イエス・キリスト生誕祝賀会の講話

一九八四年十二月二四日

緒論

 われわれはこの世界に多くの宗教と宗教哲学を見いだし、その各々に無数の信者がいるのを見ます。インドにヒンドゥイズム、ヨーロッパの国々にキリスト教、アラビヤおよび中東にイスラム、中国や日本に仏教というようにです。あらゆる宗教の背後に神の意志と神の力がはたらいています。あらゆる宗教にわれわれは予言者、化身または神の使者を見いだします。真の予言者はことごとく偉大です。彼らの各々が周囲の人々に神のメッセージを伝えるよう、神の委託を受けているのです。各々の予言者が、完成された人であり、神聖な性質を具えています。予言者たちは、人類の幸せのために、正義を確立し、悪を滅ぼすために、この世に生まれるのです。予言者の教えに従って、各々の宗教が神を悟る道を示しています。道はいろいろありますが、神は一つであり、不可分の存在であります。これらのさまざまの道すなわち宗教は、人のさまざまの傾向や気質にあうよう、さまざまの時代の要求に応じるように異なっているのです。すべての宗教は、真剣に実践されるなら、われわれを同一のゴールに導くものであります。

 シュリ・ラーマクリシュナは、「さまざまの教えは唯一の神に達するためのさまざまの道である。カーリガートの母なる神の聖堂に行く道はさまざまであろう。同様に、主のおん住みかに達するための道もさまざまである。各々の宗教は、これらの道の一つであるにほかならない」と言っておられます。シュリ・ラーマクリシュナによれば、世界のすべての宗教は真理であって、求道者を唯一の普遍の神に導くものであります。

 スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、次のように言っています、

 「世界中の諸々の宗教は、たがいに矛盾するものではなく、反対するものでもありません。それらは、一つの永遠の宗教の、さまざまの面であるにすぎません。この一つの永遠の宗教が、存在のさまざまの段階にあてはめられるのです。さまざまの心、さまざまの民族の、さまざまの意見にあてはめられるのです。いまだかつて、私の宗教とか、あなたの宗教とか、私の国の宗教とか、あなたの国の宗教とかいうものがあったためしはありません。数多くの宗教なるものがあったためしもありません。宗教はたった一つあるだけです。一つの、永遠の宗教が、永遠にわたって存在していたし、また存在するでありましょう。そしてこの宗教がさまざまの国にさまざまの形でそれ自らを現しているのです。それゆえ、われわれはできる限り、それらすべてを認めるように努めなければなりません。宗教は民族と地理的な位置に応じて自らを現しているばかりでなく、個人の力に応じてさまざまの現れを見せています。」(全集四巻一八〇頁)

キリストの誕生とその若き時代

 イエス・キリストは、キリスト教の創立者です。キリストという言葉は救世主−−人々を罪や苦しみから救うためにこの世に生まれた人−−という意味です。多くの人々が、彼は神の化身である、神の使者であると考えています。西暦紀元はキリストの誕生に始まっていますが、彼の誕生および生涯の詳しいことは分かっていません。その使徒である聖者たちの記したものさえ、それぞれに異なっています。オーソドックスなクリスチャンは、イエスの無原罪のおん宿りとその神聖な誕生の物語を信じています。イエスは聖霊と処女マリアとの間に生まれたと信じています。

 イエスの両親、ヨセフとマリアとは、国のある規則にしたがって、故郷ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムに来ました。マリアは妊娠中でした。夫婦はある宿屋に泊まり、そこでマリアは救世主キリストとなるべき赤児を生んだのです。宿屋が立て込んでいたので、母親は赤児を産着にくるんで飼葉桶の中に寝かせました。

 このとき、近くに野営していた羊飼いの一団が、天使のお告げによって赤児の誕生を知りました。羊飼いたちは天使の出現に恐れをなしたのですが、天使たちはその恐れを除き、こう言いました、「恐れるな、見よ、わたしは、すべての民に及ぶはずの大きな喜びの知らせをもたらしたのである。今日このダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。このことをあなた方にしらせるのである。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶の中に寝ているみどり児を見出すであろう」と。更に彼らは、大勢の天使たちが神を賛美してうたうのを聞きました、「いと高きところには神に栄光、地には平安、人々によき思いあれ」と。天使の言葉を信じて、羊飼いたちはベツレヘムに行き、新しく生まれたみどり児を探して、飼葉桶に眠る赤児を見いだしました。彼らはこの赤児を、愛をこめて礼拝したのです。

 十二歳のとき、イエスは両親と共に、ある祭祀に加わるためにエルサレムに行きました。式が終わると、両親は帰途につきました。翌日、彼らはイエスがいないのに気づき大層心配して、ここかしこ探したところ、三日目に、神殿の内庭にいるのが見いだされました。イエスは年長の人々と宗教上の問題を論じ合っていたのです。

 イエスの青年時代から成年の初期にかけての十八年間の消息は知られていません。ある学者たちは、彼はその間にインドに行って宗教とヨガを学んだのである、と考えています。彼はエジプト、ペルシャまたはチベットに行ったのだと考えている人々もあります。われわれは、福音書にただ、「イエスは知恵が深まり、背丈も伸び、神にも人にも愛され給う」とあるのを見るだけです。

   イエスの洗礼

 二十歳の頃に、イエスは洗礼者ヨハネに会われました。このヨハネはユダヤの荒野を歩き回り、やがてヨルダン地方にやって来たのでした。彼は人々に、罪を悔い改めることを求め、彼らに向かって、天の王国はごく近いところにある、と断言しました。天の王国という概念は彼らにとってなじみ深いものでした。ヨハネは、その天の王国は、遠い処ではなく、いま、ここにあるのだと宣言したのです。

 パレスチナの人々はローマの圧制に苦しんでいましたから、この宣言は彼らにとって幸せなものでした。しかし、彼らは、それを政治的な意味に解釈したのでした。彼は、内面の浄化と真剣な悔い改めとによって王国に入る準備をするよう、人々をうながしました。浄化の象徴として、彼はヨルダン河で洗礼を行いました。

 大勢の人々が洗礼を受けにヨハネのところにやって来ました。彼は洗礼を受けた人々に、慈善、正義、慈悲、および正直を実践するよう、すすめました。大衆は、ヨハネが約束されているめメシアである、と受け取りました。しかし彼はそれを否定して、「私は実に水であなた方に洗礼を与え、悔い改めさせるが、私のあとにくる人は私より偉大であって、私は彼のはきものに手をかける値打すらないのである。彼は、聖霊と火とであなた方に洗礼を授けるであろう」と言いました。

 イエスは、彼がヨハネのところに来るまでは、あまり人に知られていませんでした。彼がヨハネに洗礼を乞うと、ヨハネはへりくだって、自分はイエスに洗礼を与える資格はない、イエスから洗礼を受けなければならないのである、と言いました。しかしついには、イエスに与えることを承諾しました。イエスがヨルダン河から上がって来られると、天上からこう言う声が聞こえました。「あなたは私の愛する子、まことに私の心に適う者」と。

 受洗後直ちに、イエスは近くの山中、人里離れた処にこもり、四十日間厳しい修行を続け、あらゆる誘惑に打ち克って出て来られました。彼はガリラヤに行き、ひろく人々を導く生活に入りました。

    霊的使命

 教えを説き始めるに当たって、彼は十二人の弟子を集めました。彼はペトロとその兄弟アンデレとに会いました。共に漁師であって、海に網を投じていたのですが、イエスがそばにゆき、「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われると、たちまち網をすてて彼について来ました。彼は同様にあと二人の漁師ヤコブとヨハネ、それから徴税人のマタイおよびその他を従えました。

 イエスはユダヤ教会で説教を始め、さまざまの治癒の奇跡を現しました。正統派のユダヤ教徒は彼を理解することも評価することもできませんでしたが、大衆は彼に従い、彼の人格とさまざまの奇跡に夢中になりました。

山上の説教

 キリストは、彼の有名なメッセージ「山上の説教」を弟子たちだけに教えました。

 (一)心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

 (二)悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

 (三)柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受けつぐ。

 (四)義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

 (五)憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

 (六)心の淨い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

 (七)平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

 (八)義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 

 (九)私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

 (十)喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の予言者たちも、同じように迫害されたのである。

 この教えは常に、真理探求者と人類に霊的栄養を与えて来ました。山上の説教は普遍の霊的、道徳的思想と訓練法とを説いています。彼の教えには、新しさと権威の響きがありました。その権威の背後には、彼の霊性の悟りの力があったのです。新約聖書はこう語っています、「イエスがこれらのことを語り終えられると、人々はその教えに驚嘆した。律法学者のようにではなく、権威をもって語られたからである」と。

 その説教は、当時すでに一般に通用していた教えとは、はっきりと一線を画するものでありました。それは、生命を、せまい種族の道徳と教条的な宗教のかせから解き放つものでした。古い、なじみ深い言葉が使われてはいたが、それらには新しい意味がこめられていました。古い道徳律は保存されていましたが、それらは内面生活に向けられました。古来人々が抱き続けて来た希望がやはり取り上げられましたが、それらは新しい霊的な意味に満たされていました。イエスが「よくききなさい」 I say unto you. という前置きをされたとき、彼の教えは確固とした、絶対の権威を持っていました。人々がその教えに驚嘆したのは当然のことでした。

 われわれは、ヨハネからキリストへの、一つの連続を見いだします。ヨハネは、人々に洗礼を授け、天の王国に行くための用意として、悔い改めるよう教えました。イエスはこの思想を取り上げました。彼は法則や予言者たちの教えを破壊するために来たのではなく、成就するために来たのですから。悔い改めは、原罪という、ユダヤの教えに基づく思想です。この悔い改めは、心の浄化に重点を置くものですから、霊性の生活には大切なものです。悔い改めは、心を謙虚にします。道徳的訓練としては、それは、更に悪い行為を重ねることを戒めます。これなしには霊性の生活は不可能なのです。霊性の真理は浄らかな心にのみ姿を見せ始めるのですから。しかし、悔い改めが全部ではありません。天の王国に入るためには、更に精進しなければならないのです。イエスが説教の中で指示したのはこの前進のことでした。イエスは、彼の説教を、悔い改めとその果実に言及することから始めました。彼の教えは、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」というものでした。彼はそのあとに、新しい一節を加えました。彼は、天の王国はわれわれの外ではなく、内にある、人はそれを悟ることができるのだ、と言いました。霊性の悟りは死後ではなく、今生において、今ここで得ることができるというのは、全く新しい、勇気を与える思想でした。彼はこのように付け加えたのです、「心の淨い人々は、幸いである、その人たちは神を見る」と。

 心の淨らかさは霊性の悟りに不可欠な条件の一つです。敬虔な、道徳的な、そして奉仕的な行為はすべて、この淨らかさを得るための手段であります。神は見ることができる、しかも今生で、というのは、彼の聴聞者たちにとっては全く新しい教えでした。ウパニシャッドには、同じ希望とメッセージが見いだされます、「心の淨い者はアートマンの栄光を悟り、悲しみから解放される」と。

シュリ・ラーマクリシュナとキリスト教

 われわれにすべての宗教の調和を説いておられるシュリ・ラーマクリシュナがキリスト教の教えをたどり、イエス・キリストとの合一を悟られたということは、ここで言及する価値のあることです。シュリ・ラーマクリシュナは、イエス・キリストの生涯と彼の教えをよく知っておられました。彼の信者の一人、シュリ・シャンブーチャラン・マリックが、クリスチャンではなかったがよく彼にバイブルを読み聞かせ、それによって彼はキリストおよびキリスト教のことを知るようになられたのでした。バイブルを聞くうちに、シュリ・ラーマクリシュナはキリスト教の理想を悟りたいと思うようになられ、母なる神カーリはその願望を不思議な形でかなえて下さいました。ある日、シュリ・ラーマクリシュナは、ドッキネッショルのジャドゥナート・マリックの客間に座っておられました。客間の壁には、幼児キリストを抱いたマドンナの美しい絵がかかっていました。その絵を見ながら、彼はキリストの聖らかな生涯のことを深く考え始められました。すると、まるで絵に生気が入り、マリアとキリストの姿から輝かしい光が射しているように感じられました。その光が彼の体内に入り、心中に不思議な変化をもたらしました。今まで全心全霊をこめて崇拝していたヒンドゥの神々への愛と尊敬の念が消えてしまって、その代わりにキリストとキリスト教会への深い尊敬が彼のハートを満たしたのです。ヴィジョンの中で、彼はイエス・キリストと、香や蝋燭を供え、愛と尊敬をこめて彼を礼拝しているキリスト教信者たちを見ました。三日間、彼の心はキリストとキリスト教の思いに深く没入し、その間中、彼は母カーリに祈ることも、彼女をお祀りすることも忘れていました。

 四日目に、パンチャヴァティを歩いておられたとき、彼は再びイエス・キリストが彼の方にやって来て、彼をじっと見つめるのを見られました。イエス・キリストは彼の前に、さわやかな美しい顔で、美しい大きな眼をして現れました。しかしシュリ・ラーマクリシュナは、彼の鼻はやや平たいことに気づかれました。シュリ・ラーマクリシュナは深い信仰をもって、心中に、「おおイエス・キリスト、あなたには愛の権化であり、偉大なヨギです。あなたはこの世界に来て人類の罪をあがなうためにハートの血を注がれ、そのためにあのような苦しみを味わわれました」と言われました。イエス・キリストはシュリ・ラーマクリシュナを抱き、彼の中に融合しました。彼は完全に外界の意識を失い、キリストとの一体を自覚されました。彼は、イエス・キリストが神の化身であることの確信を得られたのです。

 ずっと後になって、キリストについて話し合っていたとき、シュリ・ラーマクリシュナはバイブルを読んでいた弟子に、キリストはどんな様子をしておられたかと尋ねられました。キリストの容貌を知りたいと思われたのです。弟子たちは、バイブルには特にそのことは書いてありませんが、彼はユダヤ人でしたから、きっと、色は白く、目は大きく、鷲鼻をしておられたでしょう、と答えました。これを聞いて師は、自分は少し平たい鼻をしているのを見たと言われました。後に、キリストの容貌についての記述が三つ残っており、それの一つに、彼の鼻はやや平たかったことが実際に述べてあるということが分かりました。

 シュリ・ラーマクリシュナは、真に宗教的な人は、他の宗教も真理に通じる道であると思うはずだと教えておられます。われわれは、常に他宗教に対して尊敬の態度をとるべきです。彼は、自分の信仰は常に堅固に保て、しかし、狂信と狭量は戒めるべきであると言っておられます。

クリスマス・イヴ

 なぜわれわれはイエスの誕生の当日でなく、クリスマス・イヴを祝うのかという疑問が起こるかも知れません。このしきたりには深い意味があるのです。

 一八八六年八月にシュリ・ラーマクリシュナが亡くなられた後、若い弟子たちの何人かはバラナゴルの僧院で共に暮らし、厳しい修行を続けていました。スワミ・プレマーナンダジーの母は、彼らをアントプルの自宅に、幾日間か招待しました。弟子たちはアントプルにゆき、そこで祈り、賛歌および瞑想に日を過ごしました。師のことが彼らの唯一の話題であり、彼らの心中を満たしているのはただ、師の思いでありました。スワミ・ヴィヴェーカーナンダは絶えず彼らに向かって出家の生活の栄光を説き、世間と世の営みを放棄するようすすめました。兄弟弟子たちは、強烈な放棄の精神と、今生で解脱を得たいという熾烈な願望に満たされていました。ある夜、彼らは邸内の野天で火をたき、ヒンドゥの僧の伝統に従ってそのまわりにすわり、瞑想を始めました。静かな夜であって、薪のパチパチもえる音だけがしじまを破り、空には星が降るように輝いていました。突然、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは目を開き、使徒的な情熱をもってイエス・キリストの生涯を語り始めました。彼らに向かって、家を捨てたキリストのように生きることを、世のあがないと神の悟りのために自らを捧げ、放棄と自己否定の道をたどることを熱心に勧めました。すべての兄弟弟子たちが、新しい情熱の火をかき立てられて、神とその聖火を証として、僧となり、兄弟団を作ることを共に誓ったのです。彼らが幸せな気分で自室に戻ったとき、誰かが、今夜はクリスマス・イヴ、神聖な誓いを立てるのにまことに幸先のよい日であったということを知ったのです。ラーマクリシュナ僧団の僧たちがイエス・キリストを深く敬い、毎年クリスマス・イヴを恭しく祝うのにはこのような理由があるのです。


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