の冒険の物語を聞きました。少年はさまざまの形で彼らの奉仕し、彼らの礼拝や瞑想をじっと見ていました。
シュリ・ラーマクリシュナはこの頃に聖糸を授与され、家の祭神のお祀りをする事を始めました。いまや、この儀式の一環として、最初の、瞑想の訓練が始まりました。このときにすでに、黙想中に外界の意識を失うという傾向が見られました。子供らしい快活さのかげに霊的な性質が深まって行きました。
主シヴァを祀る吉祥の日の夜、村で芝居が催されることになりました。主役シヴァを演じるはずの役者が突然病気になり、シュリ・ラーマクリシュナが代役を勤めるように頼まれました。扮装をすると、彼は生きたシヴァの像のように見えました。舞台に上ると、深くシヴァの思いに沈潜し、トランス状態に入りました。普通の意識に戻ったのは翌朝でした。
カルカッタに来る
十七歳のとき、彼はカルカッタに来ました。カルカッタは当時インドの首都であり、彼の兄がそこでサンスクリットの学校を開いていたのです。彼はその町で、何軒かの家々の家の神の神主をつとめました。兄は、家の伝統を守って学問を続けるよう説得したのですが、少年は、「兄さん、ただパンを得るためだけの学問をして何になりましょう。私はむしろ、あの、私のハートを照らし、性急に私を満足させてくれる知恵を得たいと思うのです」という、生気に満ちた、また意味の深い返事をしました。彼は、叡知を欠き、ただ名声や力や金を得ることに汲々としている世間一般の、学者といわれる聖職者たちを見ていたのです。高貴な理想を持たぬ、単に知的な学者たちについて、彼は後にこう言われました、「彼らは禿鷹のようだ。霊性の修行を欠いた知識という翼にのって高く飛んではいるが、目は常に、富と名声という腐肉に向けられている」と。
最初のヴィジョンと悟り
シュリ・ラーマクリシュナの生涯は、カーリという名で現われている宇宙の母なる神を祀るダクシネシュワルの寺院で神職として働き始めたとき、一つの転機を迎えました。女神の石の像の前にすわって、彼はしばしば考えました、「この中には神がみちておられるのだろうか。それとも、いつからとも知れぬ昔から、無数の信者が拝んではいるけれど、生命も心もない、単なる石にすぎないのだろうか」と。時折、一種の懐疑主義が心に入り込み、そこを深い苦悩で満たしました。しかしもって生まれた直感が、感覚の楽しみの対象のうつろいやすい、現象世界の背後にある、もっと深い実在の存在を彼に示しました。彼は神を、われわれが心をこめてお願いしさえすれば、いつでも慈悲深く神的な叡知をお恵みくださる、われわれの永遠の母として心に描きました。何日間か、彼は聖典の命じる通りの儀式を行なって、女神カーリを礼拝しました。しかし、ただ機械的に宗教上の慣例を守だけで満足していることはできませんでした。神のヴィジョンを熱望したのです。
彼は瞑想と礼拝とに長い時間を費やし、深い感情をこめて賛歌をうたいました。神を悟ることだけがシュリ・ラーマクリシュナの唯一の情熱となり、彼はほとんど食を絶ち、夜も全く眠らなくなりました。母なる神のヴィジョンを拒まれたといっては、子供のように涙を流して泣きました。しばしば、思わず叫ぶのでした、「おお、母よ、どこにいらっしゃるのですか。お姿を見せて下さい。私が悪い子だから来て下さらないのですか。私はあなただけが見たいのです、母よ」と。彼はおちつかなくなりました。ある日、たえがたい苦悩に、ハートが絞られる濡れタオルのように感じられました。彼は聖所にかかっている剣を取ってまさにわが生命を絶とうとしました。この瞬間に、母カーリのヴィジョンを得たのです。彼は意識を失って倒れました。そしてハートの奥底で、彼女の存在と、濃厚な至福の流れを感じました。
これは、やがてやって来る、強烈な経験の一つの予告に過ぎませんでした。このヴィジョンの後は、彼の振舞いは母親のそばにいる幼子のそれのようになりました。もっともっとヴィジョンを得たいと切にねがい、まもなく、肉眼を開いたままで生命に息づく母なる神を見るようになりました。彼女は輝くような微笑をたたえ、彼の上に恩寵を雨降らせました。彼はもう彼女を見るのにトランスや瞑想を必要としなくなったのです。石の像は永久に消え去り、母カーリがときどき彼に話しかけ、彼を導かれるのでした。彼は眼前に、この上もなくはっきりと、しかも強烈に、愛する母が生きてましますのを見ました。シュリ・ラーマクリシュナは熱狂的な法悦の境地にあり、絶えず、神に酔ったスリルを経験しました。
この時期のことに触れて、シュリ・ラーマクリシュナ自身、このように言っておられます、「一つの境地を超えたと思うと、別の状態がまたその状態に取って代わった。……パンチャヴァティで、肉体は完全に不動となり、外界の意識を全く失って、深い瞑想にすわっていたものだった。……私は時間の観念も失い、肉体の感覚も持ってはいなかった」と。人々の目を避けるために、彼は寺院の北の部分の樹木の繁っている辺りに、彼自らの瞑想のために一つの場所を設け、そこに五本の神聖な木を植えました。パンチャヴァティと呼ばれるその場所は、彼のさまざまのヴィジョンの場となりました。霊性のムードが深まるにつれて、彼は自らを母なる神の子どもと感じました。彼は、自らを完全に彼女の意志に任せることを学びました。絶えず、母に祈ってこう言うのでした、「私はあなたのおそばに避難しました。何をすべきか、何を言うべきか、教えて下さい。どこにいても、あなたの思召しが最高であり、子供たちのためになるものなのです。私の意志をあなたの意志にとけ込ませ、私をあなたの道具にして下さい」と。
シュリ・ラーマクリシュナは、この世の一切物になっておられるのは母なる神であるということを悟りました。母は彼に一切のものは意識に満ちているということを示されたのです。神像には意識がありました。祭壇にも意識がありました。水瓶も意識を持っていました。彼は、室内のものが至福に、神の至福に満たされていることを感じました。彼はカーリ神殿の前によこしまな人がいるのに気づきましたが、その人の内にも神の力が息づいているのを見ました。
シュリ・ラーマクリシュナは、たた一つの形の修行では満足しませんでした。ヒンドゥイズムがその歴史上のさまざまの時代に人々に命じてきた形式のほとんどすべてを、つぎつぎに実践しました。それゆえ、彼はその一生涯の中でインドの過去の霊的理想と歴史の全部を表現したと言われています。普通はひとりの修行者が一つの形式を取り上げ、もしそれによって修行を成就することができれば非常に恵まれたこととするのであります。しかしシュリ・ラーマクリシュナは数えきれぬほどさまざまの形の修行を実践し、その各々の場合に、信じられぬほどの短期間内に成功を収めました。そのうえ、ヒンドゥイズムだけでなく、マホメット教も実践し、キリスト教の真理も悟りました。彼は、彼の身体の中にとけ込むキリストのヴィジョンを見たのです。このように彼は、自らの実地の体験を通じて、すべての宗教が真理であること、根本においてはそれらの間に何のちがいもないということを悟ったのでした。シュリ・ラーマクリシュナはブッダが神の化身であることを認め、常に彼の教えとの教えとが同じものであることを指摘しました。
生涯の最後の数年間、彼は通常意識の世界よりむしろ、超越意識の世界に多く住んでいました。絶えず無限者に同調し続けていました。たとえ僅かでも霊的な観念を連想させるものは、彼の心を法悦の状態に投げ込み、彼はこの世のことも自分の身体のことも忘れてしまうのでした。世俗の思いを抱くことは全く不可能、というのが彼の心の状態でした。彼は放棄、離欲の権化でした。何かの拍子に指が銀貨か銅貨に触れても、彼は非常な痛みを感じるのでした。貨幣は感覚の楽しみを求める人間の欲望を示すものだからです。この世に住んでいても、彼の心は世俗の到達圏外にあったのでした。彼の心はヴィジョンと法悦の喜びと、神々の交流に没頭していました。
彼のような偉大な霊的人格が、人に知られぬままでいるはずがありません。霊感を求めて、またはもっと深い人生の問題の解決を求めて、人々は彼のもとに群がり始めました。さまざまの身分、職業に属する人々があとをたたずに集まって来るようになりました。そして、彼の導きによって完全な変容を遂げ、神に向かうようになった信者は数知れません。彼は一団の弟子たちを、彼の将来の使命達成のために働くよう、特に心を用いて訓練しました。彼は一八八六年八月十六日、世を去りました。ホーリーマザーの導きのもとに、かの優秀な弟子スワミ・ヴィヴェーカーナンダはシュリ・ラーマクリシュナの普遍のメッセージを世に伝えるべくラーマクリシュナ僧団を設立しました。
シターのヴィジョン
この頃に、彼は主人に対する召使の態度を取って神を礼拝することを始めました。ラーマーヤナにでて来るサルの頭領ハヌマーンのムードに従いました。ハヌマーンは主ラーマの理想的な召使とみなされ、無私の信仰の、古来の典型であります。彼はハヌマーンを瞑想し、果物と根菜で生命をつなぎました。サルのように、歩く代わりに跳び回りました。まもなく、彼はラーマの神聖な配偶者シターのヴィジョンを恵まれました。彼女はシュリ・ラーマクリシュナの体内に入って、「私はあなたに、私の微笑を残して行きます」という言葉と共に姿を消しました。
信仰の生活はふたつの種類に分けることができます。一つは準備段階の信仰と呼ばれる、儀式の段階であって、もう一つはすべての規則や儀式を超越した、最高の信仰です。シュリ・ラーマクリシュナは今やこの最高の境地に到達し、従って、もはや儀式的な礼拝を執り行うことはできませんでした。彼はいたるところに母なる神を見、神に酔いしれた状態にありました。誰ひとり、彼の神的な酩酊の意味を理解せず、人々は、彼は気が狂ったのだと思いました。身内の人々は、結婚すれば彼の心も普通になるだろうと言いました。シュリ・ラーマクリシュナは、結婚を承諾しました。彼はいま二十四歳、花嫁は六歳、実際は婚約でありました。
タントラの修行
シュリ・ラーマクリシュナは結婚式後、再び霊性の修行と悟りの中に身を投じました。タントラの修行の熟達者である一人の尼がダクシネシュワルに来て、すぐに、シュリ・ラーマクリシュナの恍惚状態の神的なものであることを認めました。彼女は、シュリ・ラーマクリシュナが、時折サマーディ、すなわち超越意識を経験し、ときどき半意識の状態にとどまっていた、この前の化身(シュリ・チャイタニヤ)とそっくりであるということを指摘しました。この尼が、シュリ・ラーマクリシュナにタントラ派のさまざまの修行を教え、導きました。シュリ・ラーマクリシュナはさまざまの面から神を見たいと思っておられましたし、その上に、彼はさまざまの信仰の中で普及しているさまざまの霊的修行の効果を証明されるべき人でしたから、熱心に彼女の指示に従われました。
タントラの教えによると、究極の実在は意識すなわちチットであり、それは同時にサットであり、アーナンダです。つまり存在であり、至福であります。究極の実在サチダーナンダ、すなわち絶対の存在、知識、至福は、ヴェーダが説く実在と同じものなのです。人はつまりこの実在なのですが、マーヤーすなわち無知の影響によって、自分の本性を忘れたのです。彼は主体と客体の世界を実在の受取り、この誤りが、彼の束縛と苦しみの原因となっているのです。霊性の修行の目標は、自分が本来、この神的実在と一体であるということの再発見なのです。
タントラの道は、人間が持って生まれた弱点、世俗の事物に対する低い欲望、執着を考慮に入れています。それは、哲学と瞑想を儀式に結びつけ、徐々に求道者を、自己が究極実在であることが自覚できるように訓練するのです。それによって感覚対象が霊化され、感覚的欲望が神への愛に変容されるような、神秘的な儀式が命ぜられています。求道者は、女性を女神カーリ、すなわち宇宙の母の権化と見ることを学ぶのです。タントラの根底はまさに、神を女性と仰ぐことです。資格を具えた師の助けが絶対に必要であって、儀式は非常に難しいものですから、ふさわしくない求道者は道を誤る恐れがあるのです。
母なる神の命によって、シュリ・ラーマクリシュナはこの尼、バイラヴィ・ブラフマニーと呼ばれる人を師として受け入れ、この困難な修行を行なわれました。彼は六十四のタントラ教典のすべてを実践し、各々の修行を完成するのに三日間以上は決して費やされませんでした。常に、いくつかの前置きの儀式が終わると神的白熱状態に圧倒され、サマーディに入ってしまわれるのでした。全世界のそこにある一切のものは、リーラーすなわち母なる神の遊びと見えました。シュリ・ラーマクリシュナは、一切所に母の力と美しさとを見ました。悪は、彼に取っては存在しないものとなりました。生あり、また生なき一切のものが、彼には、チットすなわち意識で満たされていると見え、アーナンダすなわち至福で満たされていると見えました。彼は多くの霊的ヴィジョンを得、クンダリニ・シャクティ、すなわち「蛇の力」の目覚めを経験されました。
ヴィシュヌ派の修行
タントラの修行を終わると、シュリ・ラーマクリシュナの注意はヴィシュヌ派の方に惹かれました。ヴィシュヌ派の信者というのは、「すべてを維持する」最高神、ヴィシュヌの崇拝者のことです。ヴィシュヌ神のさまざまの化身たちの中で、最も大勢の信者がいるのはラーマとクリシュナです。ヴィシュヌ派は完全にバクティすなわち信仰の宗教です。この派の教えによりますと、いかなる贖罪も苦行も儀式も、信仰がなかったら無益なのです。人は自力の行だけで神を悟ることはできません。神のヴィジョンを得るためには神の恩寵が絶対に必要であり、しかもこの恩寵は、浄らかな心によってのみ受けることができるのです。心は信仰によって浄められます。ヴィシュヌ派の心理学によれば、神は信者の、親、主人、友、子供、夫または恋人として仰ぐことができ、この順序は愛の強度を示しています。
親の態度(神を子と見る)の深い信仰を持つ一人の遍歴僧が向こうから、ダクシネシュワルにやって来ました。まるで、神の計画を実現させるかのように、さまざまの教師たちが、まさに必要なときにシュリ・ラーマクリシュナのところにやって来るのは不思議なことでした。シュリ・ラーマクリシュナは、親の態度――つまり僧が神をわが子として愛するのです――の信仰に導かれました。彼はシュリ・チャンドラをゴパール・ラーマとして、幼な児として悟られました。神が子供の姿を取られ、シュリ・ラーマクリシュナは自らをその子の母と見られたのです。シュリ・ラーマクリシュナは霊的経験によって、ダシャラタ王の子として化身されたラーマは、一切所に遍在する霊であるということを悟っておられました。彼は宇宙の創造者、維持者および破壊者であり、更にもう一つの面では、彼は、形も性質も名も持たぬ超越的ブラフマンなのです。神霊が一つの姿を取るのは、それがその形だけに限定された、という意味ではありません。ただ、特定の形を通じて、神の恩寵、神の力、浄らかさ、および愛が、彼のまします処に現われたのです。神はすべてのものに内在する自己です。人間が神の実在を、神の愛と恩寵を、そして神の知恵を完全に信じることができるよう、彼の慈悲と愛と清らかさを特別に現わすために、神が、特定の人間の姿を選ばれるのです。そうでないと、無限なる神がどういう存在であるかを理解することは、人間の心にとって非常に難しいことなのですから。
ラームチャンドラを神なる幼な児として礼拝する内に、シュリ・ラーマクリシュナのハートは母親らしい優しさでいっぱいになり、彼は自分を女性と見なし始めました。彼の言葉や身ぶりは変わりました。この間シュリ・ラーマクリシュナは、母なる神カーリの侍女として彼女を礼拝しました。
シュリ・ラーマクリシュナはすぐに、愛人としてのシュリ・クリシュナとの結合を自覚しました。彼は自らを、神なる恋人を慕って熱狂した、ブリンダーバンのゴピーたち、つまり牧場の乙女たちの一人と見なしました。昼も夜も、ひどく泣きながら、飲食を忘れてシュリ・クリシュナのヴィジョンにあこがれました。まもなく、彼は、シュリ・クリシュナの神聖な配偶者シュリ・ラーダーのヴィジョンを得ました。シュリ・ラーダの姿が彼の身体の中に消えるのを見、かつ感じたのです。シュリ・ラーマクリシュナのハートは、シュリ・クリシュへの忘我の愛に満たされました。彼は自分の個人性も世界も完全に忘れました。彼自身の内部にクリシュナを見ました。このようにして、シュリ・ラーマクリシュナは人格神礼拝の完成に達したのです。
シュリ・ラーマクリシュナの生涯には、神に対する十九種の感情が現わされました。バクティ派の書物は、この結合を、マハーバーヴァ、すなわち神への最高の愛と呼んでいます。普通の人は、これらの感情のたった一つでも現わすのに、一生涯を必要とするのです。シュリ・ラーマクリシュナの愛の深さと多様性は彼の超人的な性質を証明しています。
アドワイタの経験
少年時代彼、シュリ・ラーマクリシュナは、彼の家の神ラグヴィル信者でした。ダクシネシュワルに来て女神カーリの神職となったとき、彼は女神の信者となりました。このように、彼にとって信仰が、神に近づき、神を悟るための道でした。タントラとヴィシュヌ派の修行を試みた後は、これらは何れも信仰の原理に基づく教えですから、彼はまぎれもない信仰者となり、信仰の道に確固として信念を持つようになりました。
シュリ・ラーマクリシュナはそれでも尚、アドワイタ・ヴェーダーンタ経験を得なければなりませんでした。たまたま、信仰の道の修行の完成の後、一八六四年の終わりに近いころ、ダクシネシュワルにトタプリという名の一遍歴僧がやって来ました。彼がシュリ・ラーマクリシュナに、アドワイタ・ヴェーダーンタの哲学をもたらしたのです。この古代のヴェーダーンタのシステムは、究極実在をブラフマンと呼び、またサット・チット・アーナンダ、つまり絶対の存在、知識、至福とも言っています。ブラフマンのみが実在です。不滅の霊が、それ自らを、形を持ち、時間に支配される個体として現わしているのです。罪なき純粋な魂が、それ自身のマーヤーに催眠術をかけられて、喜びや悲しみを経験しているのです。しかしこれらの経験は非実在です。人はマーヤーを超え、ブラフマンの実在を悟ったときに初めて自由になるのです。自分は普遍の霊と一体であると知って、言い表されぬ喜びを感じます。そのときに初めて、人は不死を得るのです。
トタプリは、シュリ・ラーマクリシュナがヴェーダーンタを学ぶにふさわしい人であることを知り、彼に承諾を求めました。母なる神カーリの承諾を得て、シュリ・ラーマクリシュナは、アドワイタ・ヴェーダーンタを実践することを承知しました。彼は出家の誓いを立て、然るべき宗教儀式を行ないました。トタプリはさまざまの結論を教えました。トタプリは教師、シュリ・ラーマクリシュナは彼の弟子でした。師はアドワイタ・ヴェーダーンタの結論を教えました。彼はシュリ・ラーマクリシュナに、心をすべての対象から完全に退かせ、深くアートマンに沈潜せよと指示しました。シュリ・ラーマクリシュナは、世間のすべての対象からはやすやすと心を引っ込めることはできました。しかし彼は、輝くカーリの生きた姿がハートに宿っているのを見ました。それでどうしても、名と形を完全に超えることはできませんでした。トタプリは一つのガラスの破片をとってシュリ・ラーマクリシュナの眉間にそれを刺し、そこに心を集中するよう、求めました。きびしい決意を持って、彼は再び瞑想を試みました。このたびは相対の領域を超えることができ、まる三日間、完全にニルヴィカルパ・サマーディの状態にありました。トタプリは、新しい求道者が一日の内にゴールに達することができたのを見て驚きました。彼の場合には、サマーディに達するまでに四十年のきびしい修行を必要としたのです。二日の後に、トタプリは、シュリ・ラーマクリシュナの心を通常の段階につれて下ろしました。
シュリ・ラーマクリシュナはこの状態にその後六カ月間とどまり、その間に彼は、ブラフマン以外のいかなる客体も主体も思うことはできませんでした。母なる神カーリは彼に、その知識を来るべき弟子たちに授けることができるよう、相対世界の敷居のところにとどまれ、と指示されました。
イスラム教の修行
一八六六年の末に近く、シュリ・ラーマクリシュナはイスラムの修行に惹かれました。スーフィ派に属するある聖者の弟子となって、この修行を実践されました。シュリ・ラーマクリシュナは、回教徒の衣服を着け、アラーの名を繰り返し、回教修行者と同じ行を実践されました。彼はヒンドゥの神々も、カーリをも忘れ、寺院にも行きませんでした。三日の後、彼は光輝く人のヴィジョンを見ました。彼は、イスラムの聖典に書かれている通りの、属性を持つ、形のない神を悟られ、それから、ブラフマンに融合されました。このようにして、イスラムの道も、彼を、アドワイタの修行によってすでに到達していたゴールに導いたのでした。
キリスト教
一八七四年の十一月、シュリ・ラーマクリシュナはキリスト教を学びたいという抵抗しがたい願望に駆られ、聖書の朗読に耳を傾け始めました。彼はイエスの生涯と教えに非常に魅力を感じました。ある日、シュリ・ジャドゥナート・マリックの客間にすわっておられたとき、そこにマドンナと幼児キリストの絵がかかっていました。彼がそれをじっと見つめておられる内に、その姿が生気をおび、絵から放射する光が彼の身体に入りました。イエス・キリストが、彼の心の全部を占めました。三日間、彼はカーリ神殿を訪れませんでした。四日目に、パンチャヴァティの辺を歩いておられるとき、目の美しい、静かな表情の、色の白い人が向こうから、やって来ました。二人が向き合ったとき、シュリ・ラーマクリシュナの口から次のようにいう声が出ました、「キリストをご覧。世を救うためにハートから血を流し、人々を愛するが故に大きな苦しみを苦しんだキリストを。それは彼だ。神と永遠に合一しているヨギの王だ。それは、死の権化、イエスだ」と。イエスはシュリ・ラーマクリシュナを抱擁し、彼の中にとけ込みました。シュリ・ラーマクリシュナは、自分がキリストと一体であることを自覚しました。
すでにカーリ、ラーマ、ハヌマーン、ラーダー、クリシュナおよびブラフマンとの一体は悟っておられたのです。彼はサマーディに入り、属性を持つブラフマンと交流しました。彼はこのようにして、キリスト教も又、神の悟りに到る一つの道であるという真理を自ら経験したのです。彼はキリストも、ラーマチャンドラ、シュリ・クリシュナ、ゴウランガ、ブッダ等と同じく神の化身であることを信じました。
シュリ・ラーマクリシュナはブッダの神性を信じ、常に彼の教えとウパニシャッドの教えの似ていることを指摘されました。彼は又、ジャイン・ティルタンカラたち、シークのグルたちも深く尊敬し、これらの信仰も、細目おいては異なるところもあるけれども、実際にはヒンドゥイズムと同じであることを知りました。
結 論
シュリ・ラーマクリシュナは彼自身の直接経験が基礎となっていましたので、世界のさまざまの宗教理想について、権威を持って語ることができました。彼は言いました、「私はすべての宗教を実践した。ヒンドゥイズム、イスラム、キリスト教、そしてまたヒンドゥのさまざまの宗派をも実践した。そして、道はさまざまに異なっているけれど、到達点は同じ、唯一神であることを悟った。私は、人々が宗教の名で争っているのを見る。……各人が自らの道を進むがよい。もしその人がまじめに真剣に神を知ろうと欲するなら、彼は必ず悟るであろう」と。