仏陀生誕祝賀会の講話

一九八八年五月十五日

緒言

 ときおり、あるできごとが起こっても、その当時はほとんど人の注意をひかない、しかしその結果は遠くまで及ぶ非常に大きなものとなる、ということがあります。それは幾千年も続き幾百万の生命に影響を与えるのです。それは歴史を創造し、文明を形づくります。そのようなできごとが、二五五四年前に起こりました。

 一人の王子が、まだごく若かったのですが、人生とそのはかなさを厭うようになりました。王家の生活の豪華やぜいたくは、彼には少しも慰めを与えませんでした。周囲に見る、この世の事物すべてのはかなさのゆえに、彼は心の平安を感じることができなかったのです。もっと永続的で、もっと確実な何ものかを探し求めて、彼は王位をつぐべき将来をすてました。そして六年の長きに及ぶ、きびしい修行の後に、探し求めていた平安を見いだしました。

 それは一個人のできごとでした。一個の人間の魂が、この世のすべての束縛を脱して自由になったのです。このできごとの上に、仏教と仏教文化は打ち立てられたのでした。そのことが実際に起こって実に長い年月の後に、われわれはそれを、尊敬と希望とインスピレーションと共に思い起こすのです。

 仏陀の真理の自覚は、世界の歴史の上での、一つの画期的な事件です。人類は、その目標は何であるかを知らないで、不断に壮大な行進を続けています。この偉大な旅の中で、人は苦しみ、また喜びます。彼の喜びも苦しみも共に、短いものです。彼は、自然の手の中のおもちゃのようなものです。不本意ながら自然の専制と圧迫に屈している奴隷なのです。

 突然、ある人がやって来て、それに反抗します。彼は自然を超越し、人生の目標を達成します。このような人は、人類の歴史に一転機を与えるのです。仏陀は、一人のこのような偉大な人です。世界の歴史の中で、仏陀はみずから立っています。この生涯において、彼は、既に開かれている道は歩みませんでした。自らのために、新しい道を見いだしました。仏陀は、霊的な助けと導きを求めて苦闘しつつある人類のための、かがり火として立っています。

    その生涯と放棄

 仏陀は、ある王の王子として生まれました。彼は、世の不幸や苦しみの姿は見せないようにして育てられました。しかし成長すると、それらを目にするようになりました。感じやすいハートと、深く考える心を持っていましたから、彼は真剣に、人間の不幸の根元について考え始めました。深く考えた末、彼はついに王宮を出ました。人生の喜びは非常にはかなく、苦しみはたえがたいものに思われたのです。

 その時代の宗教上の伝統にしたがって、彼はさまざまの哲学を学び終え、きびしい修行を実践しました。それらすべてが無益であることを知り、彼はこの問題に彼自身の常識を適用しました。彼は自分の健康を取り戻しました。鉄の意志をもって、ふたたび宇宙の神秘について考えはじめました。

 これなしには生きることはできない、というものは、必ずやって来る、と言われています。仏陀の場合、そのことは見事に立証されました。彼は真理を悟るか、さもなければこの試みの中で死のう、と決意しました。彼の言葉は格言のようになっています。彼は言いました。「まさにこの座の上で、この肉体はひからびるがよい、肉と血と骨はみじんに砕けるがよい。しかし、実に実に貴重であるところの真理を悟るまでは、私はこの座を立たない」と。

 さらに、彼は言いました、「偉大なヒマラヤは、移動するかも知れない。全世界は滅びるかも知れない。日と月と星々は天上の座から落ちてしまうかも知れない。大海の水は全部、干上がってしまうかも知れない。それでも、真理が私に示されるまでは、私はこの菩提樹の下のこの座を立たない」まさにこの夜、この断固たる決意の後に、ゴウタマ・シッダルタは仏陀、すなわち覚者となった、と言われています。

 仏陀の生涯におけるこのできごとは、霊性の探求者たちにとって非常に意義深いものです。それは、真理への強烈な渇仰心が、絶対に必要であることを教えています。数多くの人々が神を悟ろうとしますが、目的を成就する人はごく僅かです。この現象は、非常に不思議に、そして同時に非常に悲しむべきことと思われます。

 真理はふまじめな態度を許しません。それは、真理に対する完全な忠誠を要求します。人の心が真理以外のものにひかれているあいだは、真理は隠されたままでいるでしょう。人が完全に彼のボートを燃やして、真理のみのために生きるとき、彼はそれを得るのです。真理の探求のための努力は心に、ある有徳な傾向を作り出すでしょう。しかし、彼が「いま、悟るほかなし」と言うことができるまでは、真理を悟る日は永久に、とは言わないまでも、無限に延びるでしょう。

 ある種の求道者は、気のぬけた祈りや形ばかりの修行を習慣的に行なっています。そのような人々は、今生でいささかの進歩も得られなくても当然です。仏教は、本人みずからの努力を強く主張します。仏陀は直弟子のアーナンダに、彼自身を自分の灯火とせよ、と教えました。自分みずからを自分の支えとし、他のいかなるものにも頼るな、というのです。彼の教えは、すべての伝統と聖典の権威を傍らにのけておけ、というものでした。彼は、人々に、彼自身の言葉にさえあまり価値をおきすぎるな、と教えました。繰り返し、霊的進歩を遂げるためには自らに頼ることの必要であることを強調しました。

    人格

 シュリ・ラーマクリシュナがよく言われたことですが、ある人々は、自分だけのために真理をさとり、すべての束縛を脱します。しかしまれには、自分の束縛を断ち切った後にも人類を導き助けるために、喜んでこの世間に戻って来る人があります。

 仏陀は、このまれな第二の部類に属しています。悟りを得た後、できる限り多くの人々を束縛の岸の彼方につれてゆくために、喜んでこの世の苦しみを受け容れました。そして、どれほど多くの仕事をしたことでしょう。

 四十五年の長い年月の間、仏陀はここからかしこへと歩き続けました。来て、すべての不幸をいやす万能薬を受けよ、と人々を呼び集めました。このことに関しては、彼は階級、属する宗派、年齢、または性別による差別はまったくつけませんでした。おそらく、仏陀のように長い間説法をつづけ、彼のように多くの弟子をつくった予言者の記録は外に見いだせないでしょう。

 仏陀は、彼の教えを民衆の言葉であるパーリ語で説きました。彼のところに来た人は誰でも、彼の祝福を受けました。仏陀は弟子たちに、自分の経験によって彼の教えの正当性をテストせよ、とすすめました。彼個人を信仰することをとめました。全ての人に、八聖道を通って至福の境地を得よ、とすすめました。

 真の予言者である人々は、破壊するためではなく、成就するためにやって来ます。いままで教えられていたことと、彼らが言うこととの間には大したちがいはありません。仏教の本質は、ヒンドゥイズムのそれらと、大きく異なるものではありません。仏教は、ヒンドゥイズム、またはブラーミニズムの分派と言ってもよいでしょう。

 学者たちは、仏教とカピラのサーンキャ哲学との間に著しい類似を見いだします。マクスミュラーによると、仏教は、大衆化された最高のブラーミニズムである、そこでは聖職者制度が出家者制度におきかえられている、ということです。仏教の僧侶の本来の性格は、古代の、悟りを得た森の住人のようなものです。仏陀は、ヴェーダージュニヤ、すなわちヴェーダの真理を知る人と認められています。仏教の文献の中には、「ブラフマン」「ブラフマヤ」という語が使われているのが見られます。

    道徳的および霊的修行

 仏陀の主な教えは、世間はダッカすなわち不幸にみちている、不幸の根元は、トリシュナすなわち欲望である。欲望を殺すことによって、一切の不幸はいやされる、というものです。仏陀は、人間がわずらっているすべての病を除くために、霊性の修行として八つの道を教えました。その道とは、正しい見解、正しい願望、正しい話、正しい行動、正しい生計、正しい努力、正しい注意深さ、および正しい熟慮です。これらは、八聖道と呼ばれています。

 仏教は、ヒンドゥイズムと同じように、カルマと生まれ替わりの教義を信じます。因果のくさりとして、人は生まれては死に、死んでは生まれて来ます。苦しみは、人生の過酷な事実です。もし人が無知を脱することができれば、彼はふたたび生まれることはありません。この地上の生活の中で不幸から解放され、永遠の平安を得るのです。

 仏陀の教えは実に実践的でした。彼は思索より活動と行為の方を重視しました。彼の考えは、倫理的な徳が開発されたとき、正しい瞑想とともに人は自分の目標を悟る、というものでした。

 人は無数の形で、ここに自分には支配することのできない、ある力がはたらいている、ということを知ります。彼はみじめな状態で、自分の無力を感じます。当然、彼は支えを求めます。抽象的な哲学や道徳上の戒めでは満足することができないのです。

 仏陀は、神の存在の問題については何も言いませんでした。しかし、やがて仏陀が彼の信者たちによって、神にされました。「私は仏陀に避難する」というのが、彼の信者たちの不断の祈りとなりました。時がたつにつれて、念入りな儀式が仏教に導入されました。さまざまの解釈が、彼の教えに加えられました。時代とともに、哲学のさまざまの学派が生まれて来ました。

 仏教は二つの大きな派に分かれています。ヒナーヤナすなわち小乗とマハーヤナすなわち大乗です。

    ヒナーヤナ(小乗)

 小乗は、仏教の初期に置ける純粋な形を忠実に表わしています。それは、神のない宗教の一例です。神の座はそこでは、普遍のカルマの道徳のおきてによって占められています。この道徳律は、行為の結果は絶対に失われない、という形ではたらく、と考えられています。ひとそれぞれが、この世で、彼の過去の行為によって得るに値するだけの肉体と心と、そして場所を得るのです。仏陀のあまたの生涯は、理想と同時に人々に、彼は解脱を得ることができる、という約束を与えます。ヒナーヤナ信者は、仏陀の高貴な道をたどることによって今生か、さもなければ未来のいずれかの生涯に解脱を得ることができる、と期待しています。彼の目標はニルヴァーナ、つまりすべての不幸を絶滅させる状態です。彼は、目的を達成する彼自身への力のゆるがぬ信頼と、すべての努力に対して報いを保証する道徳のおきてへのゆるぎない信仰を持っていなければなりません。ですからヒナーヤナは、自力の宗教です。

 ヒナーヤナは、「あなた自身への灯火であれ、あらゆる人は、彼自らのために、彼自らによって最高目標に達することができるし、またそうすべきである」という仏陀の言葉を固執しています。仏陀が亡くなる前に言った最後の言葉、「努力によってみずからの救いを獲得せよ」にインスパイヤされているのです。この道は、強い求道者のみにふさわしいものです。そのような人々は、不屈の意志と偉大な勇気と無限の忍耐力を持っていなければなりません。しかし、そのような人は常に、この世にはまれであります。

    マハーヤナ

 仏教が広まるにつれて、それはこの困難な理想を追求するにふさわしい選ばれたわずかの人々だけでなく、大勢のふつうの帰依者たちをも含むようになりました。新しい帰依者たちは、八聖道を正しく理解することもしなかったし、それに従うに必要な道徳上の力も持ってはいませんでした。王たちの庇護により、仏教は人数は増えたけれども最初の質を失いました。仏教を受け入れた大衆は、それを自分たちのレベルにまで引き下げました。彼らは、彼ら自身の習慣、信仰および伝統をもってやって来ました。教師たちは、数を問題にしないで理想を維持するか、理想を犠牲にして人数を維持するか、これら二つのうちの一つを選ばなければなりませんでした。小数の堅固な正統派の教師たちは前者をとりました。しかし大多数は、後者の誘惑に抵抗することができませんでした。このようにして彼らは、初期の正統派の信仰と対立するマハーヤナ(大乗)派をつくったのです。

 悟りの後、仏陀は、苦しんでいる生き物たちへの奉仕に身を捧げました。彼は、悟りは自分自らのためのものであってはならない、他の人々を助け導くものでなければならない、という理想をかかげました。マハーヤナは自分の救われだけを欲することを利己主義と見ます。自己の解放の代わりに、マハーヤナは一切生類の解放を目標とすることを強調しています。マハーヤナ信者たちは、悟りの境地を得て同時に愛と慈悲をもって他者のために働く、という一対の誓いを立てます。

 普通の人々は、宗教生活において、向上のために一心に努力しますが、彼らはそこに非常な困難を感じます。多くの場合、不幸と苦しみをさけることができません。自力をたのむ宗教は、大部分の人々には慰めをもたらしません。つまり、彼らは慈悲、助けおよび導きを求めて、もっと高い存在を仰ぎ求めます。マハーヤナ信者は、仏陀に、愛と助けと慈悲を祈り求めます。彼らにとって、仏陀は神なのです。マハーヤナ派は、あらゆる好みと文化とレベルの人々を抱擁する余地を持っています。

 包容的精神と宣教の情熱は、マハーヤナをして、ヒマラヤに入り、チベット、支那を経て朝鮮、日本にまで浸透することを得させました。進むにつれて、新しい形を取り入れ、分派をつくりました。それは、認めた民族の持つ信仰も取り入れ同化しました。

 ヒナーヤナは南インドからセイロン、ビルマ、タイで栄えました。ヒナーヤナの文献は、しばしばテラヴェーダと呼ばれますが、パーリ語でかかれています。マハーヤナ派は記録と宣教のためにサンスクリットを採用しました。

ジャータカ物語

 仏陀は、菩薩であられた時期に、あるとき、一人の王として生まれました。彼は、さまざまの科学の分野での無限のエネルギーと判断力と知識を備えていました。偉大な道徳的、そして霊的性質が彼の内部で見事にとけ合っていました。年長者を敬い、その振舞いはつつましやかで、彼は人民たちすべてから深く愛されました。彼は人民たちを、自分の子供のように愛しました。

 彼の慈悲深い心はいつも、乞食や托鉢僧に施しをしたとき、喜びに満たされました。彼らの喜ぶ顔が、彼を幸せにするのでした。国中に、彼はたくさんの慈善の家をつくり、そこにはあらゆる種類の品物や穀物やさまざまの食料を蓄えておきました。深い喜びと謙虚な心で、彼は時を得た雨のように、施しを注ぎました。それぞれの托鉢僧が、その必要に応じた親切な施しを受けました。飢えている者たちは、食を与えれられ、渇いている者たちは、飲物を与えられました。住処でも衣服でも金でも銀でも、ほしがるものを与えられました。願ったものは必ず与えられました。王様の慈善の話は遠くまで広まりました。遠いところからも人々が喜んでやって来ました。彼らは、他の人々から施しを受けようとは思いませんでした。

 乞食たちはもらうことしか考えませんでしたが、王様は常に彼らを歓迎しました。彼は、まるで最も幸せなニュースを聞くかのように、彼らの願いに耳を傾けました。乞食たちは彼の寛大さを 国中にに触れ回りました。隣国の王たちの高慢は、これで大きく押さえられました。

 あるとき、外出中、王様は慈善の家を尋ねました。彼は、物乞いの人数の少ないのを見て不安になりました。乞食たちのねがいはやすやすとかなえられましたが、与えたいという王様の願いは十分にはかなえられませんでした。彼は思いました、「与える相手はじきにいなくなるだろう。彼らがもっとほしがってくれたらさぞよかろうに。乞食から何でも、たとえ自分の手足でも、くれと言われる人々は幸せだ。人々は私に富しか頼まない。多分、もっと大胆な要求をすることを恐れているのだろう」と。

 王様のこの思いは、天界の神々の耳に達しました。神々の王であるインドラは、この王様のこれほどの犠牲心を知って驚きました。彼は他の神々に言いました、「王の心はそれほど高く昇っているのだろうか。自分の四肢を与えてもよい、と思うほど深く、施すことを喜んでいるのだろうか。自分の肉体への執着も、すっかり放棄したのだろうか。私は彼を試してやろう」と。

 ある日、王様は玉座にすわっていました。誰にでも与えられるように、富の山が傍らに積んでありました。各地から、物乞いの群れが宮殿に集まって来ました。インドラは、年老いた盲のブラーミンの姿で、その中に混じっていました。おいぼれたブラーミンの姿は、直ちに王様の目をとらえました。静かな、慈悲深い彼のまなざしは、老人を愛深く抱きかかえるように見えました。家来たちが老人に、欲しいものを言えと言いました。彼らの命令を無視して、インドラは王様に近づきました。

 王様の前に立って、彼は言いました、「盲の老人である私は遠いところからやって来ました。私は、あなたの御目の一つをいただきたいのです。国をお治めになるには、目は一つあれば十分でしょう」と。

 菩薩の心中には、喜びがこみ上げました。彼の心からの願いがかなえられたのです。この要求をもう一度よくたしかめたいと思って、彼はきき直しました、「おお、立派なブラーミンよ、誰があなたに、私の目の一つをくれと頼むようすすめたのですか、どのようにしてあなたは、自分の目を与えようとする者もある、と考えることができたのですか。私がそれをするだろうということを、誰が信じることができたのでしょう」姿を変えているインドラが答えました。。「インドラが私に言われました。彼が私に、ここに来いとおっしゃったのです。私の心からの願いをどうぞかなえて下さい。あなたの目の一つを下さい」と。

 インドラの名をきき、王様は、「神の力が、このブラーミンの視力を回復するよう助けているのだろう」と思いました。喜びに満ちた声で彼ははっきりと言いました、「ブラーミンよ、あなたの願いをかなえて上げましょう。あなたは一つだけ欲しいと言っておられるが、私は二つともさしあげます」

 廷臣たちは仰天しました。彼らはおそろしく心を痛めました。そして「陛下、あなたの寛大さは、度が過ぎて狂気と申し上げてもよろしいほどです。ご自分をめくらになさってはいけません。一人のブラーミンのために私たち全部を見すてるようなことをなさらないで下さい。あなたは私どもの慰めと繁栄の源でいらっしゃったのに、そんなことをなさると、私どもの深い悲しみの源泉とおなりになるでしょう。富や宝石や家畜や住み家は、いつおやりになってもようございます。このようなものが、ふさわしい施しなのです。どうぞ、こういうものをお与え下さい。目をお与えになってはいけません。あなたは人民たち一同の目であられるのですから」

 「またこのこともお考え下さい。神のお力のお助けがなければ、人の目が別の人の顔につけられるものではありません。他人のゆたかさしか見ることのできない貧しい男の目が見えたとところで何の役に立ちましょう。彼には富をお与え下さい。そんな向こう見ずなことをなさってはいけません」

 優しい、慰めるような調子で、王様は廷臣たちに言いました、「一度与える約束をしたのに、その品を引っ込める人は、一度すてた執着の束縛をまた得るだけである。与える約束をしておきながら欲心に負けてその約束を果たさない人は、非常に軽蔑されなければならない。物乞いに一度希望を与えておいて、あとでそれを拒否するようなことをする人は、まったく救い難い人である」と。

 廷臣たちは答えました、「私どもは、陛下に悪いことをなさるようおすすめしているのではありません。ただあなたの目をお与えになるよりは、黄金か品物か穀物をお与えになる方がもっとふさわしい、と申し上げているのです。あなたの王国は、インドラの楽しみにも匹敵するものです。それでもあなたはそれを与え切ろうとしておいでになる!この世界に全く前例のないことです。その上に、いまは喜んでご自分の両眼を与えようとなさる。どういうわけですか。あなたの栄光は、遠くまで光かがやいています。どういう願望にかられて、目まですてようとなさるのですか」と。

 王様は答えて、こう言いました、「求められたものは何であれ、与えなければならないものである。相手が欲しがっていない贈り物は、喜びは与えない。流れに溺れようとしている人に、何で水が要ろう。私は彼に、彼がほしがっているものをやりたいのだ。私は領土も欲しくなければ、栄光も要らない。解脱も求めなければ、死後、天国にゆきたいとも思わない。私がこのことをするのはただ、この世の慰めとなりたい、という思いから、この乞食の願いをかなえてやるためである」

 インドラは、王様の揺るがない心境を見て畏敬の念に打たれました。彼は思いました、「何という善良さ、そして他を助けたいという願いだろう。何という慈悲だろう。まのあたりに見ても信じられないくらいだ。このような高徳の人を長く苦しませるのは良くないことだ。廷臣たち、その他の家来たちが悲しみの涙を流していた」と。

 王様は医師に、彼の目の一つを取るよう命じました。最高の喜びをもって、彼はそれをブラーミンに渡しました。姿を変えたインドラは、神力をもって、その目を自分の顔につけました。王様と、並みいる人々は、一つの目が開くのを見ました。彼のハートは純粋な喜びにみたされました。それから彼はもう一つの目も与えました。

 手術の傷が直ったとき、王様は独居を求めて山林に出ました。彼は蓮池のほとりにすわりました。突然、彼はある気配を感じました、「誰がそこにいるのか」と彼は尋ねました。「インドラ、神々の王である」という答えでした。王様はインドラを歓迎し、彼のために何をしようか、と尋ねました。

 インドラは、自分はあなたの最も切実なねがいをききいれるために来たのである。何でもよい、最も強く欲していることを祈れ、と言いました。

 王様はびっくりしました。彼は与えることばかりしていて、かつて受けたことがなかったからです。王様の答えは、「私はすでに、莫大な富を持っています。私の軍隊は強大です。しかしながら目が見えないために、私は、自分が物乞いたちに施しをしたあと、彼らのうれしそうな顔を見ることができません。ですから、私には死が最も望ましいものです」というものでした。

 インドラは言いました、「そんなことは、考えることもしなさるな。それより、あなたが本当に感じていることを私に言え。あなたが乞食たちについてほんとうに考えていることを‥‥‥彼らはあなたの苦しみの原因なのだから。あなたの心中の思いを言え」

 王様は答えました、「あなたはなぜ、私が、ただ目が見えるようにさえなれば満足するだろうなどとお考えになるのですか。しかし、聞いて下さい。ぜひ聞きたいとおっしゃるなら。確かに、物乞いたちの嘆願は、私の耳には祝福と聞こえるのですから、それと同様に、まちがいなく、再び目が見えるようになったら、さぞ良かろうとは思います」と。

 彼の誠実の徳と、有徳な行いとの力によって、一つの目がたちまちもとに戻りました。そこで彼がもう一つの目も欲しいという願いを表明すると、これも即座に得られました。神々が、天界からこの場に殺到しました。喜びにみちた賞賛の歌声が高く響きわたりました。「王様のこの慈悲心のなんとすばらしいこと! 彼の心のなんと高く浄らかであること! 自分自らの幸せにはほとんど頓着しない彼! 万歳、堅固な英雄よ! あなたの蓮華の目が回復したのと同様に、この世界も再びその守護者を得た。徳は勝利する!」神々は王様をたたえてこのようにうたいました。全ての生きもののハートが喜びにみたされました。

 姿を消す前に、インドラは王様をほめたたえてこう言いました、「あなたの本心が私には分かっていたから、おお、心の浄らかな王よ、私はあなたに目を返した。これらの目で、あなたは四方八方、はるか遠くまでを見ることができる。山々にさえぎられることもない」

 王家の役人たちや家来たちはおどろきに言葉もありませんでした。市民たちは旗やのぼりを振って喜びました。神主たちは、幾千の祈祷の言葉をとなえて、彼らの君主を祝福しました。会堂で、大臣たち、ブラーミンたちをはじめとする、全国から集まった老若の国民の前に、王様は、次のように語って正しい生き方を教えました。

 「あなた方の中の誰が、慈善をすることをためらうだろう。あなた方は私の目を見たのだもの−−与える、という徳によって得た神々の力を持つ目である。この目で私は、幾千マイル四方の一切のものを見ることができるのだ。私は、この部屋を見るのと同じように、最高の山の向こうを見ることもできる。祝福を得るために、施し、慈悲、及び犠牲よりもよい処方があるものか。人間の目を捨てることによって、私は神の視力を得た。

 このことを理解しつつ、あなたのゆたかさを倍加せよ。それが、この世及び後の世における名誉と幸福への道である。富は、それ自体は何の価値もないものだ。しかし、一つの徳を持っている。他者を益するために与えることができるのだ。こうして初めて、それは宝物のとなるのである。しっかりとつかまえていたら、何の価値も生まない」


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