イエス・キリスト生誕祝賀会の講話

一九九一年十二月二十四日

 今日は、私たちにクリスマスの祝祭の到来を知らせる日です。世界中のクリスチャンは祈り、よろこび、多くのクリスチャンでない人びともそれにくわわります。キリストの教えはクリスチャンだけのためのものではなく、霊的向上と心の平安をねがう、すべての宗教的な人びとにとっても、ふかい意味をもつものです。今夕は、ごく簡単に、イエス・キリスト、人類の救い主とよばれていること偉大な予言者の、生涯と教えについてはなしましょう。

    国の一般情勢

 イエスは、ユダヤのパレスチナに生まれました。この国は当時、すでに長いことローマ人の支配に服し、堕落した状態にありました。ユダヤ人の知力は低下し、彼らはそのごくまずしい能力を悪用していました。たがいにねたみ、せめあい、頑迷で、まちがったプライドにみちていました。しかし、例外的な人びともいました。

 イエスは、大衆の中で道をときました。彼は改革の必要を、ユダヤ人みずからの心をきよめることの必要を感じたのです。政治問題には、イエスはほとんどふれませんでした。同胞に、宗教的な心と生活態度をとりもどさせたいと思いました。あたらしい宗教をもたらしたのではなく、ユダヤの宗教に、かつてのきよらかさを復活させたいと思ったのです。

 彼は、ふつうの大工の息子でした。民族の指導者たちは、彼の教師、また改革者としての態度に憤慨しました。ユダヤ人はラビという、彼らの教師たちを持っていたのです。彼らがおきてをさだめました。そのおきてにしたがわない者たちは、破門されたのです。社会的には、イエスは地位を持っていませんでした。彼の立場がどれほどむずかしいものであったか、彼の主張に人びとの耳をかたむけさせることがどれほど困難であったか、よくわかります。

 イエスは、彼の時代に定着していた風俗習慣とは反対に、生き、かつはたらかざるを得ませんでした。ラビたちの手中にあるユダヤ人の宗教は、その霊的な意味をうしなっていました。それは外面的な規則とおきての宗教となっていました。何もかもが、それらのおきてによって規制されていました。なにをしてもいけないという安息の日があり、飲み食いのおきてがありました。ある人びとはシナゴーグに入れるが、ある人びとは入ることができませんでした。

彼はこれらすべての習慣に反抗しました。おきてにあたらしい解釈を与えようとしました。人びとの生活を霊化したいと思ったのです。彼は死物化した民族のおきてや習慣にしたがうことをこばみました。批判や誤解や迫害に直面しつつこれをするには、莫大な勇気が必要だったのです。しかし彼は、どこででもどのような形ででも、またどのような目にあっても、神のお役に立つよう、完全に彼に身をまかせていました。

 はじめから、イエスの教えと彼のはたらき方は、正統派的な人びとを無視したものでした。彼は、社会指導者たちの心をさわがせる福音をときました。彼はおきてを、あたらしい、びっくりするような形で解釈しました。彼にしたがえば、古いおきては一時的のものであって、永続的なものではなかったのでした。しかしユダヤ人たちは、どんな改革もこのみませんでした。彼らの古い伝統を死守しました。イエスは彼らのにくしみの攻撃にたえなければなりませんでした。たたかいがはじまったとき、彼は妥協せず、自分の命をかけることもおそれませんでした。

   初期

 イエスは、家を出たとき三十歳でした。このときまで、彼は母や身内の人びととともにくらしていました。結婚はせず、大工の仕事に従事していました。少年時代に、読み書きをおしえられ、聖典の一部をおぼえさせられました。母が敬虔な女性でしたので、おさないときから彼に、祈り、神を思うことをおしえました。彼はユダヤ人のおきてにしたがって育てられました。しかしまだ若かったときにすでに、独自にものと考えることをはじめました。自分みずからの考えを、祈りによって強化しました。神は、彼にとっては実在であり、彼の祈りをきいてうたがいをはらして下さる、愛すべき父でありました。

 神はいわば、彼の伴侶でした。彼をみちびき、指示を与えてくれる、愛すべく、賢明な友でした。彼はそれ以上の友を持っていませんでした。彼ほどによく自分を理解することのできる者もいないし、彼ほどに忍耐づよく自分に耳をかたむけてくれる者もいないのでした。うたがいや困難に直面したときにはかならず、彼はひざまづいて神にかたりかけるのでした。霊の世界におけるあの愛すべき友は、もっとも甘くやさしい態度で、彼と話をなさるのでした。

 彼は、荒れ野に住み、人びとをおしえる、ある偉大な教師、洗礼のヨハネのことをききました。イエスは彼のもとに行って洗礼を受けました。イニシエーションの後、彼はヨルダン河で沐浴をしました。それからこの聖者のもとを去り、ひとりで山に生きました。ある洞窟の中で祈り、瞑想し、四十日間断食をしました。ここで彼は神と交流し、霊的使命達成のための活動をはじめるときがきたことを知りました。

    説教活動

 イエスは、自分がそだったナザレにかえってきました。その途中から、彼は説教をはじめ、人びとにむかって、悪い行ないをあらため、正義につくよう、よびかけました。ここで彼は安息日にシナゴーグ(教会堂ーに入りました。彼は旧約聖書の一節をよみ、最初の説教をおこないました。

 権威と確信をもってかたられる、彼の力づよい説教をきいて、人びとは、大工の息子であるイエスがどこでこのような力を得たのか、とふしぎに思いました。最初、彼らはよろこびました。しかしイエスが彼らの悪行をせめはじめると、彼らはいかりました。彼の言うことに耳をかたむけず、彼を、自分たちとおなじような人間だと思いました。彼を都市の外におい出しました。イエスは、予言者は自分の生まれた故郷ではとうとばれない、と言いました。人びとはイエスが自分を予言者と呼んだので非常に興奮し、彼をころそうとしました。しかしこのさわぎの中で、彼はなんとかそこをのがれ去りました。

 イエスは自分のことをこう言いました、「キツネは穴を持ち、空とぶ鳥は巣を持つ。しかし人の子は頭をよこたえる場所を持たない」と。いまは彼は金も家ももたず、あちこちとさまよいました。ついにある湖のほとりにつき、そこで網をあらっている漁夫たちにあいました。彼らは、夜中、一匹の魚もとれなかったのだ、とはなしました。彼が、もう一度、網をなげてみよ、とすすめると、今度は網が魚でみちていました。

 ピーターという、漁師の中の一人がこれを奇跡であると見ました。彼は、ただちに、イエスはふつうの人ではない、と信じました。ピーターが自分にこのような信仰をいだいているのを見て、イエスは、「私についてこい、そして恐れるな、今後、あなたはもう魚はとらない。人びとをとらえて彼らを神のもとにつれて行くだろう」と言いました。ピーターは即座に、いっさいをすてて彼にしたがいました。こうしてイエスは最初の弟子を得たのです。

 イエスはピーターをつれて、教えをときながら、病人をいやしながら、あるきつづけました。彼はめざましい奇跡をおこなったので、彼が足をとめるところどこにでも、群衆があつまりました、その群衆の中からときおり、イエスにしたがって弟子になりたいと望む者があらわれ、ついに十二人の弟子たちがあつまりました。

  イエス・キリストの教え、山上の垂訓

 ある日、あまりに多くの人びとがイエスのもとにあつまったので、全部に話をきかせることができなくなりました、彼は山のいただきにのぼり、人びとは山腹にすわり、こうして彼のひとことひとことをきくことができました。彼らは非常に熱心にききました。イエスは言いました、「謙虚な人びとはさいわいである、彼らは神に愛されるから。真理を知ろうと熱望する人びと、彼らはさいわいである。真理が彼らに示されるから。きよらかなハートをもつ人びとはさいわいである、彼らは神を見る。また平安を愛する人びとは、神の真の子供たちである」彼はそのほかにもいろいろのことをはなしました。

 謙虚の徳は、キリストみずからが範を示しました。彼は、自分の弟子の足をあらいました。このようにして彼は、「あなたは世の光である」と言った彼のことばの通り、人を賛美したのです。これは、人に対する神の尊敬です。人が完全なへりくだりの心で主のみ足のもとにひれふすとき、主は、彼をご自分の胸もとまであげて下さるのです。彼は素朴な形の礼拝を命じました。真剣で、素朴な礼拝です。彼は神聖ぶった見せかけや偽善をきらい、そのようなものは、きびしいことばで非難しました。重要なのは衣装や供物や儀式ではなく、礼拝する者の真剣さです。

 へりくだりの心は、すべての宗教の師たちによって強調されており、また私たちは、それが彼らのみずからの生活の中で実証されているのを見ます。マドンナの絵を祝福してくれとたのまれて、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは言いました、「私がこの肖像を祝福するのだって!私がもしナザレのイエスの時代にパレスチナに生きていたら、私は彼の足を自分の涙ではなく、ハートの血であらったことだろう!」と。

 神をじかにさとったすべての聖者たちは、祈りを非常に重視しました。祈りはもっとも簡単でもっとも直接的な礼拝の形式であり、またたやすく神の恩寵をもたらすからです。キリストもまた、神との交流の手段として祈りの必要を強調しました。しかし、人に見られてほめられるよう、会衆の前に立つ偽善者のいのりはせぬよう、警告されました。

 イエスは私たちに、ハートの中のかくれた祈りをおしえました。彼は、主が私たちの祈りをきかれることを保証しました。シュリ・ラーマクリシュナも、「主はアリの足音もおききになる、われわれの祈りをおききにならないということがあろうか」とおっしゃいました。 問題は、答えられなかった祈りからではなく、答えられた祈りからおこります、なぜなら、彼はかならず私たちの祈りをかなえて下さるからです。しかし私たちは、非常な注意と識別をもって祈らなければなりません。なぜなら私たちは、のちに自分の害になるようなことをおねがいするかもしれないのですから。自分の破滅になるような祈りがかなえられるかも知れないのですから。祈るのは私たちの仕事、祈りをかなえるのは、全能者の仕事です。なぜなら彼は、われわれ私たちにとって何が最善であるかを知っておられます。彼の偉大な叡知によって、かれは、たのまれたことの多くを、おねがいした者の破滅をもたらすようなことをしりぞけなさるのです。

 すべての聖者たちは、愛を説きました。イエスは、自分の敵をも愛せよ、と教えました。私たちは、自分をのろう人びとを祝福し、自分を害しようとする人びとに善をほどこさなければなりません。そうしてはじめて、私たちは神の真の子供たちになるのです。なぜなら、神は差別をなさらないのですから。彼は太陽の光を、善人の上にも悪人の上にもひとしくそそがれます。彼は雨を、正しい者の上にも悪人の上にもそそがれます。それをすることによって、私たちは、天にまします父が完全であられるのとおなじように、完全になるのです。

 説教の中で、イエスは言いました、「あなた方は、汝の隣人を愛し、敵をにくめ、という教えをきいているだろう。しかし私はあなた方に言う、あなたの敵を愛せよ、あなたをのろう人びとを祝福せよ。あなたをにくむ人びとに善をほどこし、あなたをいじわるく迫害する人びとのために祈れ」と。キリストはすべての人のために祈りました、「父よ、彼らをゆるしたまえ。彼らは何をなすべきかを知らないのです」と言って、自分を迫害する人びとのために祈りました。

 この辺で、ラーマクリシュナ運動がキリストと密接な関係を持っていることを思い出しましょう。その修行時代、シュリ・ラーマクリシュナは、、さまざまの信仰の道を実践なさいました。有能なキリスト教の教師の指導のもとに、キリスト教の修行をなさり、肉眼でキリストのヴィジョンを得られました。人の子は、彼を抱擁し、ついに、かれのからだの中にとけ込まれたのです。「シュリ・ラーマクリシュナは法悦状態に入り、しばらくの間、属性を持つ遍在のブラフマンの自覚をたもっておられました。イエスのヴィジョンを得られたことにより、師は、自分が神の化身であることに対していだいておられた、かすかなうがたいをはらされたのであった」これは、直弟子スワミ・サラダーナンダ著「大師ラーマクリシュナ」の中の一節です。

 シュリ・ラーマクリシュナは言っておられます、「アヴァターラはつねに、一つの存在である。唯一の神が、生命の大海にとびこんだあと、あるところにあらわれてはクリシュナとよばれ、別のときにまたとび込んで、キリストとしてあらわれるのだ」と。

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダはその生涯を通じて、キリストと崇拝者でした。一遍歴僧として一物ももたずにインドの国内をあるきまわっていたときにも、「バガヴァッド・ギーター」と「キリストにならいて」の二册は手ばなしませんでした。つぎに、彼がロスアンゼルスでおこなった講演の一節を引用します−

 「イエスは、生涯にほかの仕事はもちませんでした。自分は霊である、ということ以外、何も考えませんでした。彼は肉体を離脱した、束縛されていない霊でした。そればかりでなく彼はその驚嘆すべき視力によって、ユダヤ人であれ、異邦人であれ、富んだ者も貧しい者も、聖者も罪びとも、すべての男女が彼とおなじ、不死の霊の権化であることを見たのです。

 「それゆえ、彼の全生涯がそれを示しているように、彼のたった一つの仕事は、彼らにむかって、みずからの霊的本性を自覚せよ、と求めることでした。自分はいやしい、自分はまずしいという迷信的な夢をすてよ、と彼は言っています。自分はふみつけられ、まるで奴隷のようにしいたげられているのだ、などとは思うな。あなた方のうちには、決して制圧されることのない、決してふみつけられない、決して苦しめられることのない、決してころされないあるものがあるのだから、と言っています。

 「あなた方はすべて神の息子なのです。不死の霊なのです。知れ、彼は宣言しました、神の王国は、あなた方のうちにあるのだ、私と私の父とは一体である、と。あなた方も立ちあがっておっしゃい、私は神の息子である、と。それだけでなく、私も心の奥そこで、私と私の父とは一体である、ということを知りましょう。それが、ナザレのイエスが言ったことなのです。

 「彼は、この世のこと、この世の生命のことは何一つ語っていません。彼はこの世のいのちとは何の関係もないのです。ただそれはそのままにたもち、各人が自分の霊的本性を自覚するまで、死がすがたを消し、不幸が追放されるまで、真理をときつづけようとしているだけなのです」


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