シュリ・サーラダ・デーヴィ生誕祝賀会の講話
一九八六年一月二六日
人類歴史の中でわれわれは、一般にホーリーマザーと呼ばれているシュリ・サラダ・デヴィのような、覚者であり師である婦人には巡り合ったことがありません。過去にも、結婚をせず、全心全力を傾けて宗教の道をたどった偉大な女性の聖者たちはいました。若いときに結婚はしたが、やがて神を求めて家庭と身内を捨て、ついに神を悟った聖女たちもいました。その中のある人々は、不利な社会環境、家庭の事情と闘わなければなりませんでした。またある人々は神への信仰を全く持たない夫と共に暮らすという不幸な目にも会いました。また中には、夫と死別し、その後家庭生活のきづなを解かれた、という人々もありました。シュリ・サラダ・デヴィはその中の何れにも似てはいませんでした。
サーラダー・デヴィはまだほんの子供であった頃に、婚約されました。しかし、彼女とその夫はかつて世の常の生活をしたことはありませんでした。彼女は、偉大な使命をおびてこの世にやって来る女性の中でも他に類例を見ない人であります。彼女は神を母として悟り、その神を彼女自らの内部に、そして彼女の夫の中に見ました。彼女の夫シュリ・ラーマクリシュナ・デヴァは母なる神を彼自らの内に、そして彼の妻の中に見たのです。世界はかつてこのような夫婦を見たことがないし、彼らのような高い霊的経験を見いだしたこともありません。彼らは共に、男にとっても女にとっても、結婚した人々にとってもしない人々にとっても、僧にとっても尼僧にとっても、同様に道徳的完成のシンボルとなったのです。
ショダシ・プージャー
婚約の後、シュリ・サラダ・デヴィは十八歳のときに初めて、当時夫の住んでいたドッキネッショルにやって来られました。このとき、この聖なる夫妻の生活にとって記憶すべきことが起こりました。シュリ・ラーマクリシュナ・デヴァが彼女を祭神の座に据えて実際に彼女に礼拝の儀式を捧げられたのです。
(1)儀式 このことはパラパーリニ・カーリ・プジャーの日に起こりました。この日は、母なる神が信者たちのカルマを消して下さる存在として祭られる吉祥の日であります。師の部屋に祭祀の準備が整えられ、サラダ・デヴィは礼拝の時刻にそこに来るよう求められました。予備の儀式が終わると、彼はサラダ・デヴィに、祭神のために設けられた座にすわるよう求められました。それから、彼女の内に母なる神の降臨を求め、次の聖語を唱えられました、「おお、母なる神!永遠の乙女であられる御方、すべての力の主、すべての美のすみかよ!なにとぞお慈悲をもって私のために完成の門の扉をお開き下さい。この女の心身をきよめ、どうぞ彼女を通じてあなた御自らを現し、畏き御わざをお示し下さい」と。
それから師は、十六の材料を用いて、儀式の全過程を執り行われました。紅い絵の具をサラダ・デヴィの足のうらに塗り、その額にヴァーミリオンの印をつけ、彼女に新しい衣服を着せ、その口に少しばかりの甘味を入れ、最後に彼女の前で灯明を振ってアーラティを行われました。生来非常に内気であられたにもかかわらず、サラダ・デヴィはこれらの崇敬の表現のすべてをいささかもためらうことなく受納されました。これは彼女がこのとき完全に、祭神との一体感をもっておられたことを示しています。この礼拝中に、シュリ・ラーマクリシュナもサラダ・デヴィも恍惚とした、半意識の集中状態に入られました。それが終わるころには、二人とも超越意識の境地に入っておられました。礼拝する方もされる方も共に、その超越状態の中で彼らが一体であることを自覚されたのです。
かなりの時が経過した後に、師は外界の意識を取り戻されました。そこで彼は自らを完全に母なる神に委ねられました。一切を捧げ尽くす最高の行為の中で、彼自らの苦行の果実のすべて、彼のロザリー、彼自身および彼に属する一切のものを、彼の前に姿を現しておられる祭神に捧げられたのです。それから、次のマントラを唱えられました、「おお、女神よ!あなたの御前に、幾たびもひれ伏します。シヴァの永遠の配偶者、三つの眼を持つ、黄金の肌色の、すべての物に宿っておられる内在の霊、隠れ家の与えて、すべての目的をかなえさせる、すべてのめでたきものの中の最もめでたきものであられるあなた」と。
(2)意義 これら二人の偉大な人格の生涯における、この宗教的儀式の意義は非常に重要なものであります。シュリ・ラーマクリシュナにとって、これは、肉体に対する霊の勝利を意味し、またすべてのものの中に神を認めたことを意味しました。それは彼の霊性の修行が成功のうちに終りを告げ、彼が神人の境地に定住されたことのしるしでした。
ホーリーマザー、シュリ・サラダ・デヴィの生涯の中でもそれは深い意義を持つものでした。現代の神の化身、シュリ・ラーマクリシュナが彼女の内に母なる神の降臨を祈り求め、彼女を神として礼拝なさったとき、彼女は実際に、普通の女性から宇宙の永遠の母の境地まで挙げられたのでした。すべての男女に取っての生きた女神として、サラダ・デヴィは礼拝の対象になられたのです。すべての人のホーリーマザーになられたのです。
聖典の指示に従ってショダシ・プージャーのこの儀式を行われたことにより、シュリ・ラーマクリシュナは第一に、女神がすなわちサラダ・デヴィであることを認められました。第二には、彼の霊性の修行とその果実のすべてを彼女に捧げることによって、彼は彼女を事実上、彼の苦行と霊的達成の伴侶、協力者とされたのでした。
ときどき、ホーリーマザーはなぜ師ラーマクリシュナのような霊性の修行をなさらなかったのか、と尋ねられます。もちろん、彼女はシュリ・ラーマクリシュナの指導のもとに、また師の没後にさえも、多くの修行をなさいました。しかし、この疑問への真の答えは、このショダシ・プージャーの実行の中にあります。彼女に捧げられたこの礼拝の力によって、ホーリーマザーは、師の霊性の力と栄光の共有者となられたのでした。シュリ・ラーマクリシュナの霊性の片割れとして、彼女は同じ修行をもう一度行う必要はなかったのです。その上に、彼女は師の仕事を補い成就するための他の重要な役割を持っておられました。
(3)神の母性 シュリ・ラーマクリシュナの没後、ホーリーマザーは世を退き、主の思いに没頭しようとされました。シュリ・ラーマクリシュナはヴィジョンとして彼女の前に現れられました。彼は、ホーリーマザーは世に住み続け、ひろく人類に、神の母性愛を示すべきであると主張されました。
ホーリーマザーの生涯には母性の愛と忍耐と自己犠牲とすべての人に惜しみなく与えられる奉仕の態度が著しい特徴として見られます。この世の母親はこの感情を自分の生みの子か、自分にごく近い少数の者にだけ持つことができます。この理想の完全な実現は、無数の霊性の子供たちに限りなき愛と理解と庇護を惜しみなく与えることのできる、霊性の母親にして初めて可能なのであります。このような母親は、その子供たちが、若かろうが老いていようが、富んでいようが貧しかろうが、賢かろうが愚かであろうが、善人であろうが悪人であろうが、彼らの間に少しも差別をつけません。あらゆる人が、彼女の無私の愛によって祝福されるのであります。
また、この世の母親は、すべての子供たちに同じ愛、同じ形の心遣いや感情を与えることはできません。しかしホーリーマザーはその生活の中で、ふしぎにそれをすることができました。彼女の場合には、通りものの泥棒として世間から信用されず、嫌われていた回教徒の浮浪者アムジャドも、聖なる僧であるスワミ・ブラマーナンダジーと同等に彼女の愛の対象だったのでした。
伝統を重んじるブラーミンの寡婦であられたにもかかわらず、彼女は西洋人の信者の訪問者を、驚くべき深い愛と、社会の制約にこだわらぬ自由さとをもって遇せられました。彼女はシスター・ニヴェディターと共に暮らしただけでなく、食事を共にさえされました。このことは彼女の心の広さだけでなく、その積極的な愛を示すものです。母親のハートの中で、彼女は外国人の心を傷つけるようなことはしたくなかったのです。彼らもわが子であると感ぜられたのです。
あるときホーリーマザーは、ある外国製の布地をほしがっている知人に贈るために、その布地を買いたいと思われました。当時インドには強烈な反英感情が広まっていました。それを買うことを依頼された弟子は英国製の品は買いたがりませんでした。しかし彼女は、イギリス人も彼女の子供たちであって、彼女の大家族から締め出される理由はないのであるということを彼に言い聞かされました。この世界のすべての人が彼女の愛を期待することができたのでした。これらの行為は神聖な母の愛のおのずからなる現れだったのでした。
母の愛は、その人が愛されるに値するか否かは問題にしません。むしろ、値せぬ人々、弱い人々に向かってより多く流れます。アチャーリヤ・シャンカラは、母なる神への賛歌の中で、自分は多くの弱点を持っているがそれにもかかわらず彼女の恩寵を切望する、と言っています。アチャーリヤは心がけの良くない子供たちはいるかも知れないが、決して悪い母親はいないと言っています。これはホーリーマザーの生涯の中で繰り返し実証されていることです。彼女は、彼女の子供たちであれ誰であれ、相手の中に決して落度や悪を認めようとはしませんでした。彼女をお母さんと呼び、――世俗の事柄であれ、霊的助力であれ――およそ彼女に助けを乞いにやって来る者はことごとく彼女のふところに迎え入れられたのでした。
他者の欠点への暖かい理解は、彼女の性格の著しい特徴の一つでした。彼女は細心に他者の欠点を見ない修行をされました。そして完全に、善のみを見るという境地に到達されたのでした。彼女は悪を見る力を失われました。これが彼女のすべての者への海のような愛と同情の秘密でした。
ここに一つの実例があります。ある日、ホーリーマザーは師の処に食物を運ぼうとしておられました。師の部屋のそばに一人の婦人が立っていました。婦人はその日はお食事を運ぶ役を私につとめさせて下さい、と願いでました。ホーリーマザーは快くお盆をその人に渡されました。彼女が去り、ホーリーマザーが師を扇いでおられると師は彼女に、あの婦人が浄らかな生活をしている人ではないものだから、今日は食事がのどを通らないとおっしゃいました。ホーリーマザーは、ご自分もその事実を知っておられることを認め、しかし今日だけは何とかしてそれを召し上がって下さい、とお願いをなさいました。彼女がそのように懇願なさると、師は彼女に以後は決して私に食べさせるものをひとの手に渡すことはしない、と約束せよ、とおっしゃいました。するとホーリーマザーは、手にしておられたうちわを傍らに置き、てのひらを合わせてこう答えられました、「どうぞお赦し下さいませ。私にはそれはできません。もし誰かがマーと呼び掛けて私に何かを頼んで来ますと、私はどうしてもそれを拒むことはできないのでございます。しかしとにかく、できる限り召し上がりものは私が自分で運ぶように努めましょう」と。シュリ・ラーマクリシュナは即座に彼女の高貴な思いを理解し、そのことについてはそれ以上何もおっしゃいませんでした。彼は食事を続けながら彼女と他のさまざまのことについて話されました。
数え切れぬほどの人々が彼女のもとに来てイニシエイションを乞い、それに値する人もせぬ人も祝福を受けました。ホーリーマザーは、自分はそれらの信者たちの判別などをすべきではない、愛と理解を与えればよい、と感じておられたのです。彼女は、自分がイニシエイションを与えた信者たちの霊的責任をわが身に引き受けておられました。病床にあられた最後の日々においてさえ、夜遅くまで、彼らのためにジャパと祈りを行じておられました。
しばしば、罪に汚れた人々が彼女の御足に触れると、敏感な彼女は激しい苦痛を経験されました。しかしそれでも彼女はそれを拒むことはなさいませんでした。シュリ・ラーマクリシュナと彼女は神の大切な働きをなさる存在であり、彼らのもとに避難をした人々の罪のために苦しむべくこの世に生まれて来られたのである、という事実を、彼女は知っておられたのでした。
ホーリーマザーは、彼らは自らのためには何一つ成就すべきことはなく、彼らの生涯は、人々の悟りと救いのためのいけにえの捧げもの以外の何ものでもないのだ、ということを知っておられたのでした。ホーリーマザーの思いと行為が多くの信者たちの心とハートに深く入り込んだのはひとえに、彼女の神的な母性の、この贖罪的な愛のゆえでした。彼女の眼には、聖者も罪人も共に、内なる神性ゆえに貴い存在なのでした。
ヴリンダーヴァンに滞在中、彼女は祭神ラーダーラーマナにこう祈られました、「おお、主よ、人の中に落度を見ることがありませんように」と。彼女の祈りは文字どうりかなえられたのでした。彼女は常に、「他人の落度を見ることは相手を助けることはせず、ただ自分を堕落させるだけである」と言っておられました。
彼女の会話と教えは、われわれの宗教生活に量り知れぬ貴重な指示を与えます。彼女の教え方は、実にシンプルでしかも魅力のあるものです。マザーはしばしば、信仰の道を強調されました。彼女はこう言われるのでした、「バクティ、すなわち信仰だけが一切を成就することのできる道です」と。
あるとき、こう言われました、「私の子供よ、あなたが人として生まれることができたのはこの上もない幸せなのですよ。神を深く信仰なさい。人はできる限りの努力をしなければなりません。努力をしないで何を得ることができましょう。あなたは一日の一番忙しいときにもお祈りには幾らかのときを捧げなければなりません。ドッキネッショルにいた頃には私はずいぶん忙しかったのですが、それでもお祈りと瞑想は欠かしたことがありませんでした。」またこうも、「希望を失うことなく、お祈りをお続けなさい。一切のことはやがてかなえられます。」
彼女の生涯のエッセンスは、清らかさと、献身と、忍耐と、愛と、祈りとそして平安でした。